『ダッシュとリリーの冒険の書』1
『Dash and Lily's Book of Dares』 by デイヴィッド・レヴィサン、レイチェル・コーン 訳 藍(2017年12月02日~2018年09月01日)
1
-ダッシュ-
12月21日
こんな風に想像してみてほしい。
君が馴染みの書店に行って、書棚を適当に見ている。そして、お気に入りの作家の著書が並んでいるコーナーにたどり着く。すると、君には見慣れたそれらの背表紙の間に、ぽつんと赤いノートが居心地良さそうに挟まっていた。
さて、君ならどうする?
やることは決まっているよね。
その赤いノートを手に取って、開いてみるはずだ。
そして、そこに何が書かれていたとしても、書いてある通りに君は行動するよね。
ニューヨークはクリスマスシーズンだった。一年で一番嫌いな時期だ。騒がしい人込み、ひっきりなしにやって来る不幸な親戚、偽りの励まし、楽しさへのむなしい追及、そんな僕の元々嫌いな人間関係が、この時期には緊密になるだけだ。僕はどこに行っても、場違いなところにたどり着いてしまう。僕は手を差し伸べてくるどんな〈救世軍〉も受け入れるつもりはないし、ホワイトクリスマスなんか僕には関係ない。僕は十二月党員であり、過激な社会主義者であり、職業的犯罪者であり、原因不明の苦悩から逃れられない切手収集家なのだ。誰もそんな者にはなりたくないだろうけど、僕は自ら進んでなるよ。僕は人込みの中を透明な存在になって歩いていた。パブロフの犬みたいにクリスマスだからと飲んで騒ぐ人たちや、羽目を外した冬休み中の人たちや、ライトアップされたクリスマスツリーを見るために世界中からやって来た外国人たちを、僕はなるべく見ないように歩いていた。ツリーをライトアップなんてキリスト教の儀式じゃないのにな、と思いながら。
こんなに気分が暗くなる季節にも唯一嬉しいことがある。それは学校に行かなくて済むことだ。(そして、おそらく誰もがうんざりするくらい家族と一緒に買い物に行ったりして、家族というのは、たまに会うくらいが一番いいと気づくはずだ。一度に大量に飲むと死んでしまうヒ素みたいにね。)今年は、もうすぐやって来るクリスマスのために、僕は自ら進んで孤児になったのだ。母親には父親とクリスマスを過ごすと言って、父親には母親と過ごすと言ってね。そうして、両親はそれぞれ、離婚後の恋人と過ごすために、払い戻しのできない休暇を予約した。両親は8年間もお互いに話をしなかったから、僕には現実を正確に見極めて判断する余裕がたっぷりあったし、それゆえに一人きりになる時間も多かった。
僕は両親の住むそれぞれのアパートを行ったり来たりしながら過ごしていた。二人ともいない時は、ストランド書店にいることが多かった。そこは僕の知性を気持ちよく刺激してくれるとりでのような場所で、一軒の書店というよりはむしろ、百の様々な書店が衝突したような場所だった。その衝突により、18マイルの書棚に文学作品の残骸が散らばっているのだ。そこの店員は全員、スキニージーンズに古着みたいなボタンダウンのシャツを着ていて、みんな考え事でもしているみたいに前かがみになって歩き回っていた。なんだか年上の兄や姉みたいで、弟に話しかけたり、構ったりするのが面倒くさいようだった。友人たちが周りにいる時は弟の存在さえ無視しているような、そこの店員はいつもそんな感じだった。中には、プルーストの小説とかを売るために、クッキーの作り方講座を開いたりして、コミュニティーセンターとしての役割を果たそうとする書店もあるが、ストランド書店は客をほったらかして、好きにさせておくのだ。画一化しようとする力と、そこからはみ出ようとする力がぶつかり合い、常に勝つのは、はみ出る個性だ。言い換えれば、そこは僕にとって、墓地のような場所だった。
ストランド書店に行く時は大体、特に何か目的の本を求めて行くというわけではなかった。
ある特定のアルファベットが頭に浮かんだ午後には、苗字がその文字で始まる著者の本を、すべてのジャンルのコーナーで見て回るということをやる日もあったし、また、一つのコーナーに絞って書棚をじっくり見る日や、最近書棚から外されて、カートに乱雑に入れられ、アルファベット順に並んでいない本を漁る日もあった。あるいは、僕は単にグリーンカバーの本が並んでいるのを見たいだけなのかもしれない。というのも、僕はもう長らくグリーンカバーの本を読んでいないから。
友達と遊んでもいいのだろうが、彼らの多くは家族と過ごしたり、ゲーム機のWiiをやっていた。(そういえば、Wiiの複数形はWiisでいいのだろうか?それともWiiiかな?)僕はすたれた本や、すたれつつある本や、あるいは売れそうもない本と過ごす時間が好きだった。すなわち、使い古された人が書いた本がお気に入りだった。「使い古された」という言葉は人物を形容するにはふさわしくないようだけど、べつに悪い意味で使っているわけではないよ。(アガサ・クリスティーを見てごらん。彼女はまさに「使い古された」女性でしょ。)
僕はとてつもなく本好きだった。本好きと言うと堅物みたいで、なかなか周りに受け入れられないことは知っているけれど、それでも言ってしまうくらい好きだった。僕は「本好き」という形容詞が特に好きで、周りの人たちが「能無し」や「仲良し」や「禁酒を誓ったやつ」などの言葉と大体同じくらいの頻度で、「本好き」という形容詞を使っていることに気づいた。
この日、僕は何人かの好きな作家の本を見て回ろうと思っていた。最近亡くなった作家のコーナーに、好きな作家のあまり見かけない本でも入っていないか確認するつもりだった。僕はある作家の本を探していた。(その作家が有名になってしまったら、僕はその作家を嫌いになってしまうかもしれないので、できれば無名のままでいてほしい。)その時、赤色がちらっと目に入った。それはモレスキン社製の赤いノートだった。モレスキン製と言っても、そのノートがモーレ(ほくろ)やスキン(肌)でできているわけではない。それはともかくとして、僕の知り合いにも、電子機器よりも手書きで日記を書きたがる人がいて、そういう人たちには好まれる日記帳だった。それが男性でも女性でも、日記を書こうとする人がどういうノートを選んだのかを見れば、その人がどういう人かわかってくる。僕自身は大学ノートの罫(けい)線通りにきっちり文字を書くような男だし、絵心もなければ、罫線の間隔が広く感じるほどの細かい文字も書けない。通常、罫線の引かれていない真っ白なノートが一番人気だが、僕にはティボーという友達がいて、彼は方眼ノートを使っていた。そういうノートを愛用しているのは、僕の周りでは彼だけだった。あるいは、少なくとも彼がスクールカウンセラーにノートを没収されて、歴史の先生を殺そうとたくらんでいたことがわかるまでは、彼は方眼ノートを愛用していた。(これは本当の話だよ。)
その日記帳の背表紙には何も書かれていなかった。僕は書棚からそれを抜き取って、表紙を見た。そこにはマスキングテープが貼られていて、「あなたに勇気はある?」と、黒の〈シャーピー〉で書かれていた。表紙をめくると、最初のページに書かれたメッセージが目に飛び込んできた。
あなたにいくつか手掛かりを残しておきます。
もしその手掛かりが欲しければ、ページをめくってね。
欲しくないなら、このノートを書棚に戻してください。
筆跡は女の子のものだった。つまり、女の子がうっとりしながら書いたような、なめらかな筆記体で書かれていた。
どちらにしても、僕はページをめくっていただろう。
では、これが最初の手掛かりです。
1. 『フランスのピアノ奏法』から始めましょう。
私はその本の内容をよくわかっていませんが、
おそらく
誰もその本を書棚から引き抜いて手に取ることはないでしょう。
あなたが探すその本の著者はチャールズ・ティンブレルです。
88/7/2
88/4/8
空欄を埋めるまでは
次のページをめくらないでね。
(このノートに書き込みはしないでください。)
フランスのピアノ奏法なんて耳にしたことはなかったが、もし道で一人の男に、(その男は間違いなく山高帽を被っているはずで、)その本はピアニストに関するものだと思うかと聞かれれば、はいと即答するだろう。
僕にとってストランド書店の店内は、両親の(それぞれの)家よりも馴染みがあったので、僕はどこに向かうべきかを正確にわかっていた。音楽コーナーだ。彼女が著者の名前まで教えてくれたから、僕はずるをしているような気さえした。彼女は僕のことを馬鹿か、なまけ者か、まぬけだとでも思ったのだろうか?まだ何も成しえていないけれど、僕のことを少しは信用してほしかった。
その本は簡単に見つかった。余った14分を誰かにあげてもいいくらい簡単だった。そして、それはまさに僕が予想した通りの本で、何年も書棚に居座り続けるような本だった。その本の出版社は表紙にイラストを載せるような面倒なことはしなかったようだ。表紙には単に言葉で、「フランスのピアノ奏法、ある歴史的観点から、チャールズ・ティンブレル」とあり、それから(新たな行に)、ギャビー・カサドシュによるはしがきが書かれていた。
モレスキンのノートにあった数字は日付だと思った。1988年はフランスのピアノ奏法にとって、何か変化があった年に違いない。でも、1988年...も、1888年...も、1788年...も見当たらず、他の世紀の88年にも言及している箇所を見つけることができなかった。僕は困ってしまった...すると、僕に手掛かりをくれた人は、昔からあるお決まりの、本に関する表記法を使ったのではないか、と思い至った。つまり、「ページ数/行数/何番目の単語か」だ。僕は88ページを開いた。そして、7行目の2番目の単語を見て、それから、4行目の8番目の単語を見た。
「Are」と「you」だった。「Are you(あなたは~ですか?)」
僕は何なんだ?僕は何なのかを考え出さなければならなかった。僕は空欄を埋めた。(彼女に頼まれたように心の中で、その未開の空白を尊重するように埋めた。)そして、そのノートのページをめくった。
いいわね。ずるはなしよ。
その本の表紙に関して、何が問題だと思う?
(芸術性が欠けていること以外でね)
さあ、考えてみて、それからページをめくってね。
まあ、それは簡単だった。僕は「An Historical」という不定冠詞の使い方が気に入らなかった。明らかに、「A Historical」とすべきである。Historicalの「H」は子音の硬音「H」なのだから。
僕はページをめくった。
もしあなたが不自然だと指摘したフレーズが
「An Historical」なら、
どうぞ続けてください。
そうでなければ、どうかこのノートを
元の棚に戻してください。
もう1ページ、僕はめくった。
2. 『チャラくて太ったプロムクイーン』
64/4/9
119/3/8
今度は著者名もない。不親切だ。
僕は『フランスのピアノ奏法』を持ったまま(僕たちは一歩近づいてしまった。もう彼女を放ってはおけなかった)、受付に行った。そこに座っている男は、糖分ゼロのコーラに精神安定剤を溶かし込んで飲んでいるような、そんな感じのする男だった。
「『チャラくて太ったプロムクイーン』を探しているんですけど」と、僕は告げた。
彼は返事をしなかった。
「本なんです」と僕は言った。「人を探しているわけじゃありません」
いや、なんでもない。
「せめて著者名だけでもわかりませんか?」
彼はコンピューターの画面を見たまま言った。キーを叩いているわけでもなく、まるで画面に僕が映っていて、その僕に話しかけているみたいだった。
「僕には見えませんけど、あなたはヘッドフォンでもつけているのですか?」と僕は訊ねた。
彼は肘の内側をかいた。
「あなたは僕の知り合いですか?」と僕は言い寄った。「僕は幼稚園であなたをボコボコにいじめましたか?それで今になって、こんなちんけな復讐をして僕をいじめて喜んでいるんですか?あなたはステファン・リトルですか?そうなんですか?当時は僕も子供で、あんなことをして馬鹿でした。あの噴水にあなたを落として、あなたが溺れかけたこともありましたね。だからといって、僕に本を紹介しないというのは、完全に不当な侵害行為ですよ」
ついに反応があった。その受付係はくしゃくしゃの髪を振った。
「紹介できないんですか?」と僕は言った。
「『チャラくて太ったプロムクイーン』のありかは教えられません」と彼は説明した。「あんただからではなく、誰にも教えられないんですよ。それから、俺はステファン・リトルではないが、あんたは彼にしたことを恥ずかしく思うべきだ。恥ずべきだ」
なるほど、これは僕が考えていた以上に困難なことのようだ。僕は自分の携帯にAmazonを読み込んで、どんな本か見ようとしたが、その店内にはどこにもインターネット環境はなかった。『チャラくて太ったプロムクイーン』はノンフィクションではなさそうだと思い(ノンフィクションであってほしいとも思うが)、僕は小説のコーナーに行って書棚に目を走らせた。これは無駄足だったが、10代向けの小説のコーナーが上の階にあることを思い出し、直ちにそこに向かった。僕は少しもピンクの入っていない背表紙は飛ばして、棚を見ていった。直感で、『チャラくて太ったプロムクイーン』には少しはピンクが混じっている気がしたのだ。そして驚いたことに、「M」の一角にたどり着いた時、そこにその本はあった。
僕は64ページと119ページを開くと、二つの単語を見つけた。「going to」
そして、モレスキンのページをめくった。
とても機転が利くようですね。
10代向けのコーナーでその本を見つけたはずです。なので、聞きたいのですが、
あなたは10代の男の子ですか?
