『ティファニーで朝食を』1

『ティファニーで朝食を』 by トルーマン・カポーティ 訳 藍(2017年07月22日~2017年11月25日)


僕はかつて暮らしていた場所や家にいつも引き戻され、近くに住んでいた人たちのことを懐かしく思い出す。たとえば、東70丁目辺りのブラウンストーンのアパートに戦争が始まって間もない頃の数年間、ニューヨークに出てきたばかりの僕は住んでいた。

ワンルームの部屋には屋根裏部屋にあるような古い家具がひしめき合っていた。ソファーが一つあり、真っ赤なビロードの生地で覆われた椅子がいくつか並んでいた。座るとちくちくして、暑い日の路面電車の中を思い出すような生地だった。壁はしっくい塗りで、タバコの染みのようなくすんだ色をしていた。部屋のあちこちに、バスルームにも古くなって茶色の斑点のついた版画がかかっていて、どの版画にもローマの遺跡が描かれていた。窓は一つしかなく、その窓を開くと非常階段に通じていた。

それでも、ポケットの中に入れた手に部屋の鍵が触れるたびに僕の気分は高まった。たしかに陰鬱になるような部屋ではあったものの、それでもそこは僕が初めて手に入れた自分だけの場所だった。愛読書を並べ、いくつかの空き瓶にこれから削っていくつもりの鉛筆を立てた。作家志望の僕にとって、必要だと思われるものがすべて揃っていた。

ホリー・ゴライトリーについて書くことになるとは、その当時は夢にも思わなかったし、おそらく、ジョー・ベルと話をしなかったら、今も彼女のことを書こうなんて思わなかっただろう。でも彼と話しているうちに、彼女についての色々な記憶が再び動き出したのだ。

ホリー・ゴライトリーはその古いブラウンストーンのアパートの一室を借りていて、彼女の部屋は僕の部屋の真下だった。ジョー・ベルはレキシントン街の一角にあるバーを当時から、そして今も経営している。ホリーも僕も1日に6、7回そこに通っていたのだが、いつもお酒を飲みに行っていたわけではなく、大体は電話を借りに行っていた。戦時中で個人が電話を引くのは困難だったからだ。

電話を貸してくれただけではなく、ジョー・ベルは電話を受け、親切に伝言を伝えてくれた。それはホリーにとってはとてもありがたいことだった。なにしろ彼女にはもの凄く多くの電話がかかってきたから。

もちろん、それはずっと昔の話であり、先週ジョー・ベルと会ったのも数年ぶりだった。時々は連絡を取り合っていたし、たまには近くを通るついでに彼のバーに立ち寄ることもあったが、実際、僕らは二人ともホリー・ゴライトリーの友人であるという以外には、それほど強い絆はなかった。

ジョー・ベルには気難しいところがある。それは彼自身が認めているのだが、彼が言うには、ずっと独身でいたことと胃が弱いことが原因で、そういう性格になったらしい。彼を知っている人なら誰でも、彼は話しづらい人だと言うだろう。共通する興味の対象でもないと、彼と会話を続けるのは困難だが、ホリーが僕ら二人に共通する好みの対象だった。他には、アイスホッケーや、ワイマール犬や、『われらの愛しき日曜日』(彼が15年間聴き続けているラジオの連続メロドラマ)や、他には、ギルバートとサリバンについて彼と話したことがある。彼はギルバートとサリバンのどちらかと親戚関係にあると言い張っていたが、どちらだったのかは思い出せない。

それで、先週の火曜日の夕方に電話が鳴って、「ジョー・ベルだが」という声を聞いた時、僕はホリーの話に違いないと思った。彼はホリーのことだとは言わなかったが、「今すぐこっちに来れるか? 大事なことなんだ」と言う彼の、元々蛙のようにしゃがれた声が、興奮で余計にかすれていたから。


10月の雨が降りしきる中、僕はタクシーに飛び乗った。タクシーの中で、もしかしたらホリーが彼の店にいるのかもしれない、もう一度彼女に会えるのだろうかと考えていた。

しかし、店内にはマスターの他には誰もいなかった。ジョー・ベルの店はレキシントン・アベニューのバーにしては比較的静かなバーだった。ネオンサインもなく、客寄せにテレビも置いていない。二枚の古い鏡が外の通りの天候を映しているだけだ。

カウンターの向こう側の壁に、アイス・ホッケーの名選手たちの古い写真に囲まれた〈くぼみ〉があり、その〈くぼみ〉には大きな花瓶が置かれ、いつでも新鮮な花が生けられていた。その花はジョー・ベルが自分の手で念入りに品よく生けていた。

僕が店に入ると、彼はまさに花を生けているところだった。

「当たり前だが」と、彼は一輪のグラジオラスの花を花瓶に深く差しながら言った。「当たり前だが、君にわざわざ来てもらったのは、君の意見が聞きたいからなんだ。それが妙なんだよ。実に妙なことが起こったんだ」

「ホリーから連絡でもあったのかい?」

彼は花の葉を指で触りながら、どう答えればいいのか迷っているようだった。彼はほっそりした頭にごわごわした白髪の小柄な男で、斜面を描くような骨張った顔をしていた。彼がもっと背の高い男なら、しっくりくる顔だっただろう。顔色は常に日焼けしているような色合いだったが、今はさらに赤みが増していた。

「彼女からは何の連絡もない。というか、よくわからないんだ。それで君の意見を聞きたいんだよ。何か一杯、飲み物を作ろう。新作があるんだ。〈ホワイト・エンジェル〉っていうカクテルなんだ」

彼はそう言うと、ウォッカとジンを半分ずつ入れ、ベルモットは入れずに、それを混ぜ合わせた。できあがったものを僕が飲んでいる間、ジョー・ベルはタムズ胃腸薬をなめながら、頭の中で僕に話す事柄を整理していた。

それから、「ユニオシさんを覚えているか? 日本出身の紳士だ」と切り出した。

「彼はカリフォルニア出身だよ」と僕は言った。ユニオシさんのことは、はっきりと覚えている。彼は何かの写真誌のカメラマンで、当時は彼も僕と同じブラウンストーンのアパートの一室に住んでいた。彼の部屋は僕の部屋の真上だった。

「俺が混乱するようなことは言わないでくれ。俺が聞いているのは、誰のことを言っているのかわかるか?ってことだ。まあいい。それで、昨夜ここにさっそうと入ってきたのが、他ならぬそのユニオシさんだったんだ。もう二年以上彼と会っていなかったんだが、この二年彼はどこにいたと思う?」

「アフリカでしょ」

ジョー・ベルはタムズをカリカリと嚙むのをやめ、目を細めた。「どうやって知ったんだ?」

「ウィンチェルが書いたゴシップ記事で読んだよ」実際に僕は記事で読んだのだ。

彼はガチャンとレジを開けると、茶封筒を取り出した。

「そうか、このこともウィンチェルの記事に書いてあったか?」

封筒には三枚の写真が入っていた。撮る角度が微妙に違っていたが、三枚ともほぼ同じような写真だった。背の高い細身の黒人の男が写っていた。木綿のスカートのようなものを身に着けている。そして恥ずかしそうではあるものの、得意げな笑顔で、風変わりな木製の彫刻を両手で突き出すようにこちらに見せていた。

それは若い女の顔を細長く引き伸ばした木彫りの彫像だった。髪にはつやがあり、少年のような短髪だった。目はなめらかに彫られているが、あまりにも大きかった。頭の先端がとがっているため、目がつり上がっている。口は大きく誇張されていて、ピエロの唇に似ていなくもない。

ひと目見た感じでは、それはありふれた原始的な彫像だったが、よく見るとそうでもなく、ホリー・ゴライトリーの生き写しに見えてきたのだ。少なくとも色のない彫像としては、この上なく彼女によく似ていた。

「さて、これを見てどう思う?」と、ジョー・ベルは僕が困惑するのを見て満足そうに言った。

「彼女に似てるね」

「なあ、いいかい」そして彼は片手でカウンターを叩いた。「彼女だよ。俺がいつでも結婚して家族を養える男だってことと同じくらい明らかだ。あのちびの日本人も見た瞬間に彼女だとわかったそうだ」

「彼は彼女に会ったのかい? アフリカで?」

「いや、ただその彫像を見ただけだが、結果としては同じことだ。これを自分で読んでみな」彼はそう言うと、一枚の写真を裏返した。

裏にはこう書かれていた。「木彫りの彫刻、S族、トコカル、東アングリア、クリスマス、1956年」

そして彼は語り始めた。「あの日本人が言うには、」話はこういうことらしい。

クリスマスの日、ユニオシさんはカメラを携えてトコカルという村を通りかかった。そこは目を見張るものは何もない、面白みに欠ける村で、庭には猿がいて、屋根にはコンドルやタカがとまっているような、泥でできた小屋が集まっていた。

彼が先を急ごうと思った時、ふと一人の黒人が視界に入った。戸口にしゃがみ込んで、杖のような木の棒を猿の形に彫っていた。ユニオシさんは感心して、もっと作品を見せてくれと頼んだ。そうして、彼は若い女の頭部の彫刻を見せられたのだ。

それを見て、彼は夢の中に転がり込んだような気持ちになった、とジョー・ベルに語ったそうだ。しかし、彼がそれを買いたいと申し出ると、その黒人は片手で自分の股間を覆い隠した。(それはどうやら、自分の胸を軽く叩くジェスチャーに相当するような、親しみを込めた表現のようだったが、)彼はだめだと言った。1ポンドの塩と10ドルでも、腕時計と2ポンドの塩と20ドルを提示しても、何も彼の心を動かすことはできなかった。

そうして、ユニオシさんはその彫刻がどのようにできたのか、その経緯を知りたいと思った。それを知るために彼は塩と腕時計を差し出した。すると、その黒人はアフリカ語と英語の混在した言葉で、指先の動きを交えながら話してくれた。

こういう経緯らしい。その年の春、三人の白人が馬に乗ってジャングルの中から、その村にやってきた。若い娘が一人と、二人の男だった。男は二人とも熱病にかかり目を充血させていた。二人の男は孤立した小屋に数週間にわたって引きこもり、悪寒に震えていた。一方、若い娘はほどなくして、その彫刻家に魅了され、彼と寝床をともにした。

「この部分は信じられない」と、ジョー・ベルは顔をしかめて言った。「彼女が好き勝手する娘だってことは知ってるよ。しかし、そんなことまでするとは思えない」

「それからどうなったんだい?」

「それだけだ」と、彼は肩をすくめた。「しばらくすると、やって来た時と同じように、彼女は馬に乗って去っていったんだ」

「一人で? それとも二人の男と一緒に?」

ジョー・ベルは目をしばたたいた。「推測だが、二人の男と一緒だろう。あの日本人はその国のあちこちで彼女について聞いて回ったらしいが、誰も彼女を見た者はいなかったそうだ」

それを聞いて僕はがっかりした。その気持ちは彼に伝わったようだったが、僕が残念に思う気持ちなんて微塵も受け取りたくないと彼は言いたげだった。

「君が認めなければならないのは、これがこの何年かの間で」彼は指を折って年数を数え始めたが、指が足りなくなり数え切れなかった。「この10年以上の間で、これが唯一の確かな情報だということだ。俺の望みは、俺が望んでいるのは、彼女が金持ちになっていることだ。彼女はきっと金持ちになったんだ。アフリカをあちこち馬に乗って回るなんて、金持ちじゃなきゃできないだろ」

「彼女はたぶんアフリカに足を踏み入れたことなんてないよ」と僕は言った。そう思う気持ちが強かったのだが、それでも、彼女がアフリカの大地に立つ姿が見える気もした。そこはいかにも彼女なら行きそうな場所だったからだ。それに木彫りの彫像もある。僕はもう一度、写真に目をやった。

「よくわかるな。じゃあ、彼女は今どこにいる?」

「もう死んでるか、精神病院に入っているか、あるいは結婚してるかも。彼女は結婚していると僕は思うよ。すっかり落ち着いて、この街のどこかにいるかもしれない」

彼は少し考えて、「いや」と言い、首を振った。

「理由を教えよう。もし彼女がこの街にいるのなら、俺は彼女を見かけたはずだ。考えてもみろ。歩くことが好きな男が、俺のような男が、10年とか12年にわたって、この辺りの通りを歩き回ってきたんだ。しかも、その間ずっと、一人の人間を目で探しながらだ。それでも、その人の姿はどこにも見当たらなかった。彼女はここにはいないと考えるのが理にかなっているだろ? 俺はいつでも彼女の面影なら見かけてきたんだ。平らで小ぶりなお尻や、細身の若い娘がまっすぐに早足で歩いていく姿に彼女の面影を…」

彼は話を中断した。僕がじっと彼を見つめていることに耐えられなくなったようだった。

「俺の頭がおかしくなったと思ってるんだろ?」

「いや、ただ、あなたが彼女に惚れていたなんて知らなかっただけで、そこまでは思っていませんよ」そう言ってから、しまったと思った。彼の心を乱してしまった。

彼は写真をさっと取り上げると、封筒にしまった。僕は腕時計を見た。行くあてなどなかったが、そろそろ出て行ったほうがいいと思った。

「待ってくれ」と彼は言って、僕の手首をつかんだ。「たしかに俺は彼女に惚れていたよ。でも彼女の体に触れたいとか、そういう気持ちはないんだ」

それから彼は真顔で付け加えた。「そういうことを考えないというわけでもないんだ。この歳になってもだ。俺は1月10日で67歳なる。奇妙なことに、歳を取れば取るほど、そっち方面のことがますます気にかかるようになった。俺がまだ若造だった頃は、こんなにしょっちゅう、そんなことを考えていたはいなかった。でも今は、分刻みで頭に浮かんでくるんだよ。たぶん、人は成長すればするほど、考えたことを行動に移すのが難しくなってくる。思ったことが全部、頭の中にそのまま閉じ込められて、重荷になるんだ。みっともないことをしでかす老人の記事を新聞で読むたびにいつも思うんだ。頭の中の重荷のせいだなって。でも」彼は小さなグラスにウイスキーを注ぐと、それをストレートで飲み込んだ。「俺は自分の品位を落とすような真似はしない。俺は誓って、ホリーのことをそんな風に思ったことは一度もない。そういうことなしに誰かを愛することは可能なはずだ。見知らぬ者同士の距離感で付き合っていける。見知らぬ者同士でありながら、友人でもある関係のまま」