もしそうなら、ページをめくってください。
そうではないなら、このノートを元の場所に戻してください。
僕は16歳で、ちゃんとした性器を有している。よって僕は軽やかにこのハードルを飛び越えて、次のページをめくった。
3. ゲイのセックスの喜び(第三版)
66/12/5
181/18/7
まあ、この本がどのコーナーにあるのかについては疑問の余地はなかった。やはり、その本は下の階の「セックスと性」のコーナーにあった。そこでは、どうしても目つきがこそこそしたり、反抗的になったりを繰り返してしまった。個人的には、(どんな性別にせよ、)中古の性生活の手引書を買うのは、僕はちょっと遠慮したい。おそらくそういう理由からか、書棚には『ゲイのセックスの喜び』が4冊もあった。僕は66ページを開き、12行目に視線を合わせ、5番目の単語を見た。
「cock」だった。
僕は頭の中で今までの単語をつなげてみた。「Are you going to cock?(あなたはぴんと立ちますか?)」
たぶん「cock」は動詞として使われているのだと思った。(たとえば、「玄関から出て行く前に、私のためにその銃の打ち金を起こしてから行ってちょうだい。」みたいな使い方だ。)
僕は次に181ページを開いたのだが、おののいて、少し手が震えてしまった。
「声を出さないで愛し合うことは、音の出ないピアノを弾くようなものだ。練習にはいいが、それは自分自身の輝かしい成果が耳に入ってくる機会を奪ってしまう。」
僕は一つの文を読んだだけでこんなにもはっきりと気分が滅入るとは思いもしなかった。愛し合うこととピアノを弾くことを絡めた一文に、僕の気持ちはすっかり萎(な)えてしまった。
幸いにも、そのページにイラストは載っていなかった。
そして、7番目の単語は「playing」だった。
ということは、今までの単語をつなげると、
「Are you going to cock playing(あなたはぴんと立って遊ぼうとしていますか?)」となる。
これは正しくないように思えた。根本的に、文法の問題として、正しくないと思った。
僕はノートのそのページをもう一度見返した。次のページに進みたいという欲求を抑えていた。女の子らしい丸い筆跡をよく見ると、僕は「5」を「6」と見間違えていたことに気づいた。僕が開いたページは、66(悪魔の数字の縮小版)だった。
正しくは「be」だった。
この方がだいぶ意味を成している。
「Are you going to be playing—(あなたは遊ぼうとしていますか?)」
「ダッシュ?」
振り向くと、プリヤがいた。彼女は同じ学校の女の子で、僕とは知り合い以上友達未満のような間柄、言ってみれば、〈知り友〉みたいな女の子だった。彼女は僕の元カノの友達だった。元カノはソフィアといって、今はスペインにいる。(僕のせいでスペインに行ってしまったわけではないよ。)プリヤは、これと言って性格に特徴のない子だった。と言っても、そんなに彼女をじっくり観察したこともなかったけれど。
「やあ、プリヤ」と僕は言った。
彼女は僕が抱えている本を見た。すなわち、赤いモレスキンのノートと、『フランスのピアノ奏法』と、『チャラくて太ったプロムクイーン』を見た。そして、今までそんな本が存在することさえ知らなかったが、二人の男が何かをしているイラストが満載の『ゲイのセックスの喜び』(第三版)を僕は手にして、開いていた。
この状況を説明するためには、何らかの筋の通った言い訳が必要だと思った。
「これは今取り組んでいるレポートのための資料なんだよ」と僕は言った。あえて知的な確信に満ちているような声を出した。「フランスのピアノ奏法とその効果についてなんだけど、フランスのピアノ奏法がどれだけ広範囲に影響を及ぼしているかを知ったら君も驚くよ」
どうやらプリヤは僕に声をかけたことを後悔しているようだ。
「冬休み中はこの辺りにいるの?」と彼女は聞いてきた。
もしいると答えれば、エッグノッグを飲んだりするパーティーに招待されるかもしれないし、みんなでクリスマス映画『おばあちゃんがトナカイにひかれちゃった』でも見に行こうと誘われるかもしれない。それは黒人のコメディアンが一人ですべての役を演じている映画だった。ただ、恋の相手だと思われるメスのトナカイだけは別の人が演じていた。僕はギラギラと照りつける日差しのような招待にはめっぽう弱く、常に予防線を張ってごまかすようにしている。言い換えると、のちの自由を確保するために、早めに嘘をつくのだ。
「明日スウェーデンに行くんだ」と僕は答えた。
「スウェーデン?」
僕には少しもスウェーデン的な要素はなかったし(今もないし)、家族とスウェーデンに旅行に行くなんて論外だった。その説明として、僕は単に、「12月のスウェーデンが好きなんだ。昼間は短いし...夜は長いし...それに余計な飾り付けは何もないんだ」と言った。
プリヤは頷いた。「楽しそうね」
僕たちはそこに突っ立っていた。会話のルールに従えば、僕の番だというのはわかっていた。でも、僕は自分の順番の時に何も話さなければ、プリヤがそこから立ち去ってくれるかもしれないとも思っていた。それこそが僕の望んでいることだった。
30秒後、彼女は沈黙に耐えられなくなって、「じゃあ、私行かなくちゃ」と言った。
「ハッピーハヌカー」と僕は言った。僕はただ他の人がどう反応するのかを見たくて、間違った祝いの言葉を言ってみるが好きだった。
プリヤはその言葉に何の反応も示さずに、「スウェーデンで楽しんできてね」と言って、立ち去った。
僕は手に持っている本の順番を変えて、赤い日記帳を一番上に戻した。そして次のページをめくった。
あなたがストランド書店の店内で『ゲイのセックスの喜び』を手にしているということは、私たちの未来にとって良い兆しです。
しかし、もしあなたがすでにこの本を所有していたり、あるいは、あなたの人生にこの本が役立つと思うようなら、残念ながら、私たちの時間はここで終わらせなければなりません。
この女の子は男と女の関係だけに興味があるのです。なので、もしあなたが男と男の関係にのめり込んでいるようなら、そういう関係に異を唱えるつもりは全くありませんが、私にはその世界に入り込む余地はないのです。
では、最後の本です。
4. 『生きている者がすること』 by マリエ・ハウ
23/1/8
24/5/9, 11, 12, 13, 14, 15
僕はすぐに詩のコーナーに向かった。完全に興味を引かれたのだ。僕をここまで連れて来た人はマリエ・ハウの読者らしい。この不思議な女の子は一体誰なんだ?僕たち二人が同じ詩人を知っているというのは、ちょっと都合が良すぎる気もした。実際、僕の周りには詩人について知っている人なんてほとんどいなかった。僕は誰かとマリエ・ハウについて話したことがあったか思い出そうとした。相手は誰でもよかったのだが、思い出せなかった。ソフィアとだけはマリエ・ハウについて話したことがあった。でもこれはソフィアの筆跡ではない。(それに、彼女はスペインにいる。)
僕は「H」の一角を探したが、その本はなかった。詩のコーナーをくまなく探してみたけれど、なかった。その本を見つけた時、僕はもどかしさで思わず叫びそうになった。それは書棚の一番上にあったのだ。少なくとも床から12フィートはある。本の角がちょっと見えていただけだったが、その本の細さと暗めの紫色から、それが探している本だとわかった。僕は書棚用のはしごを手繰り寄せ、危険を顧みずにのぼっていった。書棚の上段はほこりっぽく、手の届かない高根には興味を失わせる雲がかかっているようで、呼吸をするのが困難になった。ついに、僕はその本を手に取ることができた。居ても立っても居られず、すぐに23ページと24ページを開いて、必要な7個の単語を見つけた。
「for the pure thrill of unreluctant desire」(自発的な欲望の純粋なスリルのために)
僕ははしごから落ちそうになった。
「Are you going to be playing for the pure thrill of unreluctant desire?」(あなたは自分の内側から湧き出てくる欲望の混じり気のないスリルを賭けて勝負する気はありますか?)
控えめに言って、僕はその言い回しに打たれ、駆り立てられてしまった。
慎重に、僕ははしごを下りた。再び床に下り立つと、僕は赤いモレスキンのノートを手に取り、ページをめくった。
さあ、ここまで来ました。
さて、私たちがこれからどうなるのか(どうにもならないのか)、それはあなた次第です。
もしこのやり取りを続けることに興味があるようでしたら、どんな本でもいいので、一冊本を選んでください。そして、メモ用紙にあなたのメールアドレスを書いて、その本に挟んで、それを受付係のマークに渡してください。
もしあなたが私についてマークに何か質問したら、彼はあなたの本を引き受けないでしょう。なので、何も聞かないでね。
そして、選んだ本をマークに渡したら、このノートはあなたがこれを見つけた書棚に戻してください。
もしこれらのことをすべてしてくれれば、私からかなりの確率でまた連絡します。
ありがとう。
リリー。
突然、そんな気持ちになったのは初めてだったと思うが、冬休みが楽しみになった。そして、明日の朝スウェーデンに旅立つわけではないことに、ほっと胸をなでおろした。
どの本にするかについて考えすぎるのは嫌だった。もし迷い出したら、3冊、4冊と候補の本が増えていくだけだろうし、そんなことをしていたら、ストランド書店から帰れなくなる。それで僕はふとした思いつきで、ある本を選んだ。それから、僕は自分のメールアドレスを書き残しておくことの代わりに、他のものを残しておくことにした。マーク(僕の新しい友達の受付係)がリリーにその本を渡すまでには少し時間がかかるだろうから、僕はちょっと先回りできるだろうと思った。僕は何も言わずに彼にその本を手渡した。彼は頷くと、引き出しにそれを仕舞った。
僕が次にすべきことは赤いノートを元の棚に戻すことだというのはわかっていた。そうすれば、誰か他の人がまたこのノートを見つけるかもしれない。僕はその本を戻さずに、自分でそれを持っていることにした。そしてさらに、僕は手に持っている『フランスのピアノ奏法』と『チャラくて太ったプロムクイーン』を購入しようと、レジに持っていった。
このゲームは二人用で、対戦相手は僕だ。
2
(リリー)
12月21日
私はクリスマスが大好き。
この時期のすべてが好き。街はライトアップされているし、ごちそうを食べられるし、親戚がいっぱい集まるし、みんなでクッキーを食べたり、プレゼントがツリーの周りに高く積み上がったり、そういう〈すべてへの善意〉が大好き。厳密には、〈すべての人への善意〉と言うべきなのはわかっているわ。でも内心では、「人」を省略したいのよ。だって、「人」って限定すると、なんだか人種分離主義者やエリート主義者や性差別主義者や、そういう一般的に悪いと言われる「主義者」みたいでしょ。善意は「人」だけに限定すべきじゃないわ。それに「人(men)」って大人の男だけって感じもするから使いたくないのよ。善意は女性にも子供にも当てはまるはずだし、すべての動物にも、地下鉄のネズミみたいな不快な存在にさえ向けられるべきものだわ。私は善意を生き物だけではなく、惜しまれつつ亡くなった人たちにも広げたいのよ。そして死者を含めると、せっかくだからゾンビとか、神話的な存在だと考えられている吸血鬼とかも含めたくなるし、そうすると、小妖精とか、妖精とか、小鬼とかも仲間に入れてあげたいわ。まったく、私たちはすでにみんなで円陣を組んで思いやりを分かち合っているというのに、命が宿っていないとされている人形やぬいぐるみも、どうして仲間に入れてあげないのかしら。(私は人魚のアリエルに大声でエールを送りたいわ。アリエルは私のベッドの使い古された地味な花柄の堅めの枕の上に座っているの。アリエル、大好きよ。)サンタさんもきっと賛成してくれるわ。善意はすべてにってね。
私はクリスマスが好きすぎて、今年は自分で聖歌隊を集めたのよ。もちろん私も歌うわ。私はイースト・ヴィレッジの高級住宅地ボヘミア地区に住んでいるんだけど、でもだからといって、私自身が聖歌を歌うにはクールで洗練されすぎているなんて思わないわ。逆に、私は聖歌隊に思い入れがありすぎて、私の家族がみんな、「旅行に行く」とか、「忙しすぎる」とか、「生活で手一杯」だとか、「もう聖歌隊なんて卒業する歳でしょ、リリー」とか言って、今年の聖歌隊から脱退してしまっても、私は昔ながらの方法で問題を解決したのよ。私は自分でフライヤーを作って、この辺りのいくつかのカフェに頼んで、それを貼り出してもらったの。
募集!
そこの隠れ聖歌隊のみなさん! 聖歌を広めたいと思いませんか? 広めたいですよね? 私もよ! ぜひお話ししましょう。* 心を込めて、リリー。
*いじわるな人は対象外です。私のおじいちゃんはこの近隣に住んでいる人を全員知っています。なので、もし返答で誠意のないことを言ってきたら、あなたはみんなに嫌われることになります。** ありがとう。再び心を込めて、リリー。
**冷たい感じでごめんなさい。でもこれがニューヨークなのよ。
このフライヤーを使って、私は今年のクリスマスの聖歌隊を結成したのよ。メンバーは私と、メルヴィン(コンピューター好きの男性)と、ロベルタ(高校で合唱を教えていた元先生)と、シーナー(いつも女装している振付師兼ウェイターの男性)と、シーナーの恋人のアントワン(〈ホーム・デポ〉でアシスタントマネージャーをしている男性)と、怒れるアライン(ニューヨーク大学で映像を学んでいる菜食主義者でフェミニズムのパンクガール)と、それからマーク(私のいとこで、彼はおじいちゃんに頭が上がらないの。おじいちゃんが彼を聖歌隊に呼び入れたのよ)。聖歌隊のみんなは私のことを「3番のリリー」って呼ぶのよ。どんなクリスマスソングでも2番を過ぎても歌詞を覚えているのは私だけだからね。(アラインはそんなことを気にするような子ではないんだけど、)アラインと私だけがまだお酒を飲める年齢になっていないの。みんなでココアを飲む時なんて、ロベルタのフラスコ瓶を和気あいあいとみんなで回して、ペパーミントのお酒をココアに混ぜて飲んでいるのよ。純粋なホットココアを飲んでいるのは私だけなんだから、3番の歌詞を覚えているのが私だけっていうのも驚くことではないわね。
Truly He taught us to love one another.
His law is love and His gospel is peace.
Chains he shall break, for the slave is our brother.
And in His name all oppression shall cease.
Sweet hymns of joy in grateful chorus raise we,
With all our hearts we praise His holy name.
Christ is the Lord! Then ever, ever praise we,
His power and glory ever more proclaim!
これが『O Holy Night』の3番の歌詞よ!
正直に言うと、私は神様の存在を否定しているいろんな科学的証拠について調べてみたの。それでね、私はサンタクロースもいると思うけど、同じように神様もいるんだなって思えたの。でも私が彼(神様)の名前を、『O Holy Night』の聖歌に乗せて気がねなく、喜びに満ちて口にすることができるのは、感謝祭からクリスマス・イブまでの間だけなの。私も彼もそのことはお互いに理解しているわ。クリスマス・イブにプレゼントを開けたら、また来年、メイシーズ・パレードがよく見える場所を取るために、感謝祭の前日の夜からキャンプする日まで、私と彼の関係は一旦、中断するの。
私もクリスマス期間に可愛くて赤い服を着て、メイシーズの前に立って、ベルを鳴らしながら救世軍への寄付を呼びかけたいんだけど、ママがだめって言うのよ。ママが言うには、そういうベルを鳴らしている人たちは熱心な信仰心を持っているんだって。それにひきかえ、私たちはクリスマス限定の、同性愛も女性の選択権も支持する堕落したカトリック教徒なんだって。まあそうね、私の家族はメイシーズの前に立ってお金を恵んでもらおうとはしないわね。でもメイシーズでお買い物もしないのよ。
私は単に抗議の形として、何か変化をもたらすためにメイシーズの前に行くかもしれないわ。私の歴史上初めて、つまり、私が生きてきた16年間で初めて、今年のクリスマスは家族と離れて過ごすのよ。両親は私と兄を残して、フィジーに飛び立ってしまったわ。そこで、二人は25回目の結婚記念日を祝うみたい。両親が結婚した時、二人は貧しい大学院生だったらしいの。それで、ちゃんとした新婚旅行に行けなかったから、銀婚式の今年、思い切って奮発したのよ。私からすると、結婚記念日って子供と両親が一緒にお祝いするものだと思うんだけど、これに関しては、どうやら私の意見は少数派みたいね。私以外のみんなに言わせると、兄と私が両親の旅行についていったら、「ロマンチック」にならないそうよ。私には熱帯の楽園で一週間二人きりで過ごすことの何がそんなに「ロマンチック」なのかわからないわ。だって四半世紀もの間、ほとんど毎日のように顔を合わせてきた夫婦なのよ。私にはそんなに長い間、ずっと私と二人きりでいたい人が現れるなんて想像もつかないわ。
兄のラングストンが言うには、「リリー、君は一度も恋をしたことがないから理解できないんだよ。彼氏ができればわかるよ」ですって。ラングストンには新しい彼氏ができたのよ。でも私にわかるのは、ラングストンと彼氏がみじめな共依存の関係にあるってことだけね。
それと、私が一度も恋をしたことがないっていうのは、厳密には正しくないわ。小学校1年生の時、スパジーという名前のアレチネズミを飼っていたんだけど、私はスパジーに愛情を抱いていたわ。みんなに見せようと思って、スパジーを学校に連れていったのが間違いだったわ。私はこれからもずっとそのことを悔み続けるのよ。私が目を離したすきに、エドガー・ティボーがスパジーのカゴを開けちゃったのよ。そして、ジェシカ・ロドリゲスの猫の「タイガー」と鉢合わせしちゃって、あとはどうなったか言わなくてもわかるでしょ。善意がネズミの天国にいるスパジーまで届いてほしいわ。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。私はスパジーへの償いとして、その殺りくの日からお肉を食べないことにしたの。私はアレチネズミへの愛を抱いたまま、6歳からずっと菜食主義者なのよ。
それから、私は8歳の時に『ハリエットのスパイ大作戦』を読んだ時からずっと、今もその登場人物のスポートに恋をしているの。私はその主人公のハリエットみたいに、赤いモレスキンのノートに日記をつけることにしたの。一冊書き終わると、おじいちゃんがまたストランド書店で新しいモレスキンのノートを買ってくれるんだけど、あの本を初めて読んだ時から今までずっと日記をつけているのよ。ハリエットが時々書いているような周りの人たちの悪口は、私は書かないけどね。私は大体、そのノートに絵を描いたり、読んだ本の中の覚えておきたい台詞や一節を書き残したり、あるいは、思いついた料理のレシピを書いてみたり、退屈な時には、自分で短い小説を創作して書いてみることもあるわ。私は大人になったスポートに、どれだけ私が最大限の注意を払って、下品なゴシップ記事みたいなことは書かないようにしているか、このノートを見せてあげたいわ。
ラングストンは今恋愛中なの。これで二度目よ。彼の最初の大きな恋はとてもひどい終わり方をしたの。彼は大学1年が終了して、大学のあるボストンを離れると、それから彼の心が癒えるまで、ずっと実家に引きこもっていたのよ。それくらいひどい失恋だったの。私はそこまで誰かを好きになりたくないわ。ラングストンが傷を負ったみたいに私も傷つきたくはないのよ。彼はすごく傷心していて、泣くことか、家の中を歩き回ることくらいしかできなかったの。私は彼に頼まれて、パンの耳を切り落として、ピーナッツバターとバナナを挟んでサンドイッチを作ってあげたし、〈ボグル〉も一緒にやったわ。もちろんそれくらい、いくらでもしてあげるわ。私はラングストンがしてほしいことなら、なんでもしてあげるのよ。ラングストンはようやく回復して、今また恋をしているの。今度の新しい恋人は大丈夫だと思うわ。彼らの最初のデートは交響楽団のコンサートだったのよ。モーツァルトが好きな男でひどい人なんているかしら? 今度は大丈夫であってほしいわ。
残念なことに、ラングストンは新しい彼氏ができてからというもの、私のことなんかすっかり忘れてしまったの。彼は四六時中、ベニーのことばかり考えているのよ。ラングストンにとって、両親とおじいちゃんがクリスマスに出掛けてしまったのは、喜ばしいことなのよ。私にとっては腹立たしいことなんだけどね。私はラングストンに抗議したわ。だって彼は冬休み中、基本的にいつでも自由にベニーを私たちの家に出入りさせているのよ。私は彼に言ったのよ。ママとパパがクリスマス旅行に出掛けていて、おじいちゃんがフロリダの別荘に避寒のために行っていたら、私の相手をするのはラングストンのつとめでしょって。当然よね。彼が誰かにそばにいてほしい時、そばにいてあげたのは私なのよ。
でもラングストンはこう繰り返したわ。「リリー、君はわかっていないようだけど、君に必要なのは夢中になれる相手なんだよ。君には彼氏が必要なんだ」
ええそうね、彼氏が要らないなんて私はひと言も言ってないわ。でも現実的に考えて、あんな風変わりな生き物と付き合うのは難しいわね。少なくとも一つ、性質の問題があるの。私は女子高に通っているのよ。古代ギリシャの女性詩人のサッフォーみたいな面倒見のいいお姉さまたちを軽蔑しているわけではないけれど、でも学校でロマンチックな恋の相手を見つけようという気にはなれないわ。それに、知り合いでもない男の子と出会うこと自体そんなにないんだけど、たとえ出会ったとしても、そしてその男の子がゲイではなかったとしても、大抵Xboxに夢中で私には見向きもしないわ。彼らが思う、10代の女の子はどういうファッションをして、どういう振る舞いをすべきかっていう考えはね、〈マクシム〉とかの男性誌に直接影響を受けているのよ。あるいは、テレビゲームに出てくる着飾ったキャラクターから来ているの。
他におじいちゃんの問題もあるわね。ずっと昔のことだけど、おじいちゃんはイースト・ヴィレッジのアベニューAで、近所の人たちが利用するような食料雑貨店を経営していたの。その店の経営権は売ってしまったみたいだけど、通りの角にあるこの建物はそのまま所有していて、ここで家族を育てたのよ。私の家族は今でもこの建物に住んでいるわ。おじいちゃんは4階の「ペントハウス」に住んでいて、かつて屋根裏の大広間だった部屋を改修したって言っていたわ。かつて食料雑貨店があった1階には、今は寿司レストランが入っているのよ。おじいちゃんはこの近所をずっと見てきたんだけど、この辺りは昔は移民家族が住み着く低収入世帯の多い地区だったみたいなの。それが今では都会派の高収入世帯が多い地区なのよ。この辺りの人はみんな、おじいちゃんのことを知っているのよ。毎朝、おじいちゃんは近くのイタリアン・ベーカリーに行って、彼の仲間の輪に加わるの。そこでは、凄く体格のいいたくましい男たちが上品で小さなカップを手に持ち、エスプレッソを飲んでいるの。その光景はまるでテレビドラマの『ソプラノズ』とミュージカルの『レント』が合わさったような感じなの。つまりね、みんながおじいちゃんを愛情を持って見守っているから、おじいちゃんが可愛がっている私のことも大事にしてくれて、みんなで家族の赤ん坊を世話するみたいに、私の面倒を見てくれるの。彼には孫が10人いるんだけど、私が一番若いのよ。ラングストンが言うには、今までに何人かの地元の男の子が私に興味を示したらしいんだけど、付き合うには私はまだ若すぎるということで、みんなすぐに「納得させられた」みたい。私はこの辺りを歩いている時、可愛い男の子を寄せ付けない見えないマントを羽織っているみたいなのよ。これは問題ね。