二人の男がバーに入ってきた。今が引き際だと思った。ジョー・ベルは僕を店の戸口まで送ってくれた。そこで彼は僕の手首を再びつかんだ。

「信じてくれるか?」

「彼女の体に触れたくないってことですか?」

「アフリカの話だよ」

その時、僕はその話がどうにも思い出せなかった。ただ、彼女が馬に乗って去っていく姿だけが頭に浮かんだ。

「いずれにしても、彼女はどこかに行ってしまったんですよ」

「そうだな」と、彼はドアを開けながら言った。「どこかに行ってしまった」

外に出ると、雨はやんでいた。空気の中に霧のような雨の名残りを感じるだけだ。それで僕は角を曲がって、あのブラウンストーンの建物がある通りを歩いてみた。

この通りは夏には歩道に涼しい木陰ができるのだが、今では葉っぱは黄色くなり、ほとんどの葉が下に落ちていた。雨が落ち葉をつるつるに濡らし、足が滑りそうになる。

その道を半分ほど進んだところに、僕の住んでいたブラウンストーンのアパートはある。その隣には教会があり、教会の青い時計塔が一時間ごとに時刻を告げている。

僕が住んでいた頃に比べると、そこはすっかり小綺麗になっていた。かつては曇りガラスの扉だった玄関は流行りの黒いドアになっていて、窓には品のある灰色の雨戸が取り付けられていた。

僕が知っている人で、今もそこに住んでいるのはサフィア・スパネッラ婦人だけだった。彼女はハスキーな声のソプラノ歌手で、毎日午後になると、セントラル・パークに行ってローラースケートをやっていた。彼女がまだそこに住んでいるとわかったのは、玄関口の踏み段を上がり、郵便受けを見たからだ。

僕が初めてホリー・ゴライトリーの存在に気付いたきっかけも郵便受けだった。そのアパートに住み始めて1週間ほどたった頃、2号室の郵便受けの名札を入れる枠に、珍しい名刺が差し込んであるのに気付いた。カルティエのように高級感漂う字体で、「ミス・ホリデー・ゴライトリー」と印刷されていて、その下の片隅には、「旅行中」と書いてあった。それは曲のワンフレーズのように僕の頭に付きまとった。「ミス・ホリデー・ゴライトリー、旅行中」


ある夜、すでに時刻は12時をだいぶ前に回っていたのだが、ユニオシさんが階段の下に向かって怒鳴る声に僕は起こされた。彼は最上階に住んでいたので、彼の声はアパート全体に響き渡った。激怒した厳しい口調だった。「ミス・ゴライトリー! いい加減にしてください!」

階下から湧き上がるように返ってきた声は、くったくのない若さ溢れる声で、なんだかおかしくて仕方ないみたいだった。「あら、あなた、ごめんなさいね。あのいまいましい鍵をなくしてしまったの」

「こうやって私の部屋のベルを鳴らし続けてもらっては困るんですよ。頼むから、お願いだから、自分の鍵を作ってください」

「でも、あたし全部なくしちゃうわ」

「私は働いてるんですよ。寝ないといけないんですよ」ユニオシさんは大声で言った。「なのに、あなたはいつも私の部屋のベルを鳴らす...」

「あら、怒らないで、おちびちゃん。もうしないわ。もう怒らないって約束してくれたら」彼女の声が近づいてくる。彼女が階段を上ってくるのだ。「ほら、前に言ってた例の写真、撮らせてあげるわ」

その頃には僕はベッドから抜け出て、ドアをほんの少し開けていた。ユニオシさんは黙り込んだ。彼の沈黙が聞こえてくるようだった。というのも、その沈黙によって、彼の息づかいの変化がわかったのだ。

「いつ?」と彼は言った。

彼女は笑って、「そのうちね」と、ごまかすように答えた。

「いつでもいいよ」と彼は言って、ドアを閉めた。

僕は廊下に出て、気づかれずにその子が見える程度に手すりから身を乗り出した。彼女はまだ階段を上っていて、もうすぐ踊り場に着こうとしていた。彼女の少年のような髪にはいろんな色が混じっていた。黄褐色の筋がいくつも入っていて、色素が抜けた金色や黄色の髪の束が廊下の明かりを反射していた。

夏が近づいていて、暖かい夜だった。彼女はすらりとした涼しそうな黒の洋服を着ていて、黒いサンダルを履き、真珠のチョーカーを首に巻いていた。あか抜けた細身の体にもかかわらず、彼女には朝食用のシリアルを連想させるような健康的な雰囲気があった。石鹼やレモンを思わせる清潔さもあり、頬がほんのりとピンク色に染まっている。彼女の口は大きく、鼻は上向きだった。サングラスが彼女の目を覆い隠していた。少女時代は過ぎたものの、まだ大人の女性にはなりきっていない、というような顔だった。彼女は16歳から30歳のどの年齢であっても不思議はないと思った。後でわかったことだが、彼女はあと2ヶ月で19歳になるところだった。

彼女は一人ではなかった。彼女の後ろについてくる男がいた。男のぽっちゃりした手が彼女のお尻をつかもうとしていた。その様子はなんだか不適切に見えた。道徳的にではなく、美的に。

彼は背の低いでっぷりした男で、人工的に日焼けしているような肌の色をしていて、髪にはポマードをつけていた。肩の張ったピンストライプのスーツを着ていて、襟にはしぼみかけた赤いカーネーションを差していた。

二人が彼女の部屋の前に着くと、彼女はハンドバッグの中をごそごそとかき回した。男の分厚い唇が彼女のうなじにすり寄っているのだが、それには構わず、彼女は鍵を探している。やっと鍵を見つけ、ドアを開けると、彼女は男に向かって、心を込めるように言った。「どうもありがとう、ダーリン。おうちまで送ってくださって、とても感謝しているわ」

「おい、ちょっと!」と、男は目の前で閉まろうとしているドアに向かって言った。

「なあに、ハリー?」

「ハリーは別の男だ。俺はシドだよ、シド・アーバック。俺のことが好きなんだろ?」

「あなたのこと、凄く尊敬しているわ、アーバックさん。でも、おやすみなさい、アーバックさん」

アーバック氏は信じられないといった表情で、ぴしゃりと閉まったドアをじっと見つめた。

「なあ、ちょっと、中に入れてくれよ。俺のことが好きなんだろ。俺は人に好かれる男なんだ。さっきも俺は勘定を払わなかったか? あんたの友達の5人分だよ。俺は今日初めて会ったっていうのに、そこまでしたんだから、当然俺を気に入っただろ? 俺のことが好きなんだろ? なあ」

男はドアを軽く叩いていたが、次第にその音は大きくなっていった。ついに数歩後ろに下がると、背中を丸め身を屈めた。ドアに体当たりして押し倒すつもりなのかと思った。しかしそうはせずに、男は壁にこぶしを叩きつけながら、階段を転がるように駆け下りた。

男が下まで下り切ってから、部屋のドアが開き、彼女が首を突き出した。

「ねえ、アーバックさん」

振り返った男の顔に、ほっとしたような笑みが広がった。〈この子は焦(じ)らしていただけなんだ。〉

「今度また女の子に、化粧室に入る時に渡すチップをねだられたら」と、彼女は言い放った。からかっているような言い方ではなかった。「あなたに忠告しておいてあげるわ。たったの20セントなんて渡さないことね!」

彼女はユニオシさんとの約束を守った。というか、たぶん彼の部屋のベルを鳴らすのはやめたのだと思う。数日後には僕の部屋のベルを鳴らし始めたのだから。

夜中の2時のこともあったし、3時や4時にベルを鳴らされることもあった。彼女は何時に僕を叩き起こそうと、良心の呵責なんて全く感じていない様子だった。そのたびに僕は1階の玄関の鍵を開けてあげた。僕には友達はほとんどいなかったし、ましてやそんな遅くに訪ねてくる人なんていなかったので、ベルが鳴るたびに彼女だとわかった。でも最初のうちは、身内の不幸を知らせる電報でも届いたのではないかと、やや不安になりながら部屋のドアに向かった。すると、ミス・ゴライトリーが声を張り上げて言った。「ごめんなさいね、ダーリン。鍵をなくしてしまったのよ」

もちろん、それまで彼女と会ったことは一度もなかった。実際には階段や道で、彼女とばったり顔を合わせることはしばしばあったのだが、彼女の方は僕のことなんて認識していないようだった。

サングラスをかけていない彼女は見たことがなく、いつ見ても彼女は素敵な洋服を着こなしていた。彼女が着るものには、質素さの中に当然のように趣味の良さがうかがえた。青やグレーの洋服を好み、光沢のある洋服は避けているようだった。そのため、彼女自身がパッと明るく輝いていた。人は彼女を写真誌のモデルか、ひょっとしたら若い女優だと思ったかもしれない。ただ、彼女が活動している時間帯から判断すると、そのどちらをやる時間もなさそうだった。

時折、僕はアパートから離れたところでも彼女と出くわすことがあった。一度、訪ねてきた親戚が僕を〈21〉というレストランに連れていってくれたことがあったのだが、その店の上席に、4人の男に囲まれて、ミス・ゴライトリーが座っていた。その中にアーバック氏はいなかったが、4人とも彼と似たり寄ったりの男たちだった。彼女は退屈そうに、人目もはばからず髪をとかしたり、あくびをかみ殺したりしていた。そんな彼女の表情を見ていたら、せっかくお洒落なレストランで食事をしているというのに、僕の気分はすっかり冷めてしまった。

別の夜、夏の盛りの頃だったが、部屋があまりにも暑いので僕は通りに出た。3番街を51番通りに向かって歩いていると、骨董品店が目に入った。そのショーウィンドーには目を見張るものが置かれていた。それは宮殿を模した鳥かごだった。尖塔のついたモスクや、竹でできた個室が、おしゃべり好きなオウムたちでいっぱいになるのを待ちわびていた。しかし値段は350ドルもした。

家に帰る途中、P.J.クラークというバーの前に、タクシーの運転手たちが群がっているのに気づいた。どうやら、ウイスキーに酔って赤い目をしたオーストラリア人の陸軍将校たちが陽気に、バリトン歌手さながらに声を張り上げて、『ワルチング・マチルダ』を歌っているのを見物しているらしい。

将校たちは歌いながら、一人の娘と代わる代わるスピン・ダンスを踊っていた。高架鉄道の下の石畳みの上で踊っているその娘は、確かにミス・ゴライトリーだった。彼女はスカーフのように、ふわりと男たちの腕から腕へと舞い回っていた。


その頃はまだ、ミス・ゴライトリーは僕の存在を、玄関のベルを押せば中へ入れてくれる便利屋としてしか認識していないようだったが、僕の方は、その夏が終わる頃には、彼女についてかなり詳しい専門家になっていた。

彼女の部屋の前に置かれたゴミ箱を観察して、僕は色々と発見した。彼女がいつも読んでいるものは、タブロイド紙と旅行のパンフレットと占星術の図解本で占められていること、彼女はピカユーンというあまり見かけないタバコを吸っていること、カッテージ・チーズとメルバ・トーストで生き延びているらしいこと、それから、彼女のいろんな色が混じった髪は、どうやら自分で染めているらしいこともわかった。

また同じ情報源からわかったことだが、彼女は戦場にいる兵士から送られてくる手紙を、箱一杯になるほど大量に受け取っていた。手紙はいつも本に挟むしおりのように細長く引き裂いてあった。たまに僕は通りがかりに、しおりの一枚をそっと引き抜いていた。「覚えているか」とか「君がいなくて寂しい」とか「雨が降っている」とか「返事を書いて」とか「ちくしょう」とか「ばかばかしい」とか、そういった言葉が最も頻繁に紙切れに書かれていた。他には、「一人で寂しい」とか「愛してる」とかもよく見受けられた。

また、彼女は猫を一匹飼っていて、ギターも弾いた。日差しの強い日には、彼女は髪を洗い、赤茶色の雄のトラ猫と一緒に非常階段に座って、ギターを指で弾きながら、髪を乾かしていた。彼女の奏でる音楽が聞こえてくると、僕は静かに窓際に立って耳を澄ました。彼女の演奏はとても上手で、ギターを弾きながら歌うこともあった。彼女の歌声は変声期の少年のようにかすれた、しゃがれ声だった。

彼女はミュージカルで流行った曲をなんでも知っていた。コール・ポーターやクルト・ヴァイルの曲、特にブロードウェイ・ミュージカル『オクラホマ!』で歌われた数曲がお気に入りだった。あの夏、そのミュージカル・ソングはどこにいても流れていた。

しかし中には、この曲をどこで知ったのだろう? 一体、彼女はどこ出身なんだ? と首をかしげてしまうような曲が聞こえてくることもあった。

荒々しくも優しい、さすらうようなメロディーに、どこかしら松林や大草原を想起させるような歌詞が付いていた。

こういう歌もあった。「眠りたくない、死になくもない、ただ、大空の大草原を旅していたい」

この曲が一番彼女を満足させるようだった。というのも、彼女は髪がすっかり乾いても、ずっとこの曲を歌い続けていたから。太陽が沈んで、夕闇の中に明かりのともる窓が見え始めても、ずっと。


僕たちが知り合いと呼べる関係になったのは、それからしばらくして、9月になってからのことだった。夕暮れ時には、ひんやりとした秋風がさざ波のように吹き始めていた。僕は映画を観に行って、帰宅すると、寝酒にバーボンを一杯飲みながら、シムノンの新刊の推理小説をベッドで読んでいた。僕は気分よく、すっかりくつろいでいたので、不安な気持ちが胸の中で段々とふくれ上がっていることにしばらく気づかなかった。自分の心臓の高鳴りを聞いて初めて、その不安感に気づいた。それは本で読んだこともあれば、自分で書いたこともある感覚だったが、実際に経験するのは初めてだった。じっと見られている感じがして、誰かが部屋にいる気配があった。

その時、突然、窓をコツコツと叩く音がした。見ると、亡霊のような灰色の影が窓に浮かんでいて、思わず僕はバーボンをこぼしてしまった。

少しの間、動けずにいた。やっとベッドから出て、僕は窓を開けると、ミス・ゴライトリーに彼女の望みを訊ねた。

「下の部屋にすっごく怖い男の人が来てるのよ」彼女はそう言いながら非常階段から足を離し、部屋の中に入ってきた。

「あのね、彼はお酒を飲んでいない時は優しいのよ。でも飲み出すと、もうね、ケダモノみたいになっちゃうの。一つだけ私の大嫌いなものがあるとすれば、嚙みつく男ね」

彼女は柔らかい厚めの布でできた灰色のバスローブの紐をゆるめ、片方の肩をさらけ出した。男が嚙みつくと、どういうことになるのかが目に見えてわかった。バスローブの下には彼女は何も身に着けていなかった。

「あなたを怖がらせてしまったとしたら謝るわ。でも、あのケダモノがもう手をつけられなくなっちゃってね、窓から抜け出してきたの。あいつは今、私がバスルームにいると思っているわ。あいつがどう思おうと構うもんですか。あんな奴どうでもいいわ。そのうち疲れて、寝ちゃうわ。そりゃそうよ。食事の前にマティーニを8杯も飲んだんですもの、象が洗えるくらいの量よ。ねえ、あなたがそうしたかったら、私を追い出してもいいのよ。こんな風にあなたの部屋に押し入っちゃって、私って非常識よね。でもね、あの非常階段って凄く冷たいの。あそこから、あなたはとても温かそうな人に見えたわ。そしたら兄のフレッドを思い出したの。昔ね、一つのベッドに4人で寝ていたんだけどね、寒い夜にフレッドだけは私が抱きついても嫌がらなかったわ。そうだわ、あなたのことをフレッドって呼んでもいいかしら?」

今では彼女はすっかり部屋の中に入っていて、そこで突っ立ったまま、僕をじっと見つめていた。サングラスをかけていない彼女を初めて見て、あのサングラスには度が入っていたことがわかった。というのも、彼女は宝石鑑定士が宝石を見つめる時のように目を細めて、僕を見ていたから。

瞳は大きく、少し青みがかっていて、ちょっと緑も入っているようで、少しだけ茶色も瞳の中に散らばっていた。彼女の髪と同じように、瞳にもいろんな色が混じっていた。まさに彼女の髪のように、瞳も生き生きとした温かな光を放っていた。

「私のこと、うるさい女だって思ってるんでしょ。それとも、大バカ女とかって思ってるかしら」

「そんなこと全然思ってないよ」

彼女は僕の返事にがっかりしたようだった。「きっと思ってるわ。みんなそうだもの。いいのよ、気にしないから。そう思ってくれたほうが楽だわ」

彼女は赤いビロード張りのぐらぐらする椅子に座ると、椅子の下で両足を折り曲げた。さっきよりもさらに目をすぼめて、部屋をちらちらと見回している。

「よくこんな部屋に住んでいられるわね。恐怖の館みたい」

「まあ、何にでも慣れるものだよ」と僕は言ったが、実際、この部屋を誇りに思っていたから、なんだか自分自身が腹立たしい気持ちにもなった。

「私は違うわ。何かに慣れるなんてことは絶対にないわ。何かに慣れちゃうような人は、死んでるのと同じじゃない」

彼女は、けなすような目で再び部屋をしげしげと見渡した。「あなたは一日中ここで何をしてるわけ?」

僕は本と紙が積み上げられている机に目を向けながら言った。「ものを書いているんだ」

「作家って年を取ってる人たちばかりだと思っていたわ。もちろんサローヤンは年を取っていないわね。私、パーティーで彼に会ったのよ。ほんとに全然年寄りじゃなかったわ。ただ」と彼女は考え込んだ。「彼はもっとちゃんと髭を剃ったらいいのにね...それはそうと、ヘミングウェイって年を取ってたかしら?」

「たしか40代だと思うよ」

「悪くないわ。私、42歳以上の男じゃないと、ドキドキしないのよ。知り合いに馬鹿な女の子がいるんだけどね、その子によく言われるわ、私は精神科医に見てもらった方がいいって。私はファザコンだって言うのよ。あの子ったら、たわごとばっかり言うんだから。私はね、年を取った男を好きになるように自分自身を訓練しただけなのよ。それは私にしては凄く気の利くことだったわ。サマセット・モームって何歳かしら?」

「よく知らないけど、60代とかじゃない?」

「悪くないわね。私、作家とベッドをともにしたことってまだないの。いや、ちょっと待って。あなた、ベニー・シャクレットって知ってるかしら?」僕が首を振ると、彼女は顔をしかめた。「変ねえ。彼、ラジオの脚本を凄くたくさん書いてるのよ。でもね、ほんと、いやな奴なの。ねえ教えて、あなたは本物の作家なの?」

「本物ってどういう意味で君が言ってるのかによるけどね」

「そうね、ダーリン、あなたが書いたものを買う人はいるの?」

「今のところいないけど」

「私があなたを手助けしてあげるわ」と彼女は言った。「ほんとにできるのよ。考えてみて、私の知り合いはみんな顔が広い人たちばかりなの。私はあなたを助けてあげたいわ。だってあなたって兄のフレッドによく似ているんですもの。兄より背は低いけどね。私が14歳の時から彼に会っていないわ。その時、私は家を出たのよ。あの頃すでに彼の身長は6フィート2インチもあったのよ。他の兄弟はみんな、あなたと同じくらいの背丈だった。おちびちゃんね。フレッドの身長をあんなに伸ばしたのはピーナッツ・バターね。ピーナッツ・バターをたらふく食べるフレッドを見て、みんな、いかれてると思ったわ。でも彼ったら、お構いなしなんですもの。彼がこの世の中で興味があるのは、馬とピーナッツ・バターだけね。彼はいかれてなんかいないわ。ただ優しくて、上の空で、もの凄くのろまなだけ。私が家から逃げ出す時、彼は中学2年生を3年連続でやっていたわ。かわいそうなフレッド。軍隊でも気前よく、ピーナッツ・バターを食べさせてもらえているといいんだけど。そういえば、私、お腹ぺこぺこだわ」

僕はお皿に盛られたリンゴを指差しながら、どうしてそんなに若いうちに家を出ることになったのか、その理由を訊ねた。

彼女は僕をぼんやりと見て、それから鼻をこすった。鼻がくすぐったいのかと思ったけれど、彼女が頻繁にその仕草を繰り返すのを見ているうちに、それは、個人的なことには首を突っ込まないでね、という合図なんだと思い当たった。

自分から進んで個人的なことを喋りたがる人の多くがそうであるように、彼女も直接的な質問をされたり、真相をつきとめようとする態度を感じ取ったりすると、身構えた。

彼女はリンゴを一口、齧ってから言った。「あなたが書いているものを話して聞かせて。物語の部分がいいわ」

「それはちょっと難しいね。僕が書いているものは君が思っているような物語じゃないんだ」

「そんなにけがらわしい話なの?」

「いつか読ませてあげるよ」

「ウィスキーとりんごってよく合うのよ。一杯いただけないかしら、ダーリン。それからお話を読んでちょうだい。あなたが書いたものよ」

まだ自分の作品が出版されたことのない人なら特に、自作の小説を声に出して読み聞かせるという誘いを断るような人はほとんどいないのではないか。

僕は二人分のお酒を作り、彼女の向かい側の椅子に腰を下ろすと、朗読を始めた。僕の声は、舞台に立ったような緊張と熱狂が入り交じり、少し震えていた。

それは新作だった。前日に書き上げたばかりだったので、そのうち当然感じるはずの、完成にはまだ直すべきところがあるという気持ちにはまだ至っていなかった。

それは、一つの家に一緒に住んでいる二人の女性の話だった。二人とも学校の先生をしている。一人が婚約してしまい、もう一人がその結婚を邪魔しようと、匿名のビラを書いて悪い噂を流すのだ。

僕は読みながら、ちらちらとホリーの表情を盗み見た。そのたびに僕の心臓は縮まるようだった。彼女はそわそわしていた。彼女は灰皿の中の吸い殻をつついてほぐしたり、指の爪をぼんやり眺めたりしていた。爪にやすりをかけたくて仕方ない様子だった。

ようやく彼女が興味をもってくれたかに思えた時、僕はさらにショックを受けた。こちらを見る彼女の目は、霜がかかったように心ここにあらずといった感じだったのだ。まるで、どこかの店の前で見かけた靴を思い浮かべながら、それを買おうか迷っているような目だった。

「それでおしまい?」と、彼女は目覚めたように聞いてきた。彼女はさらに何か言うことを探し、一瞬言葉につまった。「もちろん私自身はレズの子って好きよ。ちっとも怖くなんかないわ。でもね、レズの話は退屈で仕方ないの。私にはそういう子たちの気持ちが理解できないのよ。だって実際、ダーリン」彼女は僕が明らかに困惑しているのを見て、こう聞いてきた。「それがレズのおばさんたちの話じゃないとしたら、いったい何の話なの?」

僕はその物語を読んで聞かせたことを後悔した。さらにその内容を説明するという恥の上塗りをする気にはなれなかった。

僕が自作を朗読したのも、うぬぼれからだったが、同様の気持ちによって、僕は彼女を鈍感で何も考えていない、ただの目立ちたがり屋なんだと決めつけようとしていた。

「そういえば」と彼女は言った。「もしかしてあなたの知り合いに、優しいレズの子っているかしら? 私、今ルームメイトを探しているのよ。ねえ、笑わないでね。私って片付けができないのよ。でも家政婦を雇うお金はないし、実際、レズの子って素晴らしい主婦なのよね。率先してなんでもやってくれるんですもの。掃き掃除とか、冷蔵庫の霜取りとか、洗濯物をクリーニング屋に出すとか、あれこれ考えなくて済むでしょ。ハリウッドに住んでいた頃はルームメイトがいたのよ。彼女は西部劇の映画に出ていたから、みんなは彼女のことを「ローン・レンジャー」って呼んでいたわ。彼女のためにも言っておくけど、男と一緒に暮らすよりずっと良かったわ。もちろん、私にも少しはレズの気があるんだろうって思う人も結構いたわ。そうね、少しはあるわ。みんなそうでしょ。でも、ほんのちょっとよ。だからなんだっていうの? そんなことを気にして身を引く男なんて一人もいなかったわ。身を引くどころか、実際、男の人ってそういうことに刺激されるのよね。だってね、そのローン・レンジャーなんて二回も結婚しているのよ。普通、レズの子って一回しか結婚しないものなの。ただ名義が欲しくてね。一度結婚しちゃえば、それからはずっとミセスなんとかって呼ばれて、ハクがつくんですって。嘘でしょ!」彼女はテーブルの上の目覚まし時計をじっと見つめた。「もう4時半だなんてありえないわ!」

窓の外が青白くなり始めていた。夜明けのそよ風がカーテンをはたはたと揺らしていた。

「今日は何曜日だったかしら?」

「木曜日だよ」

「木曜日!」彼女は立ち上がった。「なんてこと」と彼女は言って、うめき声をもらしながら座り直した。「大変だわ」

僕はすっかり疲れてしまって、興味が湧かなかった。僕はベッドに横になると、目を閉じた。それでも我慢できなくなって聞いてしまった。「木曜日だと、どうして大変なの?」

「なんでもないわ。ただ、木曜日が来るっていうのを覚えていられないのよ。あのね、木曜日には8時45分の電車に乗らないといけないの。彼が面会時間にこだわっているのよ。ほら、10時までに到着すれば、あの気の毒な人たちが昼食を食べる前に、1時間面会できるでしょ。考えてみて、ランチは11時なのよ。もちろん2時に行ってもいいし、その方が私も楽ね。でも彼は午前中に来てほしいって言うのよ。そうすれば、その日一日頑張れるからって。もう仕方ないわ。ずっと起きてるしかないわね」と言って、彼女は頬をつねった。頬にバラのような赤みが差した。

「寝る時間がないと、私、肺炎で病んでるみたいに見えちゃうのよ。安アパートみたいに肌に張りがなくなっちゃうの。そんなの嫌よ。女の子が青ざめた顔でシンシン刑務所に行くなんてできない」