それで、ラングストンが二つの計画を思いついたの。(1)私が夢中になって取り組める課題を出す。そうすれば、彼はクリスマス中ずっとベニーと一緒にいられるから。(2)その課題を1番街の西に設定する。そこはおじいちゃんの息のかかっていない地区だから。ラングストンはおじいちゃんが私に買ってくれた一番新しい赤いモレスキンのノートを持ち出して、ベニーと一緒に一連の手掛かりを考えて、計画を練り上げたのよ。私にぴったり合う恋人を見つけるためですって。彼らはそう言っていたわ。でも、その手掛かりは本当の私の性格からかけ離れすぎているわ。つまりね、フランスのピアノ奏法?ってなんだかあやしいし、ゲイのセックスの喜び?私はそんなことについて考えただけで赤面しちゃうわ。完全にいかがわしいわね。チャラくて太ったプロムクイーン?「チャラい」って善意の欠片もない汚い言葉よね。私はそんな言葉を口にしたことはないし、ましてタイトルにその言葉が入っている本なんて読まないわ。
そのノートは冗談抜きでラングストンのくだらない思いつきだって思っていたの。ラングストンがそのノートをどこに置いておくつもりなのかを聞くまではそう思っていたんだけど、そこがストランド書店だったのよ。そこは両親が日曜日によく私たちを連れていってくれた本屋さんなの。私たちは自分たちの遊び場みたいに店内の通路を歩き回っていたわ。その上、彼はそのノートを私のバイブル的な愛読書『フラニーとゾーイー』の横に置くって言うのよ。「もしどこかに君にぴったりの男がいるとしたら」ってラングストンは言ったわ。「きっとサリンジャーの古い版の本を探しているような男だよ。だから、そこから始めよう」
いつものクリスマスシーズンみたいに、今年も家族が私の周りにいて、王道のクリスマスを過ごしていたら、ラングストンが考えた赤いノートの計画には決して賛成しなかったでしょうね。でも今年はクリスマスの予定が全くの白紙で、プレゼントももらえそうにないし、プレゼントほど重要ではないけれど、みんなで楽しく騒ぐパーティーもなさそうなのよ。正直に言うと、私は学校では周りにみんなが集まってくるような人気者ではないから、この子がだめならあの子を誘おう、みたいにクリスマスに会ってくれる友達を選べるわけじゃないの。私にはその日が来るまで楽しみに過ごせる予定が必要なのよ。
でも実際に誰かがそのノートを見つけて、そこに書かれている挑戦に応えてくれるなんて思わなかったわ。ましてや、「読書好きでストランド書店に入りびたっている10代の男の子」なんているとは思わないじゃない。そんな男の子がいるとしたら、きっとみんなに凄く人気があって、それでいて、なるべく目立たないように暮らしているような人よ。まさかそんな人がいて、ラングストンの謎めいた手掛かりを解いて、返事をくれるなんて思ってもみなかったのよ。それってたとえば、私の新しく結成した聖歌隊のみんなが、たったの2回夜の通りで歌った後に、アベニューBにある飲み屋で陽気なアイリッシュ・ソングを歌ってほしいと頼まれて、私を残してそっちへ行ってしまうくらい考えられないことだったわ。
でもね、いとこのマークから私の携帯にメールが届いて、どうやらそういう人が現れたみたいなの。
リリー、ストランド書店に君の挑戦に応じる人がいたよ。彼から君に渡してほしいと頼まれた物があって、それを茶封筒に入れて、書店の受付に置いておいたから。
私は信じられなくて、すぐに返信したわ。「どんな感じの人だった?!?!?」
マークはこう返してきたの。「うざくて、ひねくれた気取り屋。」
私は自分がそのうざくて、ひねくれた気取り屋の男の子と友達になれるか想像してみたけれど、ちょっと無理そうだった。私は上品で、物静かな女の子なの(聖歌隊では物静かではないけどね)。学校の成績もいいし、女子サッカーのクラブではキャプテンをしているのよ。私は家族が大好きで、街では今どんな服装が「かっこいい」とされているのかなんて何も知らないわ。皮肉っぽく気取って言っているわけではなくて、実際、私は凄くつまらないオタクなのよ。たとえば、『ハリエットのスパイ大作戦』の主人公の女の子がいるでしょ。11歳のおてんば娘で頭のいい子供探偵よ。その数年後の彼女を想像してみたらわかるわ。学校がない日も学校のオックスフォード・スタイルの制服を着て、その下に胸のふくらみを隠しているの。兄のお下がりのジーンズをはいて、宝石の代わりに、服装に合った動物の形をあしらったネックレスをつけて、擦り切れたコンバースのシューズを履いて、それからオタクっぽい黒縁メガネをかけているの。それが私よ。「草原に咲くリリー」、たまにおじいちゃんは私をそう呼ぶわ。だって、みんなが私のことを百合の花みたいに可憐で繊細だと思っているんだから。
でも時々、私は白い百合の花を思い切って裏返したくなるの。もっと暗い裏側はどんな感じなんだろうって。気のせいかしらね。
私はノートの謎の受取人がいったい何を私に残していったのかを確かめるために、ストランド書店に大急ぎで向かったわ。受付にマークはもういなかったけれど、マークが私に残してくれた封筒にはメッセージが走り書きしてあった。「リリー、マジであの気取った男はうざいぞ」
私は封を切って中を見たわ。すると...どういうこと?!?!そのうざい男は『ゴッドファーザー』の本を私に残していったのよ。それから、〈トゥーブーツ・ピザ〉の宅配メニューも一緒に入っていたの。そのメニューは汚れていて足跡がくっきり付いていたから、おそらく、それはストランド書店の床に落ちていたんだと思うわ。不衛生という観点からついでに言うと、その『ゴッドファーザー』の本は新品ですらなくて、タバコ臭いぼろぼろの中古品で、紙はしわくちゃで、いつページがばらばらになってもおかしくない状態だったわ。
私はこのわけのわからない謎を解いてほしくてラングストンに電話したの。でも彼は電話に出なかった。両親からフィジーの楽園に無事着いたというメールが届いていたけれど、おそらく、ラングストンはベニーを部屋に招き入れて、部屋の鍵をかけて、携帯の電源をオフにしているんだわ。
私にできることといったら、ピザを食べに行って、一人で赤いノートについてあれこれ考えることくらいしかなかったわ。他に何かできることがあるかしら? 迷った時は、炭水化物を補給しなくちゃ。
私は宅配メニューに住所が載っていたから、その〈トゥーブーツ〉まで行ったの。ハウストン・ストリートのすぐ北のアベニューAにあるお店よ。
そこでカウンターにいた人に、「『ゴッドファーザー』を好きな口うるさい男の子を知っていますか?」と訊ねてみたの。
「そういう知り合いがいたらいいんだけど」と、その店員さんは言ったわ。「ピザにペパロニは入れますか?」
「カルツォーネをください」と私は言ったわ。〈トゥーブーツ〉のピザは変なケージャン料理みたいな味がするから私には合わないの。私の消化器官は神経質なのよ。
私は角のテーブル席に座って、その口うるさい男の子が私に残していった本をぺらぺらとめくってみたけれど、何も有望な手掛かりは見つからなかった。そして、「このゲームは始まったはいいけれど、すぐに終わるんだろうな」と思ったの。私は百合の花みたいに清らかだから、汚れたメニューに付いていたものに気づかなかったのね。
でもその時、本の間に挟まっていたメニューが床に落ちたの。そして、それまで気づかなかった付箋紙がチラッと見えたのよ。私はそれを拾い上げたわ。その付箋紙には明らかに男の子の筆跡で走り書きがされていたの。気分屋みたいな、外国語っぽい、かろうじて読み取れる字だったわ。
そして、自分でも怖かったんだけど、私はそのメッセージを解読できたのよ。書かれていたのはマリエ・ハウという、私の母が大好きな詩人の詩の一部だったの。ママは現代文の教授で、特に20世紀のアメリカ文学を専門にしているから、ラングストンと私は子供の頃、ベッドでおとぎ話の代わりに毎晩のように詩を聞かされたのよ。まるで拷問を受けているみたいだったわ。それで兄と私は恐ろしいくらい現代アメリカの詩に精通しているの。
それはマリエ・ハウの詩の中でも母のお気に入りの一節で、私もいつもいいなって思っていた詩なの。だってね、その中に、街角のレンタルビデオ店の窓ガラスに映る自分の姿を見ているっていう一節があるのよ。私はその詩人の姿を想像して、おかしくて笑っちゃったわ。変わり者の詩人が通りをふらふら歩いていて、ふとビデオ店の前で立ち止まると、窓に反射して映る自分の姿をあやしむようにじっくり観察するの。自分の顔の横にはたぶん、ジャッキー・チェンとかサンドラ・ブロックとかの超有名人のポスターが貼られていたはずよ。そこには詩の一節も詩人のポスターもおそらく一切貼られてはいなかったでしょうね。
私はその気分屋の男の子が私の大好きな箇所を引用しているのを見た時に、彼のことがより一層気に入ったの。
「私は生きている。私はあなたを覚えている。」
それでも私はマリエ・ハウと〈トゥーブーツ・ピザ〉と『ゴッドファーザー』がどのようにつながっているのかさっぱりわからなかったから、もう一度ラングストンに電話してみたんだけど、やっぱり出なかったわ。
それで私は繰り返し何度もその一節を読んでみたの。「私は生きている。私はあなたを覚えている。」私に詩の心得はないけれど、それでもその女流詩人に称賛の言葉を送りたくなったわ。素敵。
すると、二人の人が私の隣のテーブル席に座って、レンタルしてきたビデオを何本かテーブルに置いたの。その時、私はそのつながりに気づいたのよ。角のビデオ店の窓と言えば、この〈トゥーブーツ〉のすぐ隣にもビデオ店があったわ。
私はまるでカルツォーネの上にかかったルイジアナ・ホットソースを間違えて口に入れてしまった時にトイレに駆け込むみたいに、大急ぎでビデオ店に走ったわ。そして、すぐに『ゴッドファーザー』が置いてあるはずの棚の前に行ったの。でも、そのビデオはそこにはなかった。それで店員さんにどこにありますかって聞いてみたら、「貸し出し中です」と彼女は言ったわ。
とにかく私は「G」の一角に戻ってみたの。そしたら、本来あるべき場所ではないところに『ゴッドファーザーⅢ』を見つけたのよ。そのケースを開けてみたら、当たり! もう一枚、別の付箋紙が入っていて、あのこじらせ男子の筆跡でこう書かれていたの。
「誰も『ゴッドファーザーⅢ』は借りないはず。間違ったところに置いてあったらなおさら誰も借りないね。もう一つ手掛かりが欲しい? もし欲しければ、『クルーレス』を見つけてね。それは悲しみと哀れみが出会う場所に間違えて置いてあるよ。」
私は再びカウンターに戻って店員さんに、「どこで悲しみと哀れみは出会いますか?」って聞いたわ。実存哲学みたいな回答が返ってくるものと凄く期待しながらね。
その店員さんはカウンターの下で読んでいる漫画本から顔を上げることなく言ったわ。「外国ドキュメンタリーのコーナーよ」
そう。
私は外国ドキュメンタリーのコーナーに行ってみたわ。そしたら、そうよ、『悲しみと哀れみ』というタイトルのビデオの横に、『クルーレス』があったのよ。そして、『クルーレス』のケースの中には別の紙切れが入っていたの。
「君がここまでたどり着くとは思わなかったよ。君も大量虐殺についての重苦しいフランス映画が好きなのかい? もしそうなら、僕はすでに君のことが気に入っている。もしそうではないなら、一度この映画を見てごらんよ。もしかして君はウディ・アレンの映画も軽蔑しているのかい? 君の赤いモレスキンのノートを返してほしかったら、君の好きな映画を選んで、その中に僕への指示を書いた紙を入れて、カウンターにいるアマンダに渡してね。クリスマス映画以外で頼むよ。」
私はもう一度カウンターに戻って、「あなたはアマンダですか?」って店員の女の子に聞いたわ。
彼女は今度は顔を上げて、片眉をつり上げると、「そうよ」って言ったの。
「あなたの知り合いに渡してほしい物があるんですけど、いいですか?」と私は聞いてみた。もっとあれこれ具体的に説明しかけたんだけど、そんなにあからさまに話す気にはなれなかったの。
「ええ、いいわよ」と彼女は言ったわ。
「『34丁目の奇跡』はありますか?」と私は彼女に訊ねたのよ。
3
-ダッシュ-
12月22日
「これって冗談だろ?」と僕はアマンダに聞いた。でも僕を見るアマンダの表情から、冗談を言っているのは僕の方だなとわかった。
まったく、なんて気の強い子なんだ!クリスマス映画のことなんかに触れるんじゃなかった。どうやら、どんな些細なことにもリリーは反応して、当てつけてくるらしい。そしてメモが入っていた。
5. トナカイ柄の暖かい毛糸のミトンの手袋を探してね、お願い。
となると、僕が次に向かうべき場所は考えるまでもなく自ずと決まってくる。
メイシーズ・デパートだ。
クリスマスイブの二日前だった。
どうせだったら、彼女は僕の顔をギフト用に包装して、僕の中に二酸化炭素を吹き込むくらいのことをしてもいいんじゃないか。あるいは、クレジットカードの領収書をひも代わりにして、僕の首を吊るせばいいのだ。クリスマス二日前のデパートは大勢の買い物客に包囲された街みたいなものだ。店内はきっと、たとえば最後の一つになった〈ミニチュアのタツノオトシゴ入りの球体のガラスの置物〉をわれ先に手に入れようと目をぎらつかせた人たちでごった返しているに違いない。みんながそれをそれぞれの大叔母さんへのプレゼントにぴったりだと考えているわけだ。
そんな中に入っていくなんて僕には無理そうだったし、そんなことしたくもなかったけれど、そうせざるを得なかった。
僕は気を紛らわせようと、「wool(毛糸)」と「woolen(毛糸の)」の違いについて頭の中で議論を始めた。それから、「wood(木)」と「wooden(木製の)」の違いや、「gold(金)」と「golden(黄金の)」の違いについても思考を広げていった。でもそんなことを考えていられるのも、地下鉄を降りて階段を上っている間までだった。地下からヘラルド・スクエアに出ると、一気に買い物袋を抱えた人たちの波にのまれ、僕は転びそうになった。〈救世軍〉への寄付を呼び掛ける鐘の音が不吉な前兆のように耳についた。さっさとここから抜け出さなければ、すぐに子供たちの聖歌隊が目の前に現れ、死ぬほど聖歌を聞かされるに違いない。
僕はメイシーズの中に入っていった。やはりデパートの店内は買い物客で溢れ、目を覆いたくなる光景が目の前に広がった。誰もが誰かのために買い物していた。自分の物を買う時のように、つかの間の満足感にひたる暇もなく、誰もがせわしなく歩き回っている。出費がかさむことは意識的に頭から消しているようだ。クリスマスが差し迫る中で、あらゆる代替案が採用されていた。その結果、好むと好まざるとに関わらず、父親はネクタイを、母親はスカーフを、子供たちはセーターを貰うことになるわけだ。僕のクリスマスの買い物は、12月3日の午前2時から午前4時の間にすでにオンラインで済ましてあった。購入したプレゼントはもう両親のそれぞれの家に置いてあって、両親は新年に旅行から帰宅したら、それを開けることになる。母親も僕へのプレゼントを自宅に待機させてある。一方、父親は僕にこっそり100ドル札を手渡すと、街へ行って好きに使えと言った。実際に父親が言った言葉は正確には、「この金を全部、酒と女に使うなよ」というものだった。もちろんこの言葉の裏には、この金の少なくとも「一部」は酒と女に使えよ、という意味が込められているのだ。もし酒と女にだけ使えるギフト券があって、それを手に入れる方法があれば、父親は彼の秘書がお昼休憩で外出している間に、僕にお金ではなく、そのギフト券を手渡しただろう。
この時期のデパートの店員はいろんな質問を砲弾のように浴びせられて頭がどうかしているのか、「トナカイ柄の暖かい毛糸のミトンはどこにありますか?」というような質問を少しも変だと思っていないようだった。やがて僕は〈上着〉売り場に連れて行かれた。ミトンが上着だとすると、何が〈下着〉の部類に入るのだろう、さすがに耳栓は下着ではないな、などと考えていた。
前から思っていたんだけど、ミトンの手袋って進化の過程を何段階か逆戻りしていると思う。どうしてわざわざあんなのを手にはめて、ロブスターみたいに不便な状態になりたがるのか僕には不思議だった。その時、メイシーズの(メイシーの?)クリスマスギフト用のミトンが目に入り、僕のミトンを軽蔑する思いに新たな深みが生まれた。〈ジンジャーブレッドマン〉みたいな人の形をしたミトンや、キラキラ光る装飾の付いたミトンが売られていたのだ。一対のミトンがヒッチハイカーのごとく親指を突き上げて置かれていた。きっとヒッチハイクの目的地は北極なのだろう。
すると僕の目の前で、中年の女性が一対のミトンを棚から引き抜き、すでに腕いっぱいに抱えていたミトンの山の上に置いた。
「ほんとに?」と僕は無意識に声に出していた。
「なにか?」と彼女はいらついたように言った。
「デザインと実用性は抜きにしても、」と僕は言った。「そういうミトンを買って得することなんて何もないですよ。どうしてわざわざヒッチハイクして北極まで行きたいのかな? 買った物を家まで届けてくれるっていうのも全部クリスマスの商品戦略じゃないですか? 家に帰ってふと目が覚めたら、きっと目の前に、疲れ切って不機嫌な小人の妖精がいっぱいいるはずですよ。もちろん、北極に極を示す柱なんてないことを誰もが知っている時代に、あなたが神話に出てくるような小人の工房があるという考えを受け入れればの話ですけどね。そして、もし温暖化が続けば、柱どころか氷もなくなってしまいますよ」
「ちょっとあなた、あっちへ行ってくださらない?」と、その女性は言い返してきた。それから彼女はミトンを抱えて、どこかへ行ってしまった。
これはクリスマスシーズンだけの奇跡だ。たまったうっぷんを心の中で大声で吐き出す良い機会なのだ。見知らぬ人にも遠慮なくものが言えるし、自分に近しい人たちにも当たり散らすことができる。ちょっとした理由で、むかつくことってあるよね。たとえば、「勝手に俺の駐車スペースを使ってんじゃねーよ」とか、「私がせっかく選んだミトンにケチをつけないでよ」とか、「俺はお前が欲しがっていたゴルフクラブを16時間もかけてやっと見つけたっていうのに、お返しがマクドナルドのギフト券かよ」とかね。あるいは、長年いつ言おうかと機会を伺っていたうっぷんも、この時期に吐き出すことができる。「私が何時間もかけて七面鳥を料理したっていうのに、なんでいつも最後に七面鳥を切る役はあなたなのよ」とか、「もう次のクリスマスをあなたと過ごす気はないわ。あなたを好きなふりをするのはもうこりごりなのよ」とか、「あんたは僕に酒と女が好きな性格を受け継いでほしいようだけど、そうすると、あんたは父親というより反面教師じゃないか」とかね。
こんなだから、僕はメイシーズに出入り禁止にされるべきなんだ。ほんの短い期間が「シーズン」と呼ばれて特別視されるこの時期になると、クリスマス関連の連想が連想を呼び、頭の中に〈言葉が反響する部屋〉をつくり上げてしまうのだから。一旦その部屋に足を踏み入れたら、そこから抜け出すことは難しい。
僕はリリーがその中の一つに何かを隠していると確信し、すべてのトナカイ柄のミトンと握手し始めた。案の定、5回目の握手で何かがクシャッとなった。僕はその手袋の中から紙を引き出した。
6. 私はあなたへのメッセージを枕の下に隠してきたわ。
次に向かうべき場所は、寝具売り場だ。個人的に僕は「bedding」という言葉が好きで、それが「寝具」という名詞としてではなく、「寝る」という動詞として使われる時の響きを好んでいる。「Can you show me the bedding section?(寝具売り場を案内してもらえますか?)」という台詞と、「Are you bedding me? Seriously, are we going to bed each other?(僕と一緒に寝ない?マジで一緒にベッドに入らない?」という台詞には、どちらにも「bedding」が使われているが、後者の方が断然良い響きだ。実を言うと、こういう台詞は実際に声に出すよりも、僕の頭の中でより心地良く響く。ということをソフィアに言ってみたことがある。でも彼女にはその意味が伝わらなかった。そういう時にはいつも僕は彼女が英語を母語としていないからだと考えていた。逆に僕は彼女に、何かスペイン語の曖昧な言い回しを僕に向かって言ってみて、と頼んだこともあるが、僕がそう頼んでいる時も、彼女は僕の言わんとしていることをわかってくれなかった。
それでも彼女は一輪の花のように綺麗だったから、僕はそういうやりとりさえも懐かしい。
僕は寝具売り場に着いた時、あまりのベッドの多さに、リリーはいったいどれだけの枕の下を僕に探させるつもりなんだとあきれた。これだけの広さがあれば、孤児院が丸々一つ入りそうだったし、修道女がふざけ合って遊べるくらいの大きなベッドもいくつかあった。(「私のベールを取って!私のベールを取ってちょうだい!」)
僕が思いついた唯一の効率的な方法は、寝具売り場を四分割して、北側から時計回りに見ていくことだった。
最初のベッドはペイズリー柄で、ベッドの上には4つの枕が立て掛けるように置かれていた。僕は次のメモを探そうと、すぐに枕の下に手を入れた。
「お客様?どうかなさいましたか?」
振り向くと、ベッド売り場の店員がいた。彼の表情は面白がっているようでもあり、警戒しているようでもあった。彼は原始時代を描いたアニメに出てくるバーニー・ラブルにそっくりだった。ただ、原始時代にはなかったはずの日焼けスプレーで肌を褐色にしているようだった。僕は彼に親しみを覚えた。と言ってもスプレーで日焼けしているからではない。僕はそんな馬鹿な真似はしない。そうではなく、寝具売り場の店員が聖書に出てくるような矛盾をはらんだ仕事だと思ったからだ。つまり、彼はここで1日8時間とか9時間立っていることを強いられ、しかもその間ずっとベッドに囲まれているのだ。そしてそれだけではなく、彼はベッドを見に来る買い物客に囲まれながら、「お客さん、実は私はさっきから、一瞬でもいいからこのベッドに横になりたい気持ちでいっぱいなんですよ」とか頭では思っているはずだ。それに、彼は自分自身の横になりたいという欲求を抑えるだけでなく、お客さんが寝転がるのも止めなければならない。もし僕が彼なら、きっと人恋しくなって、誰かと話したくてたまらないだろう。そんなわけで僕は彼を信頼して、当てにすることにした。
「探している物があるんです」と僕は言った。彼が指輪をしているのがチラッと見えた。当たりだ。「結婚しているんですね?」
彼はうなずいた。
「えっと、ここにあるはずなんです」と僕は言った。「僕の母親ですか? 母親はさっきここでベッドを見ていて、その時にどれかの枕の下に買い物リストを落としてしまったみたいなんです。それで今、母親は上の階で食器を見ているんですけど、誰に何を買えばいいのか思い出せなくて困っていて、そしたら父親もカンカンに怒ってしまってキレそうなんです。父親はテロリズムとか相続税とかと同じくらい買い物が好きなんですよ。それでぼくに下の階に行って、買い物リストを探してこいって言うんです。だから、すぐに見つけないと、彼の怒りで5階の床が溶け出して大きな穴が開いちゃいますよ」