「そうかもしれないね」自作を読み聞かせたことで彼女に感じていた腹立たしい気持ちは徐々に引いていき、僕の興味はまた彼女に引き寄せられていた。

「面会に来る人はみんな、最高の自分を見せようと努力するのよ。とても思いやりがあるわ。本当に素敵なの。女の人たちは最高に綺麗な洋服を着て来るのよ。年を取った女性も、見るからに貧しい女性もよ。みんな愛情がこもってるのよね。綺麗な自分を見せてあげよう、いい香りをかがせてあげようって。そういうのって素敵だわ。私、子供も好きなのよ。特に黒人の子供たち、奥さんが連れてくる子供たちよ。そういう場所で子供たちを見かけたら、悲しむべきなんだろうけど、でもそんな感じじゃないの。子供たちは髪にリボンを結んでいて、靴はちゃんと磨き上げられているんですもの。子供たちのためにアイスクリームが出てくるんじゃないかと思ってしまうわ。時々、面会室がパーティー会場みたいに見えちゃうのよ。とにかく映画とは違うわね。ほら、鉄格子を挟んで怖い顔でひそひそ話している、みたいなやつ。実際は鉄格子なんてなくて、ただカウンター越しに話すのよ。子供たちはその上に乗って抱きしめてもらってもいいのよ。カウンター越しに身を乗り出せば、キスだってできるんだから。私が何より好きなのは、向かい合って見つめ合っている、幸せそうな人たちを見ることよ。みんな話すことをたくさん溜め込んでるから退屈なんてありえないわ。笑い合ったり、両手を握り合ったりしているの。でも面会が終わるとね、様子が変わっちゃうのよ」と彼女は言った。「帰りの電車で見かける彼女たちはね、川が流れていくのを見ながら、とても静かに座っているの」

彼女は髪を一筋、引っ張って口元までもっていくと、考え込むように髪の先を嚙んだ。「ずっと話してたら眠れないわね。そろそろ眠っていいわよ」

「続けて。興味があるんだ」

「あなたが興味あるのはわかるわ。だから寝てちょうだいって言ってるの。だって、このまま話し続けていたら、サリーのことを話すことになるわ。それってフェアじゃない気がするのよね」

彼女は音を立てずにそっと髪の毛を嚙んだ。

「誰にも言うなって言われたわけじゃないのよ。はっきりそう言われたわけじゃないってこと。それがおかしな話なの。この話、名前とか色々変えて、あなたの小説に使っていいわよ。ねえ、フレッド」彼女はもう一つ、リンゴに手を伸ばしながら言った。「胸の前で十字を切ってから、自分の肘にキスしてちょうだい」おそらく曲芸師なら自分の肘にキスくらいできるのだろうけど、僕はキスする仕草で許してもらった。他言するつもりはない。

「そうねえ」と、彼女はリンゴを頬張りながら言った。「あなたも新聞で彼のことを読んだことがあるかもしれないわ。名前はサリー・トマトって言うの。彼は英語があまり上手じゃないわ。私のイディッシュ語の方がましなくらい。でも彼、可愛らしいおじいさんで、もの凄く信心深いのよ。金歯がなければ、修道士に見えるわね。毎晩、私のために祈ってくれているんですって。もちろん彼は私の元恋人とか、そういうんじゃないのよ。彼のことを知った時には、彼はすでに刑務所の中にいたの。でも、この7ヶ月、毎週木曜日に彼に会いに行っていたら、今では彼のことが大好きになったわ。もし彼がお金をくれなくても、会いに行くんじゃないかしら。このリンゴ、やわらかすぎるわ」彼女はそう言うと、リンゴの食べ残しを窓の外に投げ捨てた。

「でもね、前にもサリーを見かけたことはあったの。彼、そこの角にあるジョー・ベルのバーによく来ていたのよ。誰にも話しかけずに、ただそこに立っていて、ホテル暮らしをしている人みたいだったわ。でも、思い返してみると、おかしいのよ。あの人、私をじっと眺めていたんですって。というのもね、彼が刑務所に送られて、(ジョー・ベルは新聞に載ってる彼の写真を見せてくれたわ。黒手組とかマフィアとか、わけのわからない言葉が載っていて、結局、彼は5年の懲役を言い渡されたんだけど、)その直後に弁護士から電報が届いたのよ。私のためになる話があるから、すぐに連絡してって」

「誰かが君に100万ドルの遺産を遺していたとでも思ったのかい?」

「全くそんな風には思わなかったわ。バーグドルフが洋服代を請求してきたんだわって思ったのよ。でも私は思い切って、その弁護士に会いに行ったわけ。(本物の弁護士なのか、あやしいものね。だって事務所がないみたいなのよ、いつもハンバーグ・ヘブンで会いたいって言うの。なにしろ彼は太ってるのよ。ハンバーガーを10個と、野菜のつけ合わせを2皿と、それからレモン・メレンゲパイを丸々1個平らげるのよ。)彼に寂しい老人を元気づけてほしいって言われたわ。代わりに週に100ドルくれるからって。だから、私は言ってやったの。どちらのミス・ゴライトリーをお探しですか?って。私はそっち方面の、いやらしいお世話をする看護婦ではないのよ。謝礼金なんかで私は動かされなかったわ。化粧室に何度か行くだけで、それくらい稼げるわ。ちょっと粋な紳士なら、女の子がお手洗いに行く時にチップとして50ドルはくれるわ。私はいつもタクシー代もおねだりするから、もう50ドルよ。でもね、その時、彼が依頼人はサリー・トマトだって言ったのよ。サリーはいつも遠くから私を眺めて憧れていたんですって。もし私が週に一度、彼に面会に行けば、それは善い行いを積むことにならないかって言われたら、嫌とは言えなかったわ。それってロマンチックすぎるじゃない」

「よくわからないけど、本当の話だとは思えないよ」

彼女は笑みを浮かべた。「私が嘘をついていると思ってるのね」

「第一、誰でも囚人に面会できるわけないよ」

「ああ、そうね、できないわ。実際、つまらないごたくを並べられて、入れてくれないわ。私は彼の姪ってことにしてるのよ」

「そんな単純なことなのかい? 1時間話すだけで彼は君に100ドルくれるっていうの?」

「彼からじゃないわ、弁護士を通してよ。私がお天気情報を伝えると、すぐにオショーネシーさんが私に現金書留を送ってくれるのよ」

「君は色々と面倒なことに巻き込まれると思うよ」と僕は言って、部屋の明かりを消した。朝日が部屋の中に入り込み、もう明かりは必要なかった。鳩が非常階段でクルックーと鳴いていた。

「どういうこと?」と、彼女は深刻そうに言った。

「身分をいつわると何かの罪になるはずだよ。そもそも君は彼の姪じゃないんでしょ。それにそのお天気情報ってなんなの?」

彼女はあくびをすると、口を軽く叩いた。「なんでもないのよ。ただ電話の応答サービスにメッセージを残しておくだけよ。それでオショーネシーさんが、私が面会に行ったことを確認するの。サリーに言われた通りに言うのよ。たとえば、キューバにはハリケーンが来ているとか、パレルモでは雪が降っているとか。心配しないで、ダーリン」彼女はベッドに向かって歩み寄りながら言った。「私は長い間ずっと自分のことは自分でちゃんとやってきたんだから」

朝の光が彼女の体を通して屈折しているように見えた。彼女が掛け布団を僕の顎のところまで引っ張った。その時の彼女は透き通った子供のように煌めいていた。それから、彼女は僕の隣に横たわった。

「こうしていてもいいかしら? ちょっと休みたいだけなの。もう何も言うのはやめましょう。眠っていいわよ」

僕は寝たふりをした。僕は意識的に深く、一定のリズムで呼吸をしていた。隣の教会の時計塔が30分おきに鐘を鳴らし、1時間が経った。

6時になった時、彼女は僕の腕に手を置いた。僕を起こさないように気をつけて、そっと触れるように。

「かわいそうなフレッド」と彼女は囁いた。僕に話しかけているようだったが、そうではなかった。

「どこにいるの? フレッド。寒いんだから。吹雪いているわ」

彼女は頬を僕の肩に寄り添うように押し当てた。その重みは温かく濡れていた。

「どうして泣いているの?」

彼女はさっと身を引いて、体を起こした。「ああ、まったくもう」と彼女は言って、窓と非常階段の方へ歩いていった。「私、色々聞いてくる人って大嫌いなの」


翌日の金曜日、帰宅すると、僕の部屋の前に〈チャールズ・アンド・カンパニー〉の凄く豪華なバスケットが置かれていて、あの「ミス・ホリデー・ゴライトリー、旅行中」という彼女の名刺が添えられていた。

その名刺を裏返すと、意外にも、ぎこちない幼稚な筆跡でこう走り書きされていた。「あなたに感謝します、フレッド。昨夜のことはどうかお許しください。あなたはずっと天使のように親切にしてくれたわ。千の優しさを込めて、ホリーより。追伸、もうお邪魔しません」

僕は「また来てください」と返事を書いた。そして僕が買える程度の街頭売りのスミレの花束とともに、その紙切れを彼女の部屋の前に置いた。

しかし、どうやら彼女は本気でそう書いたらしく、しばらくの間、彼女を見かけることも、彼女から連絡が来ることもなかった。きっと彼女は階段下の玄関の鍵も手に入れたんだろうな、と思った。

いずれにしても、彼女は僕の部屋のベルを鳴らさなくなったのだ。僕はそれを寂しく思っていたのだが、日が経つにつれて、じわじわと彼女に対して、いわれのない憤りを感じ始めた。まるで親友に無視されているような気分だった。

落ち着かない孤独感が僕の生活に入り込んできた。それでも、昔から知っている友人に会いたいという気も起こらなかった。今では彼らは塩気もなく砂糖気もない食事のような存在に思えていたから。

水曜日までには、ホリーのことで頭がいっぱいになっていた。シンシン刑務所とサリー・トマトのことや、化粧室に行く女性に50ドル手渡す男たちのいる世界のことが繰り返し頭をよぎり、仕事が手につかないほどだった。

その夜、僕は彼女の郵便受けにメッセージを入れた。「明日は木曜日だよ」と。

翌朝、嬉しいことに彼女から二枚目のメモが僕の郵便受けに入っていた。そこには子供っぽい筆跡でこう書かれていた。「思い出させてくれて感謝します。よかったら今夜6時頃、一杯飲みに私の部屋にいらっしゃいませんか?」

僕は6時10分まで待ち、それから、さらに5分経ってから、わざと遅れて行った。

見知らぬ男が彼女の部屋のドアを開けた。彼から葉巻とクニーシェのコロンの匂いがした。彼の靴はヒールがやたらと高かった。あのような身長を数インチも高く見せる靴を履いていなければ、彼の印象はだいぶ変わり、小人に見えることだろう。彼のはげた斑点のある頭は小人の頭みたいに大きく、その両脇には、先がとがっていて、まさに小妖精のような耳がついていた。彼はペキニーズ犬のような、情のない感じの、少し飛び出た目をしていた。耳からも鼻からも毛が飛び出していて、彼の顎は午後になって生えてきたひげで灰色だった。それから、握手した彼の手はほとんど毛で覆われていた。

「あの子はシャワーを浴びてるよ」と彼は言って、葉巻を挟んだ指で水の音がする方を差した。別の部屋からシャーという水音が聞こえていた。

僕たちが立っていた部屋は、(座るものがなかったので立っていたのだが、)ついさっき引っ越してきたばかりといった様子で、まだ乾いていないペンキの匂いがしてきそうな部屋だった。スーツケースと、まだ開けていない木製の箱がいくつかあるだけで、家具らしきものはなかった。それらの木箱がテーブルとして使われていた。箱の上には、混ぜ合わせてマティーニを作るためのお酒が置かれていた。

別の箱の上には、ランプと、リバティーフォンと、ホリーの赤茶色の猫と、花瓶が載っていて、花瓶には黄色いバラが数輪生けられていた。壁の一面が本棚になっていて、書籍が誇らしげに、一つの棚の半分を占めていた。僕はすぐに心がなごむ部屋だと感じ、その借りの住まい的な雰囲気が気に入った。

その男は咳払いした。「君は招待されてるのか?」

彼は僕のうなずき方が曖昧だったのを見て取った。彼は冷ややかな視線で僕の体を、手術でスパッと切り込むかのように見てきた。

「いろんなやつがここに来るんだが、大体、招待されていないやつらだ。あの子と知り合って長いのか?」

「あんまり長くはないけど」

「そうか、あの子と長い付き合いではないんだな?」

「僕は上の部屋に住んでいるんです」

そう答えたのは正解だったらしく、彼は緊張が解けたようだった。

「君の部屋も同じ間取りか?」

「ここよりずっと狭いです」

彼は葉巻の灰を床に落とした。

「ここはしけたアパートだ。こんなところに住むなんてありえない。しかし、あの子は金を手に入れてもなお、まともな暮らし方がわからないんだ」彼の演説風の話しぶりには耳ざわりな金属性のリズムがあり、テレタイプを思わせた。

「それで」と彼は言った。「君は彼女のことをどう思う? 彼女はあれなのか、そうじゃないのか?」

「彼女がなんですか?」

「まやかしかってことだよ」

「そんな風に思ったことはないです」

「君は間違ってるよ。彼女はまやかしなんだ。しかし、その一方で君は正しくもある。彼女はまやかしではない。なぜなら彼女は本物のまやかしだからな。彼女は自分が信じるものは、がらくただろうとなんだろうと、全部信じるんだよ。馬鹿げてるからやめろって言っても、誰も彼女を説得できやしない。俺は頬に涙を流しながら、彼女に言い聞かせようとしたんだ。ベニー・ポーランも試みた。どこに行っても尊敬を集めるベニー・ポーランでもだめだったんだ。ベニーは内心、彼女と結婚したかったんだが、彼女は全く乗り気じゃなかった。ベニーはたぶん何千ドルも払って、精神科医のところに彼女を連れて行ったんだ。でも、あの有名な医者でさえ、ドイツ語しか話せない医者なんだが、そいつでさえお手上げだった。君だってできやしないよ」彼は拳を握った。見えない何かを叩きのめそうとしているかのようだ。「彼女の考え方を変えるのは君にも無理だよ。いつかやってみるといい。彼女が信じているくだらないことを聞き出してみな。忘れずにな」と彼は言って、さらに続けた。「俺はあの子が好きなんだ。みんな彼女を好きになる。彼女のことが好きじゃないやつだってたくさんいるが、俺は好きだ。心からあの子が好きなんだ。俺は感受性が強いからな、だからだよ。彼女の良さを正しく理解するには感受性が必要なんだ。詩人性と言ってもいい。しかしな、君に真実を教えておこう。君はあの子のために知恵をしぼって、あれこれ手をつくすだろうが、彼女は君に馬鹿げた見返りしかよこさないぞ。たとえば、そうだな、君の目には彼女はどんな子に見える? 睡眠薬のセコナールを瓶の底まで飲みつくしたあげく新聞に載るような、彼女はまさにそういう女の子なんだ。俺はそういうことが起こるのを、君が足の指まで使って数えても数え切れないくらい何度も目にしてきたんだよ。そういう子たちはみんな、いかれてなんかいなかった。ただ、彼女はいかれてるよ」