日焼けしすぎのバーニー・ラブルはこめかみに指を当てて、頭を働かせていた。
「そういえば彼女のことを覚えているかもしれません」と彼は言った。「枕の下を探したいのでしたら、私も一緒に探しましょう。ただ、枕をちゃんと元通りに戻してください。それとシーツにしわをつけないように気をつけてくださいね」
「あ、わかりました!」と僕は彼に請け合った。
僕がいつか酒と女に夢中になったら、「ちょっといいですか、お嬢さん、僕は君とベッドに入って、一緒にシーツをしわくちゃにしたい。ひょっとして今夜空いてる?」という決め台詞を言おうと決めた。
ここで、法的に訴えられそうなことを言うリスクは承知の上で、メルシーズの寝具売り場の枕の下でいろんな驚くべき物を見つけた、と述べておかなければならない。食べかけのチョコレートバー。赤ちゃん用のグミ。名刺。それから、死んだクラゲともコンドームとも思える何かがあった。でも僕はそれがなんなのか、はっきりとわかる前に指を引き抜いた。バーニーは運悪く腐乱したネズミの死体を見つけて、小さく声を上げた。彼はすぐにそれを埋葬して、完全に殺菌消毒するためにどこかへ走っていった。その直後、僕は探していた紙切れを見つけたのだ。
7. 次のメッセージがどこにあるのかサンタさんに聞いてみてね。あなたにできるかしら。
無理、無理。なんてことを言い出すんだ。そんなこと絶対に無理だ。
彼女の勝気な性格に魅力を感じなければ、僕はさっさと逃げ出していただろう。
でも僕は逃げることなく、一目散にサンタに向かっていた。
しかしサンタにたどり着くのは、そう簡単なことではなかった。一階に下り、〈サンタのワンダーランド〉に行ってみると、少なくとも10クラス分はある長蛇の列ができていた。列を成す子供たちはだらだらしている子もいれば、そわそわしている子もいた。そのそばにいる両親たちは携帯電話で話したり、ベビーカーの赤ちゃんをあやしたり、あるいは、ゾンビみたいにふらふらしていた。
幸いにも僕には本があった。サンタの列に並んで待たなければならないような手持ち無沙汰になる時のために、外出時にはいつも本を携帯しているのだ。少なからざる親たちが、特に父親たちが僕にけげんな視線を向けてきた。僕についてあれこれ頭で算段しているのがわかった。僕はサンタを信じているような年齢ではないし、かといって子供の世話をするほど大人でもない。もし僕をあやしんでいるようなら、僕は無害だと言いたかった。
最前列にたどり着くのに45分もかかった。子供たちは〈欲しいものリスト〉や、クッキーや、デジタルカメラを手早く取り出していたが、僕の手には『卑しい肉体』しかなかった。ついに僕の番が来た。僕の前の女の子がサンタとの話を切り上げたので、僕は前に進もうとした。
「ちょっと待ちなさい!」と、独裁者のような命令口調のガラガラ声が横から聞こえた。
僕は頭の中で毒づいてやろうと、一瞬下を向いて言葉を探したが、今まで経験したクリスマスの中で一番陳腐な台詞しか思いつかなかった。権力狂の妖精め。
「君は何歳?」と彼はどなった。
「13」と僕は噓をついた。
彼の目が、頭にかぶっている馬鹿みたいな緑の帽子の先と同じくらい細くなった。
「申し訳ないが、」と彼は言ったのだが、彼の声は全然申し訳なさそうではなかった。「12歳までという決まりなんだ」
「そんなに時間はかかりませんから」と僕は言った。
「12歳までなんだよ!」
前の女の子がサンタと話す割り当てられた時間を終え、僕の番が来たのだ。正真正銘、僕の番だった。
「一つだけサンタに聞かなければならないことがあるんです」と僕は言った。「それだけなんです」
その妖精は体を張って僕の行く手をさえぎり、「今すぐ列から出て行きなさい」と迫ってきた。
「やれるものならやってみろ」と僕は言い返した。
列を作る人たちがみんなこちらを見ていた。子供たちが恐怖で目を丸くしている。父親たちのほとんどが、一部の母親たちも、僕が何かしようものなら僕を取り押さえようと身構えていた。
「警備員を呼んでくれ」と、その妖精は言ったが、僕には彼が誰に話しかけているのかわからなかった。
僕は太ももで彼の肩を押しのけるようにして前に進んだ。もう少しでサンタまでたどり着くというところで、お尻を引っ張られた。妖精が僕のジーンズの後ろのポケットをつかんで引き戻そうとしたのだ。
「おい、離せ、僕から手を離せ」と僕は言って、蹴り返した。
「お前は始末に負えないやつだな!」その妖精は叫んだ。「なんてたちが悪いんだ!」
僕たちはサンタの注意を引きつけた。サンタは視界の中心に僕をとらえると、笑い出した。「ほっほっほー!どうしたというのじゃ?」
「リリーに頼まれて」と僕は言った。
彼はあごひげを触って考えていたが、心当たりがあるようだった。その間にも妖精は僕のジーンズを下ろしかけていた。
「ほっほっほー!彼を離してあげなさい、デズモンド!」
妖精は手を離した。
「警備員を呼びますよ」と彼は言い張った。
「もし警備員を呼ぶようなら、」とサンタはぶつぶつ言った。「あなたは今すぐハンドタオルを折りたたむ仕事に戻ることになりますよ。鈴のついたブーツをぬぐ時間も、妖精のボクサーパンツをぬぐ時間もないくらい今すぐにです」
あの時、妖精が小型の彫刻道具か何かを隠し持っていなくて本当に良かった。もし彼がそんなものを持っていたら、あの日はメイシーズにとって特別な日になっていたかもしれない。
「よし、よし、よし」とサンタは妖精が退いたのを見て言った。「こっちに来て、私のひざの上に座りなさい、坊や」
このサンタのあごひげは本物だったし、髪の毛も本物だった。彼は即席でサンタの格好をしているだけのふざけたやつではなかった。
「僕は坊やじゃない」と僕は指摘した。
「それでは、大きな少年、私のひざに乗りなさい」
僕は彼のひざの上に乗ろうとしたのだが、彼のお腹の下にはあまりスペースがなかった。なんとか僕が彼の上に乗った時、間違いなく彼は、さりげなくではあったが、股間の位置を調節した。
「ほっほっほー!」と彼は高笑いした。
僕は彼のひざの上に用心深く座った。なんだかガムが吐き捨てられている地下鉄の座席みたいな感触だった。
「君は今年良い子にしていましたか?」と彼は聞いてきた。
僕は自分の素行の良さや悪さを自分で評価できるほどちゃんとした人間ではない、と思ったが、話に乗って先を急ぐために、はい、と答えた。
すると彼は喜んで体をゆさゆさと揺らした。
「よし!よし!それでは今年のクリスマスには何が欲しいのかな?」
それは考えるまでもなかった。
「リリーからのメッセージです」と僕は言った。「それがクリスマスに欲しいものです。でも今すぐに欲しいんです」
「まあ、そう焦るな!」サンタは声を低くして、僕の耳元で囁いた。「サンタから君へちょっとしたプレゼントがあるんだ」彼はコートの下で腰をずらした。「もしそれが欲しければ、サンタのお腹をこすりなさい」
「どういうことですか?」と僕は聞いた。
彼は視線を落として、お腹をなでる仕草をした。「さあ、なでなさい」
よく見ると、彼の赤いベルベットコートの下にうっすらと封筒の輪郭が浮かんで見えた。
「君が欲しいものはこれだね」と彼は囁いた。
この状況を切り抜けるには、僕は試されているのだと思い込むしかなかった。
調子に乗るなよ、リリー。君は僕をおじけづかせることなんてできない。
僕はサンタのコートの下に手を入れた。恐ろしいことに彼はコートの下に何も着ていなかった。熱くて、汗まみれで、脂肪がたぷたぷしていて、毛深いお腹だった...そのお腹が大きな障壁となって、封筒を取ろうとする僕の行く手をはばんだ。なんとか封筒をつかもうと、僕は前かがみになり、腕を曲げなければならなかった。その間ずっとサンタは「あっほほー、ほほっおっほー!」と、僕の耳元で笑っていた。その時、妖精が叫ぶのが聞こえた。「いったい何をやっているんだ!」そして周りの親たちが悲鳴を上げた。
そう、僕はサンタの体をまさぐっていたのだ。そして、やっと封筒の角をつかむことができた。彼はお腹を揺すって僕の手から封筒を引き離そうとしたが、僕はしっかりとつかんだまま、勢いよく手を引き抜いた。封筒と一緒に、彼のお腹に生えていた白い毛も何本か抜いてしまった。
「うおっほっほー!」と彼は叫んだ。僕は彼のひざの上から飛び降りた。「警備員が来たぞ!」と妖精が言い放った。手紙は僕の手の中にあって、湿っぽくはなっていたが無傷だった。「あの人、サンタに触ったよ!」と、小さな子供が甲高い声を上げた。
僕は走った。階段を上ったり下りたりして、通路をくねくねと曲がり、買い物客たちの間をくぐり抜けるように走った。そうしてメンズウェアの売り場にたどり着いた僕は試着室に逃げ込むと、やっとひと息つくことができた。
誰かがそこに置いていった紫色のベロア生地のトレーニングウェアがあったので、それで手と封筒を拭いた。それから、リリーの次のメッセージを見ようと封を開けた。
8. そう来なくっちゃ!
さて、私がクリスマス(か12月22日)に欲しいものは、
あなたの最高のクリスマスの思い出です。
私の赤いノートも返してほしいから、
あのノートにあなたの思い出を書いて、
2階にある私の靴下の中に入れておいてね。
僕はモレスキンのノートをめくっていって、最初に出てきた白紙のページにクリスマスの思い出を書き始めた。
僕の最高のクリスマスは8歳の時のクリスマスだね。両親が離婚したばかりだったんだけど、二人とも僕は運がいいって言っていた。だって、それまでは年に一回だったクリスマスを二回も楽しめるんだからね。両親はオーストラリア式のクリスマスだと言っていた。夜に母親の家でプレゼントをもらって、翌朝には父親の家でもらうんだ。オーストラリアではクリスマスが二日あるからいいんだって。それは僕にとって嬉しいことで、正直言ってラッキーだと思ったよ。2回もクリスマスを楽しめるんだからね!二人ともなんだか張り切っていて、豪華な食事が出て、それぞれの家にそれぞれの親戚が集まっていた。両親は僕の〈欲しいものリスト〉の中央に線を引いて二人で割ったんだと思う。僕は重複なしに欲しかったものをすべてもらったからね。
そして二日目の夜、父親が大きな失敗をしたんだ。僕は遅くまで起きていて、とっくに寝るべき時間は過ぎていた。親戚たちはもう帰宅していた。彼は何か茶色っぽい金色の、おそらくブランデーを飲んでいた。彼は僕を横に座らせると、二回もクリスマスをやるのは気に入ったか?と聞いてきた。僕は、うん、と答えた。そして彼はもう一度、なんて運がいい子なんだ、と言った。それから父親は僕に、何か他に欲しいものはあるか?って聞いたんだ。
だから僕は言ったんだよ。ママも一緒にいてほしいって。そしたら彼はまばたき一つせずに、わかった、きっと叶えてみせるって言ったんだ。僕は彼を信じたよ。僕は運がいいってことも信じたし、二回のクリスマスは一回より楽しいって思い込んだし、たとえサンタは実在しないとしても、僕の両親はまだ魔法を使えるんだって信じたんだ。だから、あの時のクリスマスが僕の最高のクリスマスなんだよ。僕が本気でそういうことを信じていた最後のクリスマスだからね。
メッセージを投げかけて、それに対する返事をもらう。もしリリーが僕のメッセージを理解できなかったら、このやりとりを続ける理由はないな、と思った。
あのサンタがいる場所には近づかないようにして、警備員たちからも距離を取りながら二階に行ってみると、名前入りのクリスマスの靴下を売っているコーナーがあった。確かに「リナス」と「リビニア」の間に、「リリー」と名前の入った靴下がかかっていた。僕はその靴下の中に赤いノートを入れた...