「でも若いじゃないですか。彼女の目の前には、まだまだ若さ溢れる膨大な時間が広がっていますよ」

「もし彼女の将来について言ってるのなら、君はまた間違っている。もう2年も前になるが、彼女が西海岸にいた時、将来が変わるかもしれないチャンスがあったんだ。状況が彼女を後押ししていたし、映画関係の連中も彼女に興味を持っていた。彼女はその流れに乗ることができたんだ。しかしな、そんな時に、あんな風に、ばっくれて、どこかに行っちまったら、もう戻れないんだよ。ルイーゼ・ライナーに聞いてみな。スターだったライナーでさえ戻るのが大変だったんだ。ましてやホリーはスターどころか、スチール写真の仕事以外はまだやったことがない駆け出しだった。あれは『軍医ワッセル大佐』の撮影直前だったよ。あの時、彼女は波に乗ることができたんだ。俺にはわかるんだよ、いいか、彼女を後押ししてやったのは、この俺だからな」彼は自分に葉巻を向けた。「俺はO.J.バーマンだ」

彼はそこで僕が彼を認識するのを期待していた。僕としても彼の望み通りの反応をしてもよかったのだが、ただ、O.J.バーマンという名前を聞いたことは一度もなかった。あとでわかったことだが、彼はハリウッドで俳優の代理人をしていた。

「彼女に最初に目をつけたのは俺なんだ。サンタアニタ競馬場でな。彼女は毎日競馬場のトラックの辺りをうろついていて、俺は興味を持った。あくまでも仕事としてスカウトしたかったんだ。彼女はある騎手と付き合っていて、そいつと一緒に暮らしていることがわかった。つまらないやつだったよ。俺がそいつに話をつけたんだ。不道徳な行為を取り締まってる連中とお話したくなかったら、おとなしく彼女から手を引きなってな。なにしろ彼女はまだ15歳だったからな。それにしても彼女には光るものがあった。申し分なく売れると思ったよ。たとえこんなに分厚いメガネをかけていたって、口をぽかんと開けていたって、彼女が山岳地帯出身だろうが、オクラホマ出身だろうが、どこ出身だろうと、そんなこと関係なく彼女は輝いていた。俺は今でも彼女の出身地を知らないし、おそらくこれからも、彼女がどこから来たかなんて誰にもわからないだろうな。彼女はとことん嘘をつくからな。嘘をつきすぎて、どれが本当のことなのか自分でもわからないんじゃないか。ただ、あのひどいなまりを直すのに1年もかかったよ。最終的に効果があったのは、フランス語のレッスンを受けさせることだった。フランス語の口真似ができるようになると、すぐに英語の口真似もできるようになったよ。なんとか彼女をマーガレット・サラヴァンみたいな女優に仕立て上げようとしたんだ。ただ、彼女には他の誰にもない素質があった。それで、みんなが興味を持ったんだ。大物連中もな。その筆頭格がベニー・ポーランだった。みんなに尊敬されてるベニーが彼女との結婚を望んだんだ。代理人としても光栄なことだったよ。それからドカンだ! 『軍医ワッセル大佐』は見たか? セシル・B・デミル監督、ゲイリー・クーパー主演だ。豪華だろ。俺は身を粉にして根回ししたよ。準備は整って、彼女はドクター・ワッセルの看護婦役でカメラテストを受ける手はずになっていたんだ。まあ、看護婦の一人だったがな。そしたらドカンだ! 電話が鳴ったよ」彼は空中で受話器を取る仕草をして、それを耳に当てた。「ホリーよ、と彼女は言う。ハニー、なんだか声が遠いじゃないか、と俺は言う。今ニューヨークにいるのよ、と彼女は言う。いったいニューヨークで何やってるんだ? 今日は日曜日で、明日はカメラテストの日だぞ、と俺は言う。私、ニューヨークに一度も来たことがなかったから、来ちゃったのよ、と彼女は言う。すぐに飛行機に飛び乗って、さっさと戻ってこい、と俺は言う。嫌よ、と彼女は言う。何をたくらんでいるんだい? お嬢ちゃん、と俺は言う。あなたは仕事をうまく進めたいんでしょうけど、私は望んでいないのよ、と彼女は言う。じゃあ、君はいったい何を望んでいるんだ? と俺は聞く。そして彼女は言う、それがわかったら、真っ先にあなたに教えるわ。どうだ、俺の言いたいことがわかるか、つまり、彼女は全くナンセンスなんだよ」

赤茶色の猫が木箱から飛び降りて、彼の足に体をこすりつけた。彼は靴のつま先で猫を持ち上げて、そのままぽんと放り投げた。それはひどい行為だったが、彼は猫なんか気にも留めていないらしく、自分自身のいら立ちだけが頭にあるようだった。

「これが彼女の望んでいたことなのか?」彼は両腕を大きく広げて言った。「招かれてもいないのに、いろんなやつがやって来て、チップをもらって生活して、遊び人たちと遊び回ることを望んでいたのか? そうして彼女はラスティー・トローラーと結婚するんだろうな。そしたら名誉の勲章を彼女の首にかけてやるべきか?」彼はじっと僕をにらみながら、僕が何か言うのを待っていた。

「すみません、その人が誰なのかわからないです」

「ラスティー・トローラーのことも知らないのか? 君はあの子のことを全然知らないんだな。話にならない」と彼は言って、巨大な頭の中に響かせるように舌打ちした。「君なら、何か良い影響をもたらしてくれると期待したんだ。手遅れになる前に、あの子をまっとうな人間にしてくれるってな」

「でも、あなたの話によると、もう手遅れなんですよね」

彼は口から煙の輪を飛ばして、それが消えるのを待ってから微笑んだ。その微笑みが彼の顔つきを変えた。内側にあった優しさがにじみ出てきたようだった。

「俺はもう一度なんとかしてやれると思ってるんだ」と彼は言ってから、こう続けた。今度は本気で言っているように聞こえた。「さっきも言っただろ、俺は心からあの子が好きなんだ」

「どんな陰口を広めているのかしら? O.J」ホリーが水滴を辺りに飛ばしながら部屋に入ってきた。タオルを体にどうにかこうにか巻きつけている。床に彼女の濡れた足跡ができた。

「いつもの話だよ。君がいかれてるって話してたんだ」

「フレッドはもうそんなこと知ってるわよ」

「しかし君自身はまだわかってないだろ」

「タバコに火をつけてくれるかしら、ダーリン」と彼女は言って、シャワーキャップをさっと取ると、髪を振った。「あなたに頼んでるんじゃないわ、O.J。あなたって下品なのよね。いつもタバコの吸い口を唾液で濡らすんだもの」

彼女は猫をすくい上げると、自分の肩にひょいと載せた。猫は鳥のようにうまくバランスをとって、肩につかまっていた。前足を彼女の髪の毛にもつれさせている。その様子はまるで糸を編んでいるようだった。しかし、そんな愛嬌のある、おどけた仕草にもかかわらず、猫の顔には海賊のような凄みがあって、ぞっとした。片方の目は接着剤を塗ったようにふさがっていて、もう一方の目は悪事を隠しているかのようにギラリと光っていた。

「O.Jは不潔なのよ」と彼女は僕に言って、僕が火をつけたタバコを受け取った。「でもね、彼はもの凄くたくさんの人の電話番号を知ってるのよ。デヴィッド・O・セルズニックの番号は何番だったかしら? O.J」

「からかうのはやめてくれ」

「からかってなんかいないわ、ダーリン。彼に電話してほしいのよ。彼にフレッドは天才だって伝えてほしいの。彼はもの凄い数の最高に素晴らしい物語を書いてるのよ。あら、照れないで、フレッド。あなたが自分で天才だって言わないから、私が言ってあげたのよ。ねえ、O.J、なんとかフレッドをお金持ちにしてあげられないかしら?」

「そういうことなら、俺とフレッドで話をつけさせてくれないか」

「覚えておいて」と、彼女は僕たちから遠ざかりながら言った。「私が彼の代理人なのよ。もう一つ、私が大声で呼んだら、背中のファスナーを上げに来てちょうだい。それから、誰かがノックしたら、中に入ってもらって」

たくさんの人が訪ねてきて、15分もしないうちに部屋は男たちで溢れかえった。軍服を着ている男も何人かいる。数えてみると、海軍将校が二人と空軍大佐が一人いたが、後から次々と、徴兵年齢をすでに過ぎている上の世代の男たちがやって来て、軍服の彼らは少数派となった。若さが欠けていることを除けば、訪問客たちにこれといった共通点はなく、彼らはみんな他人同士のようだった。実際、男たちは部屋に入ってくると、お互いの顔を見て、そこに他の男がいることにうろたえた表情を見せた。それから、なんとかそれを押し隠して平静を装っていた。あの女主人があちこちのバーをはしごしながら、招待状を配りまくったのではないかと思えてきた。おそらく実際にそういうことだったのだろう。しかし、最初は顔をしかめるものの、彼らは不満を口にすることもなく、お互いに打ち解けていった。

特にO.J.バーマンは、僕のハリウッドにおける脚本家としての将来について話し合うことを避けて、新しくやってきた男たちに熱心に声をかけていた。

僕は本棚の脇に一人で放っておかれた。そこに並んでいる本の半分以上は競馬に関する本で、残りは野球に関する本だった。『馬体とその見分け方』という本を手に取り、それに興味を持ったふりをしながら、僕は一人でじっくりとホリーの友人たちを品定めするように観察していた。

やがて一人の男が特に目につくようになってきた。彼は幼児の脂肪が中年になっても残ったままの子供のような男だった。どこかの腕のいい洋服屋が仕立てたスーツが、彼の肉付きのよい、思わず叩きたくなるようなお尻を上手に隠していた。彼の体に骨が通っているとは思い難(がた)く、顔の内側にも骨など全く埋められていないかのようだった。可愛らしく、こじんまりとした目鼻立ちの顔には、まだ手つかずの処女のような質感があった。まるで彼は生まれたままの姿でふくらんだかのようで、膨張した風船みたいに肌にはしわ一つなく、彼の口は今にもわめき声を上げ、かんしゃくを起こしそうな気配もあって、あどけない甘えん坊のように唇はすぼまっていた。

しかし、彼がひときわ目立っているのは外見のせいだけではなかった。外見に幼児性を残している男はそれほど珍しくもない。むしろ彼の立ち振る舞いが目を引いた。というのも彼は、そのパーティーの主(ぬし)が自分であるかのように行動していたのだ。活発に動くタコのように、彼はマティーニを振って作ったり、人を紹介したり、レコードプレーヤーを操作したりしていた。

率直に言えば、彼は女主人に指図されるままに動き回っていたのだ。「ラスティー、お願いしていいかしら? ラスティー、これも頼むわ」

もし彼が彼女に惚れているのなら、彼は嫉妬心を内側にうまく抑え込んでいたはずである。嫉妬深い男なら、彼女が部屋中を滑るように歩き回っている姿を見て、自制心を失っていたかもしれない。彼女は片手で猫を抱きながら、もう片方の手で、男たちのネクタイを直したり、襟についた糸くずを取ったりしていた。空軍大佐は身につけている勲章を彼女に磨いてもらっていた。

その男の名前はラザフォード(ラスティー)・トローラーといった。1908年に彼は両親を亡くした。父親は無政府主義者の犠牲となり、母親はそのショックが元で亡くなった。その二重の不幸により、ラスティーはわずか5歳にして孤児となり、億万長者となり、有名人となった。それ以来、彼は新聞の日曜特集にネタを提供してくれる人物となった。まだ小学生だった時、彼は名付け親であり後見人でもある男に同性愛的行為をされたと訴えて、その男が逮捕された。それを契機に彼は爆発的に世間の注目を集めた。その後、彼は結婚と離婚を繰り返し、日曜日のタブロイド紙をにぎわし続けた。彼の最初の妻は、離婚によって得た扶養手当と自らの身を、〈ファーザー・ディバイン〉のライバル教団に捧げた。二番目の妻についてはどうなったのかわからないが、三番目の妻は彼をニューヨーク州の裁判所に訴えた。彼女は証拠書類を鞄いっぱいに詰め込んで法廷に現れた。最後のトローラー夫人に関しては、彼の方から訴訟を起こして離婚したのだが、彼の主な申し立ては、彼女がヨットの上で反乱を起こしたというものだった。その反乱の結果、彼はドライ・トートガス諸島に置き去りにされたそうだ。それ以来、彼は独身を通していたが、戦争が始まる前に、ユニティ・ミットフォードにプロポーズしたことがあるようで、少なくとも、ケーブルを通じて、「もし君がヒトラーと結婚しないのなら、僕と結婚してほしい」という電報を彼女に送ったらしい。ウィンチェルが彼のことをいつも「ナチ」と呼ぶのは、このことが原因だと言われている。それと、彼がヨークヴィルでのナチの集会に何度か参加したという事実もあるようだ。

僕はこれらのことを人から聞いたのではない。僕は野球のガイドブックで、そういうあれこれを読んだのだ。ホリーの本棚から引き抜いたその本を、彼女はスクラップ・ブック代わりに使っているようだった。ページの間に挟み込まれていたのは、日曜版の特集記事やゴシップ欄の切り抜きだった。

「ラスティー・トローラーとホリー・ゴライトリーが『ヴィーナスの接吻』の初演を通路側の席で二人並んで鑑賞」

ホリーが背後からやって来て、僕がそれを読んでいるのを見つけた。

「ボストンのゴライトリー家のミス・ホリデー・ゴライトリーは、大富豪ラスティー・トローラーの毎日をホリデー(休日)に変える」

「私の評判に感心しているの? それともただの野球ファンかしら?」と言って、彼女はサングラスに手をやりながら、僕の肩越しに覗き込んできた。

僕は「今週のお天気情報はどうだった?」と聞いてみた。彼女は僕にウィンクしたが、彼女の目は笑っていなかった。警告の目配せだと感じた。「私は競馬は大好きだけど、野球は好きじゃないわ」と彼女は言っていたが、その声の裏で、「この前話したサリー・トマトのことは忘れてちょうだいね」と暗に言っているようだった。

「ラジオから流れてくる野球中継を聞くのも嫌なのよ。でも聞かないわけにはいかないでしょ。私が知りたいことの一部でもあるのよ。男の人が話すことって凄く限られてるじゃない。もし野球が好きじゃない人だったら、競馬が好きに違いないわ。どちらも好きじゃない人だったら、そうね、そしたら困ってしまうわ。そういう人って、そもそも女の子が好きじゃないのよね。それで、O.Jとはうまく話したの?」

「僕たちはお互いに同意して別れたよ」

「彼はチャンスをくれるわ。私を信じて」

「君のことは信じてるよ。でも、チャンスをくれるとしても、彼の心を打つようなものを僕が差し出せると思うかい?」

彼女は引き下がらなかった。「彼のところに行って、彼はおかしな外見をしてないって思わせてあげるの。そうすれば、彼はきっとあなたの力になってくれるわ。フレッド」

「君だって、彼にそこまで感謝してないんだよね」

彼女が不思議そうな顔をしたので、僕は『軍医ワッセル大佐』のことを話した。

「あの人はまだそのことをくどくど言ってるの?」と彼女は言って、部屋の向こう側にいるバーマンに向かって、愛情のこもったまなざしを投げかけた。

「でも彼の言うことにも一理あるわね。私は罪悪感を持つべきだわ。せっかく役をもらったのに、うまく演じることができたのにって、そういうことを思っているわけじゃないのよ。私はカメラテストで落ちただろうし、たとえ受かったとしても、うまく演じることなんてできなかったわ。私が罪悪感を持つとしたら、それは、私自身は少しも夢見ていないのに、ずっと彼に夢を見させちゃったことに対してだと思うの。少しは自分磨きになるかなと思って、しばらくの間、男の人たちに頼っていただけなのよ。映画スターになんかなれないってことは凄くよくわかっていたわ。とても難しい仕事だし、賢明な人なら恥ずかしくてやらないわね。恥ずかしさを受け入れるほどの劣等感は私にはないわ。映画スターって、凄く大きなエゴがないとやっていけないって思われてるけど、実際はエゴを持たないことが肝心なのよ。お金持ちや有名になりたくないわけじゃないの。ゆくゆくはそうなりたいっていう計画もあるし、回り道してもいつかはそうなるつもりよ。でも、もし私がお金持ちになったり、有名になったりしても、私は自分のエゴを捨てるつもりはないわ。ある晴れやかな朝に目覚めて、ティファニーで朝食を食べる時にも、今の私のままでいたいの。あなた、グラスを持ってないじゃない」彼女は僕の手が空いているのに気づいて言った。「ラスティー! 私のお友達にお酒を持ってきてくれるかしら?」

彼女はまだ猫を抱きかかえていた。「かわいそうな子猫ちゃん」と、彼女は猫の頭をくすぐりながら言った。「かわいそうに、この子には名前もないの。名前がないと、ちょっと不便よね。でも私にはこの子に名前をつける権利はないわ。ちゃんと誰かがこの子を飼ってくれるまで名前はお預けね。私とこの子はね、ある日、川のほとりで出会ったの。私たちはお互いにどちらのものでもないわ。この子は独立しているし、私もそうよ。私は自分と他のものが共存できる場所を見つけるまでは、ここだって思うまでは、なんにも所有したくないの。今はまだ、それがどこにあるのかわからないんだけどね。でも、そこがどんなところかはわかるわ」

彼女は微笑んで、猫を床に放してあげた。

「そこはティファニーみたいなところなの」と彼女は言った。「宝石に目がないとか、そういうことじゃないの。ダイヤモンドは素敵よ。でも、40歳になる前の女性がダイヤモンドを身につけても悪趣味よね。40歳を過ぎても身につけるのはリスクがあるわ。ダイヤモンドは素敵に年を取った女の子にこそ似つかわしいものよ。マリア・オースペンスカヤとか似合いそうね。しわが寄って骨張っていて白髪で、それでダイヤモンドを身につけていたら最高ね。今から年を取るのが楽しみだわ。でもね、私がティファニーに夢中なのは、そういう理由からじゃないの。ねえ、聞いて。たまにさもしい気分っていうか、赤い気分になる時ってあるでしょ?」

「それってブルーな気分と同じかな?」

「違うわ」彼女はゆっくりとした口調で話した。「ブルーな気分っていうのは、太っちゃった時とか、あとは、そうね、雨がいつまでも降り続いたりする時になるのよ。悲しくなるけど、ただそれだけ。でも、あの嫌な赤い色をした気分っていうのはね、ぞっとするほど恐ろしいの。怖くなって、めちゃくちゃに汗が吹き出て、でも、何が怖いのかわからないの。何か悪いことが起ころうとしているのはわかるんだけど、それが何なのかわからないのよ。あなたはそういう感覚になったことあるかしら?」

「しょっちゅうなるよ。それを専門用語で不安感って呼ぶ人もいるね」

「さすがね。不安感。でも、そういう気分の時、あなたはどう対処するの?」

「そうだな、酒がまぎらわしてくれる」

「それは私も試してみたわ。アスピリンを飲んでみたこともあるわよ。ラスティーはマリファナが効くって言うから、少しの間だけど、吸ってみたこともあるの。でも、ただくすくす笑っちゃうだけだったわ。私が見つけた一番効果のある方法はね、タクシーに飛び乗って、ティファニーに行くことよ。そうすると、すぐに気分がすっと落ち着くの。静かで誇らしげな店内。そこでは悪いことは何も起きないだろうって思えるの。素敵なスーツを着た親切な男の人たちがいて、銀製品やワニ皮の財布から漂う、うっとりするような香りに包まれていれば、悪いことなんて起きるはずないわ。ティファニーにいる時のような心地にさせてくれる、そんな場所が実生活でも見つかったら、家具を買って、猫に名前をつけてあげるつもりよ。考えてることがあるの。たぶん戦争が終わった後になると思うけど、フレッドと私で」彼女はサングラスを押し上げた。あらわになった彼女の瞳は、いろんな色が混じっていて、灰色と、かすかに青と緑色も入っていた。遠くを見つめるようなその眼差しには鋭さがあった。「一度メキシコに行ったことがあるの。馬を育てるには素晴らしい国だわ。海の近くにいい場所を見つけたの。フレッドは馬を飼うのが上手なのよ」

ラスティー・トローラーがマティーニを持ってやって来た。そして僕の顔を見ずに、それを差し出してきた。

「お腹すいちゃったよ」と彼は大きめの声でホリーに伝えた。彼の声は体の他の部分と同様に幼稚だった。相手が反論する気をなくすような子供っぽい言い方で、ホリーを責めている感じだ。「もう7時半だよ。僕はお腹ぺこぺこだよ。医者がなんて言ったか覚えてるよね?」

「ええ、ラスティー。お医者さんが言ったことなら覚えてるわよ」

「よし、じゃあ、ここはお開きにして、食事に出かけよう」

「お行儀よくしてちょうだいね、ラスティー」ゆっくりとした口調だったが、彼女の言い方には、女性家庭教師がお仕置きをほのめかしながら子供を𠮟りつけているような響きもあった。すると彼の顔が、感謝からか、それとも快感なのか、奇妙にピンク色に染まっていった。

「僕のことが好きじゃないんだね」と、彼は愚痴をこぼすように言った。あたかも彼らは二人きりでいるかのようだ。

「わがままな人は誰にも好かれないわよ」

彼女はまさに彼が聞きたいことをずばり言っているようだった。彼女の発する言葉が彼を興奮させ、そして彼を落ち着かせもした。

それでも彼は、いつもの決まり事のように続けて聞いた。「僕のこと愛してる?」

彼女は彼の頭をなでた。「しっかりみなさんをおもてなししてちょうだい、ラスティー。私の支度ができたら、あなたの好きなところに食べに行きましょう」

「チャイナタウン?」

「いいけど、スペアリブの甘酢煮はだめよ。お医者さんがなんて言ったか覚えているわよね?」

ラスティーが満足そうによたよたと歩いて雑用に戻っていくと、僕は彼女が答えなかった彼の質問を、もう一度彼女に聞かずにはいられなかった。

「君は彼を愛しているの?」

「あなたに言ったことあるわよね。相手がどんな人だって、愛そうと思えば愛せるのよ。それに、彼はとても辛い少年時代を送ったのよ」

「そんなに辛い過去だったら、どうして彼はいまだに過去にしがみついているんだい?」

「頭を使いなさいよ。わからないの? ラスティーはスカートをはくより、おむつをはいていた方が安心するのよ。本当はね、スカートをはく方が自然な選択なんだけど、彼はそのことに触れられると、凄く怒るの。あの人、バターナイフで私を刺そうとしたこともあるのよ。私が彼に、大人になって自分の問題と向き合いなさい、身を固めて、素敵なお父さんタイプのトラック運転手と、仮でもいいから家庭を築きなさいって言ったら、バターナイフを向けてきたの。それでとりあえず、私が彼の面倒を見ることになったのよ。それはいいのよ、彼は害のない人だもの。彼は女の子のことをお人形だと思っているの。大袈裟ではなく実際にそうなのよ」

「神に感謝するよ」

「そうかしら、男の人がみんな、あんな感じだったら、私は神に感謝なんてできないわ」

「僕は君がトローラーさんと結婚するつもりがないとわかって、神に感謝しているんだよ」

彼女は片方の眉をつり上げた。「ついでに言っておくと、彼がお金持ちだってことを私は知らないふりなんてしてないわよ。メキシコの土地だって、それなりにお金がかかるわ。さあ、今よ」と言って、彼女は僕を前にうながした。「O.Jをつかまえて話しましょう」

僕はO.Jと話すのをためらい、なんとか後回しにする方法はないかと頭を働かせた。その時、思い出した。「なぜ旅行中なの?」

「私の名刺のこと?」と、彼女は面食らったように言った。「あの名刺、何か変かしら?」

「変ではないよ。ただ、興味をそそられるね」

彼女は肩をすくめた。「結局、私が明日どこで暮らしているかなんて、私にもわからないわ。だから、旅行中って印刷してもらったの。いずれにしても、あんな名刺を注文したのはお金の無駄だったわ。何かちょっとしたものでもいいから、あそこで何かを買わなくちゃって思ったの。何も買わないと、なんだか借りを作るみたいでしょ。あの名刺はティファニーで作ってもらったのよ」

彼女は僕のマティーニに手を伸ばした。僕はまだ口をつけてもいなかったが、彼女は二口でそれを飲み干すと、僕の手を取った。

「ぐずぐずしないで。ほら、O.Jとお友達になるのよ」

その時、行く手を邪魔するかのように、玄関で何かが起こった。一人の若い女性が疾風のごとく、スカーフをなびかせ、貴金属をジャラジャラと鳴らしながら部屋に飛び込んできた。

「ホ、ホ、ホリー」と言って、彼女は立てた人差し指を振りながら前進してくる。「あなたはなんて、よ、よ、欲張りなのよ。こんなにう、う、うっとりするようなお、お、男の人たちを一人占めにしてるなんて!」

彼女の身長は6フィートを優に超えていて、そこにいるほとんどの男よりも高かった。男たちは背筋をピンと伸ばして、お腹をへこませた。彼女のゆさゆさと揺れる体と、なんとか全身で張り合おうという競争が繰り広げられていた。

ホリーは「あなた、ここでいったい何してるのよ?」と言って、唇をピンと張られた弦のように真一文字に結んだ。

「あら、た、た、たまたまなのよ、あなた。私は上の階でユニオシさんと仕事をしてたのよ。バ、バ、『バザール』のクリスマス用の写真を撮ってもらっていたの。あなた、そんなにかりかりしちゃって、どうしたの?」

彼女は周りの男たちに笑顔を振りまいた。「ねえ、み、み、みなさん、私がみなさんのパ、パ、パーティーに飛び入り参加しちゃって、ご迷惑だったかしら?」

ラスティー・トローラーがくすくす笑った。彼は彼女の筋肉にほれぼれしているかのように、彼女の腕をぎゅっとつかんだ。そして、何か飲みますかと彼女に訊ねた。

「もちろんいただくわ」と彼女は言った。「バーボンを作ってくださる?」

ホリーは彼女に「バーボンなんてないわ」と言い放った。

すると、空軍大佐がちょっと外に行ってボトルを買ってきますよ、と申し出た。

「あら、いいんですよ、そこまでしてもらうわけにはいかないわ。私はアンモニア水で満足よ。ねえ、ホリー」と、彼女はホリーを軽くつつきながら言った。「私のことは気にしないでちょうだい。自己紹介くらい自分でできるわ」