...でも僕はその前にAMCシアターに行って、リリーに映画のチケットを買った。翌日の午前10時からの『おばあちゃんがトナカイにひかれちゃった』のチケットを買って、ノートに挟んでおいたのだ。
4
(リリー)
12月23日
私はまだ一人で映画を見に行ったことがない。映画館に行く時はいつもおじいちゃんと一緒か、お兄ちゃんと両親と一緒か、いとこたちと大勢で行くかだからね。ポップコーン好きのゾンビの集団みたいに親戚同士で見るのが一番いい。笑うツボも、息をのむシーンも同じだから気を使わなくて済むし、細菌を気にして特大サイズのコーラを一本のストローで回し飲みできないなんてこともないし、親戚ってそういう意味で気楽なのよ。
私は午前10時から上映の『おばあちゃんがトナカイにひかれちゃった』には、ラングストンとベニーも一緒に来てもらうつもりだったの。だって、このノートの計画自体、彼らの発案なんだから、彼らには私を連れていく責任があるでしょ。私は午前8時ちょうどに二人を起こしたわ。家を出る前に彼らに事情を説明する時間も必要だったし、それだけ時間があれば、彼らは皮肉な台詞がプリントされたTシャツを選んでから、〈髪型なんか気にしていませんよと見せかけて実は気にしすぎ〉の無造作ヘアーに髪を乱すこともできるでしょ。
そしたらラングストンは彼を起こそうとする私に向かって枕を投げつけてきたのよ。彼はベッドから一歩も出ようとしなかった。
「僕の部屋から出て行け、リリー!」と彼は不機嫌そうに言った。「一人で映画に行ってこい!」
ベニーは寝返りを打って、ラングストンのベッドの横の時計を見た。「あら、かわいこちゃん、朝の何時? 8時? まったくどうしたの、クリスマス休暇中なんだから、お昼まで寝るのが決まりみたいなものでしょ、ね、かわいこちゃん...さあ、自分の部屋に戻って寝なさい!」ベニーはうつ伏せに寝転がると、頭の上に枕を載せた。そして、すぐに眠りの世界に入っていったようだった。おそらくスペイン語まじりの英語で夢を見ているのだろう。
実は私自身もすごく疲れていた。午前4時に起きて、新しくできた友達というか、謎のこじらせ男子くんに特製のプレゼントを作っていたからね。一瞬、子供の時みたいにラングストンの隣にごろんと寝転がってうたた寝するのも悪くないなと思った。でも、もし私が今日みたいな特別な朝に、このような特別な関係の人が彼の横で寝ている時に、そんなことをしようものなら、ラングストンは待ち構えていたと言わんばかりに、さっきの台詞を繰り返すことは目に見えていた。
「聞こえないのか?リリー、この部屋からさっさと出て行け!」
彼がそう言うところを想像していたら、実際に彼はそう言ってきた。
「でも、私は一人で映画を見に行ってはいけない決まりでしょ」と私はラングストンに思い出させた。少なくとも私が8歳の時はそういう決まりだったし、ママとパパは私が年を重ねるごとにそのルールも改変されていくなんて一言も言っていない。
「もちろん君は一人で映画を見に行ってもいい。たとえそれがルール違反だとしても、ママとパパがいない時の責任は僕にあるんだ。というわけで僕が許可する。それから今すぐ僕の部屋から出ていけば、君の門限を午後11時から12時に延ばしてあげる」
「私の門限は午後10時よ。それに私は夜遅くに一人で外出することは許されていないわ」
「いいかい?考えてごらん、君の新しい門限は門限を取っ払うことなんだ。君は好きなだけ遅くまで外出できるし、誰と一緒にいてもいいし、一人だっていいんだ。ただ携帯の電源だけは入れておくこと。僕が電話して君の生存を確認することができるからね。自由に酔っぱらってもいいし、男の子と遊び回ってもいいんだよ。そして...」
「ラーラーラーラーラー」と私は言いながら、両手で耳を塞いでラングストンの下品な話が入ってこないようにした。私は振り向いて彼の部屋から出て行こうとしたんだけど、もう一度部屋の中を振り返って聞いた。「クリスマスイブの前日には何を作ったらいいかしら?私が考えているのは栗を焼いて、」
「出て行け!」と、ラングストンとベニーが同時に叫んだ。
クリスマスイブの前日の祝賀ムードも台無しね。私たちが小さかった頃は、クリスマスまでのカウントダウンを一週間前からやっていたのよ。ラングストンと私は朝食の時に、「おはよう!ハッピークリスマスの前の前の前の前の日!」とか言い合って、クリスマスの日まで毎日楽しく過ごしていたのに。
私はどんなモンスターが映画館にひそんでいるのか不安になった。きっと兄がベッドから出ようとしなかったばかりに一人で映画館に行くはめになった多くの女の子たちが、モンスターのえじきになっているんだわ。私はぐずぐずしていても仕方がないし、心もとなくても現実を直視して、危険なシナリオに備えたほうが良さそうだと思った。私は着替えて、特製のプレゼントを包んでから、洗面所の鏡の前に立って、いかくするような表情の練習をした。映画館で一人で座っている人を狙うモンスターを寄せつけないためにね。
私が鏡に向かって、舌を出して振り動かしてみたり、鼻にしわを寄せてみたり、憎しみに満ちた目でにらんでみたりして、自分にできる最大限のひどい顔を練習していると、ベニーが洗面所の入口のところに立っているのが鏡越しに見えた。「なぜ君は鏡に向かって子猫みたいな可愛い表情を作っているんだい?」と彼はあくびしながら聞いてきた。
「ひどい顔を作っているのよ!」と私は言った。
ベニーはこう言ってきた。「ほら見てごらん、ひどい子猫顔より、今君が着ているその服装のほうがよっぽど男の子をおじけづかせるよ。そんな格好をして、15歳のお祝いをしたばかりのお嬢ちゃんはどうかしちゃったのかい?」
私は視線を下げて自分の服装を見た。オックスフォード・スタイルの制服のシャツをひざ丈の深緑のフェルト生地のスカートの中にたくし込んでいる。そのスカートにはトナカイの刺しゅうが入っている。キャンディー棒みたいに赤と白がくるくる渦を巻く柄のストッキングに、擦り切れたコンバースのスニーカーを履いている。
「これのどこがおかしいって言うの?」と、私は笑顔を反転させるようにまゆをひそめて訊ねた。「クリスマスの前の前の日にふさわしい、とても華やかな格好だと思うし、それにトナカイの映画にはぴったりだわ。というか、てっきりあなたは眠りの世界に戻ったのかと思ったわ」
「トイレ休憩だよ」と、ベニーは私の頭からつま先までをファッションチェックするように見ながら言った。「全然だめ。そのスニーカーはなってない。クリスマスっぽい服装で行くつもりなら、もっと本気で身支度したほうがいい。おいで」
彼は私の手を取ると、私を引きずるように私の部屋に連れ込んだ。そしてクローゼットの前に立つと、彼はコンバースのスニーカーの山を眺めて、何かいい靴はないかと探した。「他の靴は持っていないのかい?」と彼は言った。
「古いドレスとかが入ったトランクの中になら、」と私は冗談めかして言った。
「いいね」と彼は言った。
ベニーはすかさず部屋の隅にあった古いトランクに近寄ると、バレエ用のチュールスカートを引っ張り出し、それから丈の長いハワイアン・ドレスや、「#1 FAN」という文字の入った野球帽や、子供用の消防士のヘルメットや、プリンセスの絵柄のスリッパや、厚底靴や、びっくりするほどの数のクロックス・サンダルを次々に取り出した。ついには大叔母さんのアイダが昔バトンガールをやっていた時に履いていた房の付いたブーツまでつかんで引っ張り出した。そのブーツのつま先とかかとには、歩くとコツコツ音がする金具が付いていた。「君はこれ履ける?」とベニーは聞いてきた。
私は試しに履いてみた。「ちょっと大きいけど、大丈夫かな」そのブーツは私のキャンディー柄のストッキングを素敵に引き立てていたから、私はそのブーツが気に入った。
「すごくいいよ。それに冬用のニット帽をかぶれば、ばっちりだよ」
冬の寒さから頭を守る私の必須アイテムは、貴重なビンテージものの赤いニット帽で、耳のところから毛糸のポンポンがぶら下がっている。その帽子がなぜ「ビンテージ」なのかと言うと、私が小学4年生の時、自分で編んだそのニット帽をかぶってクリスマス発表会のステージに立ったからなの。『A Christmas Carol(ing) A-go-go』という、ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』をベースにしたディスコ風のミュージカルを演じたのよ。その出し物の許可を取るのに校長先生を説得するのがとても大変だったわ。かたくなにキリスト教的なものを嫌う人っているのよね。
服装をばっちり決めて、私は家を出ると地下鉄の駅に向かって歩き出した。よっぽど家に戻ってバトンガールのブーツから履き慣れたコンバースのスニーカーに履き替えようとも思ったんだけど、ブーツが舗道に当たるたびにコツコツと金属音が鳴って、なんだかウキウキしてきたから、そのままブーツで歩き続けていたら、そのブーツはちょっと大きくて、足がすぽっと抜けてそのまま歩いて行きそうになった。(「このブーツって...するりと脱げる用にできているのかしら...ラララ...ハハハ」)
謎のこじらせ男子くんの跡を追うのはワクワクするけれど、『おばあちゃんがトナカイにひかれちゃった』という映画のチケットをノートに挟んでくるような少年が、付き合いたくなるような男の子である可能性は低いだろうな、と私は認めざるを得なかった。まず単純に、私はそのタイトルが気に入らなかった。ラングストンが言うには、私はこういうことに関してユーモアのセンスをもっと磨くべきみたいだけど、私たちにとって大切な存在である年配の人をトナカイが追い回すことの、どこがそんなに面白いのか私にはわからない。トナカイは草食動物で植物をエサとし、肉は食べないというのはよく知られている事実なので、私はトナカイが誰かのおばあちゃんを襲うなんて有り得ないと思う。おばあちゃんに危害を加えてしまったトナカイのことを考えるだけで私はやるせない気持ちになる。だって、もしそんなことが映画ではなく現実世界で起こったら、野生生物局がそのトナカイを捕まえて、そのかわいそうな角の生えたトナカイくんを処分してしまうわ。きっとおばあちゃんが誤ってトナカイの前に飛び出しちゃったとか、そういうことがきっかけなのよ!そのおばあちゃんはメガネをかけるのをいつも忘れるの。骨粗しょう症を患っていて、猫背でゆっくり歩いていたんだわ。そしたら大人のバンビちゃんにぶつかっちゃったのよ!