彼女はO.J.バーマンに向かって身を屈めた。背の低い男が背の高い女性と向き合うと大抵そうなるが、彼は羨望のまなざしで、ぼんやりと彼女を見上げていた。

「私はマグ・ワ、ワ、ワイルドウッドっていうの。アーカンソー州のワイルド、ウ、ウ、ウッド出身よ。山国から来たのよ」

ダンスを踊っているかのように、バーマンは他の男が二人の間に割り込んでくるのをうまくかわしながら、彼女と話していた。

やがて、彼女はまるでカドリールを踊るように、彼から離れ、他の男たちの前へと移っていった。鳩に投げ与えられるポップコーンのような彼女のどもりがちの冗談を、彼らはむさぼるように聞いていた。それは誰が見ても納得の成功だった。彼女は醜さに勝利したのだ。そういう女性が本当に美しい人よりも男を魅了する、ということはしばしば起こる。たとえ、そこに錯覚が生じているだけだとしても。

マグ・ワイルドウッドの場合、細心の注意を払って、地味ながらも趣味の良い服を着こなし、巧みに身なりを整える、というようなことはせずに、むしろ欠点を強調することで男を魅了するという手品のような方法なのだ。つまり、彼女は欠点を大胆に受け入れることで、その欠点を煌びやかなものに変えているのだ。

たとえば、彼女は足首が震えるほどの高いハイヒールを履いて、元々の高身長を強調していたし、海水パンツだけでビーチに行けるのではないかと思わせるほどの平らな胸を示すように、体にぴったりとした服を着ていた。さらに、髪の毛を後ろできつく束ねて、彼女のファッションモデルらしい瘦せこけた顔を目立たせていた。

元々どもりはあるのだろうが、少し誇張しているふしもあり、どもりでさえ、彼女の利点となっていた。彼女のどもりは神技のようだった。それによって、まず、ありふれた言葉が幾分個性的に聞こえたし、第二に、彼女は背も高く、態度も大きいにもかかわらず、彼女のどもりを聞くと、男たちは彼女をかばってあげたくなるのだ。

例を挙げると、バーマンは彼女に「ト、ト、トイレはど、ど、どこにあるのかしら、教えて下さらない?」と言われて、むせてしまい、彼女に背中を叩いてもらうことになった。それから息が整うと、彼は腕を差し出し、案内しますよ、と申し出た。

「そこまでしてあげる必要はないわ」とホリーが言った。「彼女は前にもここに来たことあるのよ。トイレの場所くらい知ってるわ」

ホリーは置いてあった灰皿の灰を捨てていた。そして、マグ・ワイルドウッドが部屋を出ていくと、彼女が使っていた灰皿も空にした。それから、ため息をつくように言った。「本当に悲しいことだわ」彼女は間を置いた。何が悲しいのかを聞きたそうに見ている男たちの人数をざっと数えるには、十分すぎる間だった。「彼女って謎めいているのよね。謎めいていることがもっと前面に出てきてもいいはずなんだけど。でも、わからないものね、彼女は健康的に見えるのよね。ほら、とても清潔そうでしょ。それが驚かされるところなのよ」彼女は悩ましげな表情で、誰にともなく問いかけた。「彼女って清潔そうに見えるでしょ?」

誰かが咳をして、何人かがホリーの美しさに生唾を飲み込んだ。海軍将校はマグ・ワイルドウッドのグラスを預かっていたのだが、それを置いた。

「でも、そうね」とホリーは言った。「彼女みたいな南部出身の女の子たちって、大体みんな同じような問題を抱えているらしいわね」

彼女は優美に体を震わせてから、少なくなった氷を取りにキッチンへ向かった。

マグ・ワイルドウッドが部屋に戻ってくると、先ほどまで温かかった雰囲気が突如として冷めていた。彼女はどうして冷めてしまったのか理解できないままに何人かに話しかけてみたが、会話は生木を燃やすように、煙りはするが、燃え上がってくれなかった。

もっと許せないのは、男たちが彼女の電話番号を聞くこともなく、彼女から離れていくことだった。空軍大佐は彼女が後ろを向いている隙に逃げ出してしまった。これで彼女の心は打ち砕かれてしまった。先ほど、彼は彼女を食事に誘っていたのだ。

突然、彼女の目の前が真っ白になった。そして、涙によってマスカラが落ちてしまうように、体に流し込んだジンによって、彼女の策略は流れてしまった。瞬く間に彼女の魅力は消え失せていた。

彼女は誰彼かまわず八つ当たりを始めた。彼女はホリーのことを「ハリウッドの堕落女」と呼び、50代の男にけんかをふっかけ、さらにバーマンに向かって、「ヒトラーは正しい」と言った。

彼女はラスティー・トローラーを腕でぐいぐい押して、部屋の隅に追いつめたのだが、彼は嬉しそうだった。「これからあんたをどうするかわかる?」と彼女は言った。どもる気配は全くない。「これから動物園まで連れていって、あんたをヤクの餌にするんだよ」彼はまんざらでもない様子だったのだが、そこで彼女がずるずると床の上にへたり込んでしまった。残念そうな彼の足元で、彼女は座り込んだまま何かの歌を口ずさんでいた。

「あなたにはうんざりだわ。さっさと立ってちょうだい」と、ホリーは手袋を両手で引き伸ばしながら言った。

パーティーに残っていた男たちは玄関でホリーを待っていたのだが、マグが全く動こうとしないので、ホリーは僕に申し訳なさそうな視線を送ってきた。

「フレッド、お願いを聞いてくれるかしら? 彼女をタクシーに乗せてあげてちょうだい。彼女はウィンスローに住んでるの」

「そこじゃないわ。今はバービゾン・ホテルに住んでるのよ。電話はリージェント4-5700よ。私に用がある時は、マグ・ワイルドウッドって言って呼び出してもらって」

「頼むわね。感謝してるわ、フレッド」

ホリーは男たちと一緒に出掛けてしまった。

この大女を抱えて下まで連れて行き、タクシーに押し込むことを考えると、腹立たしい気持ちさえどこかに吹き飛んでしまった。でも彼女自身がその問題を解決してくれた。彼女は自力で立ち上がると、よろめきながらも高慢な態度で僕を見下ろしてきた。

彼女は「ナイトクラブに行きましょう。タクシーをつかまえて」と言ったかと思うと、斧で切り倒された樫の木のように、直立不動のまま倒れてしまった。

まず頭に浮かんだのは医者を呼ぶことだった。しかし手を当ててみると、脈拍は正常だったし、呼吸も安定していた。彼女は単に眠っているだけだった。枕を見つけてきて、彼女の頭をその上にそっと載せた。そして、ゆっくり休んでもらおうと、僕は彼女を残したまま、ホリーの部屋をあとにした。


翌日の午後、僕は階段でホリーとばったり会った。

「ちょっと、あなた」と、彼女は薬局の袋を手に持ち、足早にすれ違いながら言った。「あんなところに寝かせて。彼女、肺炎になりかけてるのよ。二日酔いで頭も痛いって言ってるし、その上、あの嫌な赤い気分にもなってるみたいなのよ」

マグ・ワイルドウッドはまだ彼女の部屋にいるのだと僕は推測した。昨日はあんなに冷たい態度をとっていたくせに、どういう風の吹き回しだろうかと思ったが、その理由を聞く間も与えてもらえず、彼女は自分の部屋に入ってしまった。

週末になって、謎はいっそう深まった。まず、ラテン系の男が僕の部屋を訪ねてきた。ミス・ワイルドウッドは元気かと聞いてきたので、部屋を間違えたのだろう。でも、なかなか彼の間違いを訂正することができなかった。というのは、言葉のアクセントがお互いに聞き慣れないものだったからなのだが、そんな風に話し込んでいるうちに、僕はすっかり彼に魅了されてしまった。

彼は神が念を入れて形作ったような人物だった。茶色い髪に闘牛士のような体つきが絶妙に合っていて、リンゴやオレンジのように、自然が織りなした完璧な姿をしていた。さらに装飾的な要素も素晴らしく、彼はイギリス製のスーツを着て、爽やかな香りのコロンをつけていた。そして、それ以上に彼がラテン系らしくないのは、彼の腰の低い態度だった。

その日、もう一つ起こった出来事にも彼がかかわっていた。夕方近くになり、僕は夕食を外で食べようと思い、アパートを出たのだが、そこで彼を見かけた。彼はタクシーで到着したところだった。タクシー運転手が手助けしながら、彼はよろよろと、いくつものスーツケースをアパートの中へ運び入れていた。

僕は考える種を与えられ、日曜日まであれこれと考え続けた。その種をしゃぶり続けた結果、僕の頭はへとへとに疲れてしまった。それから、事の成り行きが見えてきた。その輪郭が段々とはっきりしてくるにつれて、僕の気分は暗くなっていった。


日曜日は小春日和だった。日差しも強く、僕は窓を開けていた。すると、非常階段から話し声が聞こえてきた。

ホリーとマグがそこに毛布を敷いて、くつろいでいた。二人の間には猫もいた。二人の髪は洗い立てで、だらりと下に垂れていた。二人ともせっせと手を動かしていた。ホリーは足の爪にペディキュアを塗り、マグはセーターを編んでいる。

マグが話していた。「私に言わせれば、あなたはこ、こ、幸運よね。少なくとも一つ、ラスティーに関して良い点があるわ。彼がアメリカ人だってことよ」

「彼のことは良かったと思っているわ」

「ねえ、まだ戦争は続いているのよ」

「戦争が終わったら、私はもうここにはいないから、あなたとも会うことはなくなるわね」

「私はそんな風には思えない。私は自分の国をほ、ほ、誇りに思っているの。私の家族の男たちはみんな立派な兵隊さんだったわ。おじいちゃんのワイルドウッドの銅像が、ワイルドウッドの町のど真ん中に立っているのよ」

「フレッドも兵隊さんなのよ」とホリーは言った。「でもフレッドがいつか銅像になるかしらね? ありえるわ。ほら、馬鹿な人ほど勇敢だって言うじゃない。彼はかなりのお馬鹿さんなのよ」

「フレッドって上の階の、あの男の子? 彼が兵隊さんだとは思わなかったわ。でも、たしかに馬鹿みたいな顔してるわね」

「あの人には憧れがあるのよ。馬鹿ではないわ。彼はね、自分の内側にいて、外を眺めていたい人なの。ガラスに鼻を押しつけて、こっちを見てる人って大体、馬鹿みたいに見えるでしょ。とにかく、彼は違うフレッドよ。私が言っているのは兄のフレッド」

「あなたは自分のみ、み、身内をお、お、お馬鹿さん呼ばわりするわけ?」

「実際そうなんだから、仕方ないじゃない」

「あのね、そういうことは言うものじゃないわ。兵隊のお兄さんはね、あなたや私や、私たちみんなのために戦っているのよ」

「なによそれ? 軍事公債の集会みたい」

「あなたに私の考え方をわかってほしいだけなの。私も冗談は好きよ。でもね、一皮めくれば、私はま、ま、真面目な人間なのよ。アメリカ人であることを誇りに思っているわ。それで、ホセのことで悩んでいるの」彼女は編み針を下に置いた。「あなたが見ても、彼って凄くハンサムだと思うでしょ?」

ホリーは「うーん」と曖昧な声を出すと、ペディキュアを塗っていたブラシで猫のひげをさっと撫でた。

「ブラジル人とけ、け、結婚するっていう考えを受け入れることができればいいんだけどね。そして私自身がブ、ブ、ブラジル人になればいいのよね。でもやっぱり、渡るには大変な渓谷だわ。六千マイルも離れているし、言葉もわからないし」

「ベルリッツに通いなさいよ」

「ベルリッツでポ、ポ、ポルトガル語なんて教えてるわけないじゃない。ポルトガル語を話してる人なんていないんだから。やっぱり無理だわ。ホセに政治のことを忘れてもらうしかないのよ。そして彼にアメリカ人になってもらうの。彼ったら、ブラジルのだ、だ、大統領になりたいなんて言ってるのよ。あきれちゃうわ」彼女はため息をつき、編み針を手に取った。「きっと私、彼に恋してるんだわ。あなた、私たちが一緒にいるところを見たでしょ。私が恋してると思った?」

「どうだったかしらね。彼って嚙みつく?」

マグは編み目をひとつ飛ばしてしまった。「嚙みつく?」

「あなたを、ベッドで」

「どうして? 彼はそんなことしないわ」それから彼女は、彼のあら探しをするように付け加えた。「でも彼ったら、笑うのよ」

「いいわね。健全だわ。ユーモアのわかる男って私も好きよ。男って大体、ハーハーあえいでるだけでしょ」

マグはホリーの発言に引っかかるところがあったのだが、言うのはやめて、それを自分に向けられた褒め言葉として受け入れた。「そうね、私もそう思うわ」

「わかったわ。彼は嚙まない。笑うのね。他にはあるかしら?」

マグは飛ばした編み目を数えると、もう一度やり直した。表編み、裏編み、裏編み…

「ねえ、ちょっと」

「聞こえてるわよ。べつに話したくないわけじゃなくて、なかなか思い出せないの。私、そういうことってあんまりか、か、考えないようにしてるのよ。あなたはじっくり考えるタイプみたいね。そういうことって夢みたいに、私の頭からすぐどこかへ消えちゃうわ。それがふ、ふ、普通だと思うけど」

「それが普通かもしれないわね。でも、私は普通よりも自然体でいたいのよ」ホリーは一旦口を止め、猫のひげを赤く塗ることに専念した。「ねえ、ベッドの上でのことを覚えられないようなら、明かりをつけたままでしてみたらどうかしら?」

「私のことわかってちょうだい、ホリー。私はとても、とても、すごく古い考え方の女なのよ」

「あら、馬鹿ね。あなたが好きな男の体なんだから、じっくり見たっていいじゃない。男って美しいのよ。世の中には美しい男がたくさんいるわ。ホセもそう。それを見たくないなんて、彼にしてみれば、冷めたマカロニを食べさせられるようなものね」

「も、も、もっと小さな声で喋ってよ」

「あなたが彼に恋してるはずないわ。さあ、これでさっきの質問の答えになったかしら?」

「なってないわ。私は冷めたマ、マ、マカロニじゃないわ。私は心の温かな女なの。それが私という人間の根底にあるのよ」

「わかったわ。あなたは温かい心を持っているんでしょうね。でも、もし私がベッドに入ろうとする男だったら、温かい心よりも湯たんぽに寄り添うわね。触って温かさを実感できるじゃない」

「ホセは不満なんて言わないわ」彼女は満足そうに言った。編み針が太陽の光を反射していた。「その上、私は彼に恋しているの。あなたは気づいたかしら? 私は3ヶ月もしないうちにアーガイルの靴下を10足も編んだのよ。これは2枚目のセーターなの」

彼女はセーターを広げて脇に置いた。「でも、これ何の意味があるのかしら? ブラジルでセーターなんて。ひ、ひ、日よけのヘルメットでも作ってあげた方がいいかしらね」

ホリーは反り返って、あくびをした。「ブラジルにも冬はあるはずよ」

「雨が降るのよね、それは私も知ってるわ。暑くて、雨が降って、ジ、ジ、ジャングルがあるのよ」

「暑くて、ジャングルがあって、そういうところ、私好きだわ」

「私よりあなたの方が合ってるわね」

「そうね」と、ホリーは眠そうな声で言ったが、実際は眠いわけではなかった。「あなたより私の方が合ってるわね」


月曜日、僕は午前中に届く郵便物を取りに階段を下りた。すると、ホリーの郵便受けの名刺に変更が加えられ、新たに名前が加わっていた。それによると、今、ミス・ゴライトリーとミス・ワイルドウッドは一緒に旅行中らしい。

もし僕の郵便受けに一通の手紙が入っていなければ、二人に対する興味は尽きなかっただろう。それは、ある小さな大学が出版している文芸誌からの手紙だった。僕はそこに短編小説を送っていたのだ。僕の小説を気に入ってくれたようで、文芸誌に掲載する予定だが、原稿料は支払えないことをご理解いただきたいと書いてある。掲載。ということは活字になるのだ。誇張でもなんでもなく、興奮でめまいがした。

誰かに伝えずにはいられなかった。僕は階段を一段飛ばしで駆け上がっていた。そして、ホリーの部屋のドアを勢いよく叩いた。

その朗報を自分の声でちゃんと伝えられる自信がなかったので、ホリーが眠そうに目を細めてドアを開けた時、僕は彼女に向かって、その手紙を突き出した。彼女がそれを読んで、僕に返すまでの時間はとても長く感じた。なんだかその手紙は60ページもあるかのようだった。

「お金をもらえないのなら、私だったら掲載させないわね」と、彼女はあくびをしながら言った。

おそらく僕の表情を見て、彼女は僕の意図を取り違えたことに気づいたのだろう。僕が聞きたいのは忠告ではなく、おめでとうの言葉なのだ。あくびをした彼女の口元が、ほほえみへと移り変わった。

「わかるわ。それって素晴らしいことよね。まあ、中に入って」と彼女は言った。「今コーヒーを入れるわね、飲みながらお祝いしましょう。いいえ。すぐ身支度するから、出掛けましょう。ランチをごちそうしてあげるわ」

彼女の寝室はリビングルームと変わらない印象だった。そこにも同様に野外キャンプを想起させる雰囲気があり、いくつかの木箱とスーツケースが置かれていて、すべてが荷造りされていた。まるで法の手が近くまで迫っていると感じた犯罪者が、いつでも逃げられるように準備しているみたいだ。

リビングルームには家具と言えるようなものはなかったけれど、寝室にはさすがにベッドが置かれていた。それもダブルベッドで、かなり派手なものだった。金色に近い木製のベッドで、房飾りのついたサテン生地のシーツがかかっている。

彼女は洗面所のドアを開けたまま、そこから寝室にいる僕に向かって話してきた。水の流れる音やブラシで髪をとかす音にかき消されて、何を言っているのかわかりにくかったが、要点はこんな感じだった。

気づいてると思うけど、マグ・ワイルドウッドがここに引っ越してきたのよ。これが凄く都合がいいの。だってね、ルームメイトと同居するとなったら、レズビアンの子が一番いいんだけど、次に最高なのは、お馬鹿な子よね。マグがまさにそうなのよ。家賃を押しつけることもできるし、それにクリーニング屋にも行ってくれるじゃない。

誰が見ても、ホリーが洗濯物で困っていることはわかっただろう。部屋には服が散乱していて、体育館の女子更衣室のようだ。

「-それにね、彼女は売れっ子モデルなのよ。わからないものよね!でも良かったわ」と言って、彼女は太もものガーターの位置を直しながら、片足を引きずるようにして洗面所から出てきた。「彼女は一日のほとんどを仕事で出掛けてるから、いらいらしなくて済むし、それにほら、男を取り合ったりして、もめることもないでしょ。彼女は婚約してるのよ。相手はいい男よ。ただ、ちょっと身長差が気になるけどね。彼女の方が30センチくらい高いのよ。あら、どこにいったのかしら?-」彼女は膝をついて、ベッドの下を探し回った。

やっと探し物が見つかると、それはトカゲ革の靴だったのだが、次に彼女はブラウスとベルトを探さなくてはならなかった。こんなに散らかった衣類から、どうしてこんなに見事な着こなしになるのだろうか、それは熟考に値する問題だった。身支度が整った彼女は平然としていて隙がなく、まるでクレオパトラの世話係に着付けをされたかのようだった。

彼女は「ねえ」と言って、僕の顎の下に彼女の手のひらを当てた。「あなたの小説が掲載されることになって私も嬉しいわ。本当に嬉しいのよ」


あれは1943年10月の月曜日だった。その日は鳥が空を悠々と飛んでいるような美しい日で、僕とホリーはまずジョー・ベルのバーに行って、カクテルの〈マンハッタン〉を飲んだ。

幸運にも僕の小説が文芸誌に掲載されることになったと伝えると、彼は店のおごりだと言って、シャンパン・カクテルを差し出してくれた。それから、僕たちは5番街の方へぶらぶらと歩いていって、パレードに出くわした。星条旗が風にたなびき、軍の音楽隊が演奏しながら勇ましく行進していたが、それらは戦争とは無縁のものに思え、むしろ僕を個人的に祝福してくれているファンファーレに聞こえた。

僕らは公園のカフェテリアでランチを食べて、そのあと、(ホリーが檻の中の動物は見ていられないと言ったので、)動物園を避けて、くすくすと笑い合ったり、走ったり、一緒に歌ったりしながら、古い木造のボート小屋に向かって小道を進んだ。そのボート小屋は今はもうないのだけれど。

木の葉が池の水面に浮かび、岸辺では公園の管理人がたき火をしていた。そこから煙がインディアンの〈のろし〉のように上がり、空気が揺れているように見える。その煙以外には雲一つ浮いていない。

4月が僕にとって大きな意味を持つことは今までに一度もなかった。秋こそが僕にとっての始まりの季節で、今、まさに春が来たようだった。そんな風に感じながら、ボート小屋のポーチの手すりの上に、ホリーと並んで座っていた。

僕は将来のことに思いをはせながらも、過去の話をした。ホリーが僕の子供時代の話を聞きたがったからだ。彼女も子供時代の話をしてくれたが、それはとらえどころのない、人の名前も地名も出てこない、印象派の絵画のような話だった。その話から受ける印象は予想とはかけ離れたものだった。というのも、彼女は夏に泳ぎに行った話や、クリスマス・ツリーの話や、綺麗な従姉妹たちとのパーティーの話といった、ほとんど色めきたつような話をしたからだ。要するに、彼女は自分が過ごしたことのない過去を語っていたのだ。そこから子供が逃げ出す必要などない過去を。

でも、14歳の時からずっと一人で生きてきたというのは本当なんだよね?と僕は訊ねた。

彼女は鼻をこすった。「それは本当よ。今話したことは本当じゃないわ。でも、それはね、ダーリン、あなたが自分の子供時代をあんなに悲劇みたいに話すからよ。私は惨めさで張り合う気なんてないわ」

彼女は手すりから飛び降りた。「そうだわ、それで思い出したわ。フレッドにピーナッツ・バターを送らなくちゃ」

その午後の残りを、僕たちは西へ東へ食料品店を巡って過ごした。戦時中で品不足だったため、店主たちは売るのを渋っていたが、なんとかなだめすかして、日が暮れる前に缶入りのピーナッツ・バターを6個かき集めることができた。最後の1個を手に入れたのは3番街のデリカテッセンだった。

ちょうどその近くに、あの宮殿の形を模した鳥かごがショーウィンドーに飾ってある骨董品店があったので、それを彼女に見せようと思い、その店に立ち寄った。彼女はその不思議な趣を愛でるように眺めていた。「でもやっぱり、檻だわ」

ウールワースの前を通りかかった時、彼女は僕の腕をぎゅっとつかんだ。「何か盗もうよ」彼女はそう言うと、僕の手を引いて店の中へと入っていく。

店内に入ると、すぐに周りの目が気になり出した。すでに僕たちは怪しまれて、目をつけられているかのようだった。

「ほら、びくびくしないで」彼女は紙のカボチャやハロウィンのマスクが山積みになっているカウンターを物色した。

女性店員は、ハロウィンのマスクを試しにかぶっている修道女たちにかかりきりだった。ホリーはマスクを一つ手に取り、自分でかぶると、別のマスクを取って、僕の顔にかぶせた。それから僕の手を取って歩き出し、そのまま僕たちは店を出た。

こんなにも簡単なことだったのだ。外に出ると、僕らは数ブロックも走った。走り続けたのは、よりドラマチックにするためだと思う。でも、それだけじゃない。僕は初めて知ったのだ。盗みが成功すると高揚感に包まれるってことを。

よく万引きするのかい?と彼女に聞いてみた。

「昔はよくやっていたわ」と彼女は言った。「というか、何か物が欲しかったら、そうするしかなかったのよ。でも、今でもたまにやるわ。なんていうか、腕が鈍らないようにね」

アパートに着くまでずっと僕たちはそのままマスクをかぶっていた。

ホリーと一緒にあちこち歩き回って、いろんなところに行ったという思い出がある。確かに僕らは暇を見ては何度も繰り返し会っていた。でも、おおよそ、その記憶は正しいとは言えない。なぜなら僕はその月の終わり頃に仕事を見つけて働き始めたからだ。それ以上は言わなくてもわかるだろう? 多くを語らない方が良いこともある。言えるのは、生活費が必要だったということと、9時から5時までの仕事だったということくらいだ。おかげで、ホリーと僕の生活時間は大きくずれてしまった。彼女がシンシン刑務所に面会に行く木曜日でない限り、あるいは、彼女はたまに乗馬をしていたので、公園で乗馬をする日でない限り、僕が帰宅する時にホリーが起きていることはめったになかった。

時々僕は彼女の部屋に寄って、彼女の目覚めのコーヒーを一緒に飲んだ。その間に彼女は夜の外出のために身支度をした。彼女はいつでもどこかに出掛けようとしていた。常にラスティー・トローラーが同伴するというわけではなかったが、大体は彼と一緒だったし、マグ・ワイルドウッドとハンサムなブラジル人が二人に加わることもよくあった。彼の名前はホセ・イバラ・イェーガーといって、彼の母親はドイツ人だった。

四重奏を奏でるには、その四人組は調和がとれているとは言えなかった。それは主にイバラ・イェーガーの責任だろう。彼はジャズバンドでバイオリンを弾いているみたいに、一人だけ浮いた存在だったのだ。

彼は知的であり、身なりもきちんとしていて、自分の仕事にも真摯に取り組んでいるようだった。彼は言葉を濁していたが、どうやら政府関係の重要な仕事をしているらしく、週に2、3日は仕事でワシントンを訪れていた。そんなに忙しい身でありながら、彼は夜ごとにラ・ルーやエル・モロッコといったナイトクラブに出掛け、ワイルドウッドのお、お、お喋りに耳を傾け、ラスティーの赤ん坊のお尻みたいな顔をじっと見つめていたわけで、どうやったらそんなことが可能なのかと感心してしまう。

おそらく、外国で生活をする人の多くがそうなってしまうように、彼も人を選別して、その人にふさわしい額縁に入れるという、自国にいる時にはごく自然にやっていたことができなくなっているのだ。従って、すべてのアメリカ人がかなり似通った色の光を当てられて判断されることになり、そのような基準からすると、彼が選んだ仲間たちは、いかにも地域色豊かであり、アメリカ人的でもあり、友達として受け入れるに値する人物に見えたのだろう。大体はそれで説明がつく。説明のつかない部分は、ホリーの器量の良さが補ってくれる。




藍's color

新宿ルミネの7階辺りに劇場ができたばかりの頃、レナちゃんと観に行った。次々と漫才師が繰り出すボケとツッコミに、二人してゲラゲラと笑っていた。by 藍 (懐かしい、美しいものばかり思い出されるのだから。by 太宰治)

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