私がわざわざ映画館まで行くのは、謎の少年をひと目見ることができるかもしれないという理由が大きかった。彼が私の靴下の中に入れたモレスキンのノートには映画のチケットが挟んであったんだけど、そのチケットには付箋紙が貼られていて、こう書かれていた。
映画館に行くまでは、僕がこのノートに書いたことを読まないように。
そして、このノートに君の最悪なクリスマスの思い出を書いて。
どのように最悪だったのかを省略せずに詳しくね。
そしたら、このノートをママのお尻の後ろに置いておいて。
ありがとう。
私は誠実でありたい。だから前もってノートは読まなかった。それって両親がクローゼットに隠してあるクリスマス・プレゼントをこっそりのぞき見るみたいなものだし、私はその映画が終わるまではノートを読まないでおこうと心に決めた。
『おばあちゃんがトナカイにひかれちゃった』が私の嫌いな映画だというのは覚悟していたけれど、その映画館で目にしたものは全く予想していなかった。その映画を上映している映画館の外には、壁沿いにずらっとベビーカーがきちんと列を成して置かれていた。館内は大混雑だった。どうやら午前10時からの上映回は子供を連れたママたちのためにあるらしい。連れてきた赤ん坊やよちよち歩きの子供が館内で心ゆくまでわめいたり、げっぷをしたり、泣いたりしている横で、ママたちは本当に子供に不適切な映画を見ることができる。館内は「ワーワー」、「ママー、...したい」、「やだ!」、「あたしのだよ!」といった騒がしい子供たちの声で溢れていた。ゴールドフィッシュクラッカーやチェリオなどのお菓子が後ろの列から飛んできて私の髪に当たったりして、私はほとんど映画に集中することができなかった。レゴのおもちゃが空中を飛ぶのも見たし、大叔母さんのアイダのタップ付きブーツの下は、子供用のマグカップから床にこぼれたジュースでベタベタするし、映画どころじゃなかったわ。
私は子供が怖いのよ。まあ、見た目は可愛くて鑑賞するには良い存在だと思うけど、子供って要求ばっかりしてるし、わけのわからない行動をするし、時々変な匂いもするからね。私もかつてはそんな赤ん坊だったなんて信じられないし、さらに信じられないのは、その映画の内容よりも、そういう館内の状況にうんざりさせられたことだった。スクリーン上で太ったママを演じる黒人のコメディアンを見ていられたのは最初の20分だけだった。その間ずっとママたちがあちこちの席で子供となにやら交渉している声が上がっていて、私はもうそれ以上は耐えられなかった。
私は席を立つと、スクリーンのある劇場から出てロビーに出た。そこはある程度平和で静かだったので、私はようやくノートを読むことができると思った。ところが集中して読もうと思った矢先、子供をトイレに連れていって戻ってきた二人の母親が私に近づいてきて、声をかけられた。
「あなたの履いてるブーツいいわね。素敵!」
「その帽子はどこで買ったの?素敵ね!」
「私は素敵じゃない!」と私は金切り声を上げた。「私はただのリリーよ!」
二人の母親は後ずさり、そのうちの一人が言った。「リリー、ママに言って、ADHDを治す薬を処方してもらいなさい」そして、もう一人がチェッと舌打ちした。二人の母親は〈金切り声を上げるリリー〉から遠ざかると、子供をせかすようにスクリーンのある劇場へそそくさと入っていった。
その時、『おばあちゃんがトナカイにひかれちゃった』の宣伝用のボール紙を切り抜いた巨大パネルが立っているのが目に入り、その後ろに隠れるスペースがあるのに気づいた。私はそのパネルの後ろに回り込み、あぐらをかいて座ると、ノートを開いた。やっと読める。
彼の文章を読んで、私はとても悲しくなった。
と同時に読みながら私はかなり嬉しい気持ちにもなった。朝4時に起きて彼のためにクッキーを作ったかいがあったと思った。と言っても、練り粉はママと私で一ヶ月くらいもつように前もって作って冷凍庫に入れてあったから、私はいろんな味の練り粉を解凍して、クッキーの型に入れて焼くだけだったんだけどね。じゃーん!この缶いっぱいにスプリッツ・クッキーを作ってきたのよ。使えるものはすべて使って味付けしたの。(こじらせ男子くんはそんな私の努力に見合う人に違いないと確信しているわ。)味付けに使ったのはチョコレート・フレーク、エッグノッグ、ジンジャーブレッド、レープクーヘン・スパイス、ミント味のキャンディー、それとカボチャ。それから、それぞれのスプリッツ・クッキーの味に合った色の粉砂糖を振りかけて飾り付けして、最後にクッキーの缶にリボンを付けて包装したってわけ。
私はヘッドフォンを取り出して、iPodでヘンデル作曲のクラシック音楽『メサイア』を聴き始めた。それで私は書くことに集中できた。手に持ったペンを掲げて音楽に合わせて指揮者の真似をしたい欲求を抑えながらではあったけれど、私は謎の少年の質問に答えた。
私の唯一の嫌なクリスマスの思い出は6歳の時のクリスマスね。
あと一週間くらいでクリスマス休暇に入る頃だった。学校で自慢のものを持ち寄ってみんなの前で発表する授業があったんだけど、その時に恐ろしい事故が起こって、私の飼っていたアレチネズミが死んじゃったの。
わかるわ、そうね、おかしな話よね。でもちっともおかしくなんかなかった。それどころか、ぞっとするような虐殺だったわ。
ごめんなさい。でもあなたの「省略するな」というリクエストには応えられない。あの恐ろしい瞬間の詳細は省略させてもらう。記憶がまだ鮮烈すぎて、気が動転して書けそうもないのよ。
私が本当に傷ついたのは、(もちろん罪の意識やペットを失った悲しみもあったけれど、それとは別に、)その出来事によって私にあだ名がついたことなの。その光景を見た瞬間、私は絶叫したわ。怒りや悲しみの感情が一気にふくれ上がって、まだ小さかった私の体には収まりきらなかった。どうしても泣きわめく自分を抑えられなかったのよ。クラスのみんなが私の背中を触ったりして、話しかけてくれたけれど、私はただ泣き叫んでいたわ。なんだか私の根底にあった衝動があふれ出したみたいだった。もう抑えがきかなくなっていたの。
その週から私は学校で〈金切り声のリリー〉として知られるようになった。そのあだ名は小学校と中学校を卒業するまでずっと私につきまとったわ。仕方なく両親は私を私立の高校に入れたのよ。
あの年のクリスマスは私が〈金切り声のリリー〉になって最初の週にやって来た。そんな特別な祝日に、私はアレチネズミを失った喪失感を抱きながらも、子供がみんな持っている残酷な無邪気さを嘆いていた。きっとみんなはうまく折り合いをつけていくのよね。
そのクリスマスの日、家族が私を心配してこそこそ言い合っているのが聞こえて、私はついに理解したのよ。私は感受性が強すぎるし、繊細すぎるし、他の人とは違っているんだって。
そのクリスマスの日、私が誕生日会に誘われないのも、いつも最後に仲間に加えられるのも、私が元々〈金切り声のリリー〉だったからだって気づいたの。
そのクリスマスの日に私は自分が変な女の子なんだって気づいたのよ。
私はそれを書き終えると、立ち上がった。ただ、「ママのお尻の後ろにノートを置いておいて」と書いてきた謎の少年の意図がさっぱりわからなかった。もしかしてお尻の後ろってことは逆に「前」って意味で、映画の上映中にママたちの前に出ていって、スクリーンの前にノートを置いてくるってことかしら?
ロビーの向こう側に売店が見えて、店員さんが何かヒントを知っているかもしれないと思った。ポップコーンが特に美味しそうだったので、とりあえずポップコーンを食べようと思った私は急激な空腹感に見舞われ、急いで売店に向かおうとして、あやうくそのボール紙のパネルをひっくり返しそうになった。
その時、「ママのお尻」の意味がわかったのよ。私はすでにママのお尻の後ろにいたんだわ。そのボール紙を切り抜いた巨大パネルの表側には、太ったママを演じる黒人が写っていて、そのママのお尻はとっても大きかった。
私はノートに新たな指示をいくつか書き込むと、それをママのお尻の後ろに隠すように置いた。このノートを探して取りに来る人以外は、誰の目にも触れそうもない場所だった。赤いモレスキンのノートの横にクッキーが入った箱と、それから劇場の床に落ちていた(べっとりとガムがくっついている)観光地の写真入りのハガキも一緒に置いて、私はそこから立ち去った。そのハガキはマダム・タッソー館で売られているものだった。マダム・タッソー館は私のお気に入りの場所で、タイムズ・スクエアにあって観光客に人気のスポットになっている。
私はそのハガキにメッセージを書いた。
あなたがクリスマスに欲しいものは何?
といっても、ひねくれてずる賢いことを考えないでね。あなたが本当に本当に本当に心の底から浮かんでくる超絶欲しいものは何?
それをこのノートに書いたら、正直者のリンカーン大統領を警護している警備員の女性に渡してね。*
ありがとう。
心を込めて、
リリー
*追伸、心配しないで。その警備員はあなたの体をまさぐろうなんてことはしないはずよ。メイシーズでサルおじさんとあなたが繰り広げたみたいにね。でも彼は根っからのハグ好きなだけで、あれは性的な行為ではないのよ。
追追伸、あなたの名前は何ですか?
5
-ダッシュ-
12月23日
正午あたりに玄関のベルが鳴った。『おばあちゃんがひかれちゃった』の上映時間がちょうど終わった頃だった。だから僕は最初、(自分でも非現実的な考えだと認めざるを得ないが、)リリーがどうにかして僕の家を突き止めたのだと思った。たとえば彼女の叔父がCIAにいて、僕の指紋からここを突き止め、僕がリリーと付き合うに値する立派な人物になりすましたとして、僕を逮捕しにやって来たのかもしれない、と。
僕は自分が連行される姿を思い描きながら玄関に向かい、のぞき穴からそっと外をうかがった。すると、女の子でもCIAでもなく、ブーマーが左右に行ったり来たりしているのが見えた。
「ブーマー」と僕は言った。
「来たよ!」と彼の声が返ってきた。
ブーマーというのはブーメランの短縮形で、彼のあだ名である。その由来は自分の行いがブーメランのように自分に跳ね返ってくるという彼の性質から来ているのではなく、投げられたブーメランを言われた通りに何度も繰り返し追いかける犬に彼の気性が似ているから、彼はそう呼ばれている。彼とはもう長い付き合いになるが、ただ単に昔からお互いを知っているというだけで、長い年月を経て深い仲になったというわけでは決してない。僕たちは7歳の頃から必ず23日にはクリスマス前の決まり事として、一緒に映画を見に行くことにしている。ブーマーの好みはあの頃からあまり変わっていないので、彼がどの映画を見たがるのか僕にはわかる。
予想通り、玄関を開けると飛び込んできた彼は声を張り上げて、こう言った。「さあ!『コレイション』を見に行くよ」
もちろん『コレイション』というのはピクサーの新しいアニメ映画である。主人公の〈ホッチキス〉が、ある一枚の紙を好きになって、抑えきれないほどに恋心が膨らんでいき、友達の事務用品たちがみんなで協力して、二人の仲を取りまとめようとする話である。オプラ・ウィンフリーが〈セロテープカッター〉の声を、そしてウィル・フェレルがその若いカップルの恋路を邪魔し続ける用務員の声を演じている。
「見て」と、ブーマーはポケットからアニメキャラクターのフィギュアを取り出して言った。「ボクは1週間マクドナルドのハッピーセットを食べ続けたんだよ。それで、可愛らしい〈穴あけパンチャー〉のローナ以外はすべて集めたんだ」
彼が僕にそのプラスチックのフィギュアを手渡してきたから、僕はじっくりとそれを眺めた。
「これがその〈穴あけパンチャー〉じゃないのかい?」と僕は聞いた。
彼は自分の額を叩いた。「あちゃ、それは〈広がるファイルフォルダー〉のフレデリコかと思ってた」
運命の思し召しか、『コレイション』はリリーが行っているはずの映画館で上映していた。それで僕はブーマーと一緒に映画を見に行きつつ、その映画館でリリーからの次のメッセージを、どこかの不良少年やいたずらっ子が見つけてしまう前に回収することができると思った。
「君のママはどこにいるの?」とブーマーが聞いてきた。
「ダンス教室に行っている」と僕は嘘をついた。もし彼が僕の両親はこの街にはいないということを察してしまったら、彼はいち早く自分の母親に電話して、その結果、僕は〈ブーマーと仲良く一緒のクリスマス〉を余儀なくされてしまう。
「ママに映画代はもらった?もしなければ、ボクがたぶん払えるよ」
「心配いらないよ、君はいいやつだな」と僕は言いながら、彼がまだコートも脱いでいないというのに、彼の体に僕の腕を回した。「今日の映画代は僕が出すよ」
映画館に行くもう一つの目的をブーマーに言うつもりはなかったのだが、例の物が置いてあるか確かめるために、おばあちゃんのパネルのお尻の後ろにもぐり込む際、彼を追い払うわけにもいかなかった。
「どうかした?」と彼は聞いた。「コンタクトレンズでも落としたの?」
「いや、ある人から僕宛てに、ある物がここに置いてあるはずなんだ」
「おお!」
ブーマーは大柄な男ではないのだが、いつも落ち着きなくそわそわ動き回っているので、見た目以上に場所を取って目立つのだ。ボール紙でできたおばあちゃんの肩越しから、彼が裏側をのぞき込んでいる。となれば、最低賃金で働いているポップコーン売り場の店員が僕らを追い払うのは時間の問題だろうなと思った。
赤いモレスキンのノートは僕がそれを置いた場所にあった。さらにその横には缶が一つ置かれていた。
「これが僕の探していたものだよ」と僕はブーマーに言って、日記帳を掲げて見せた。彼は缶のほうに手を伸ばして、それをつかんだ。
「わお」と、彼は缶のふたを開けて中を見ると声を上げた。「ここは特別な隠し場所になっているんだね。君の友達がそのノートを置いていったところに、他の誰かもクッキーを置いていったなんて、おもしろいことがあるものだね」
「そのクッキーを置いたのもきっと彼女だよ」(その証拠にノートの表には付箋紙が貼られていて、こう書かれていた。『クッキーはあなたへのプレゼントよ。メリークリスマス!リリーより』)
「ほんとに?」と彼は缶からクッキーを一つつまむと言った。「どうしてわかるの?」
「なんとなくそうかなって」
ブーマーはクッキーを食べるのをためらって、「そこに君の名前は書いてないの?」と聞いた。「つまり、もし君へのプレゼントなら」
「彼女は僕の名前を知らないんだ」
ブーマーはすかさずクッキーを缶に戻すと、ふたを閉めた。
「君の名前も知らない人が置いていったクッキーなんか食べられないよ!」と彼は言った。「中にかみそりの刃でも入っていたらどうするの?」
親子連れが続々とスクリーンのある劇場の中へと入っていくのを見て、僕らもさっさと入らなければ、前のほうの席で『コレイション』を見ることになってしまうと思った。
僕は彼にその付箋紙を見せた。「ほら、ここにリリーよりって書いてある」
「リリーって誰?」
「女の子だけど」
「おお...女の子!」
「ブーマー、僕らはもう小学3年じゃないんだから、『おお...女の子!』なんて言うなよ」
「どういうこと?その子とやったの?」
「わかったよ、ブーマー、僕の発言を撤回するよ。実は僕も『おお...女の子!』って言いたくて仕方なかったんだ。どんどん『おお...女の子!』って言っていこう!」
「その子は君と同じ学校に行ってるの?」
「違うと思う」
「違う学校?」
「ほら、僕らも早く行って席を取らないと、座る席がなくなっちゃうよ」
「その子のことが好きなの?」
「さては今朝しつこくなる薬でも飲んできたんだな。もちろん、彼女のことは好きだけど、まだどんな子なのかよく知らないんだ」
「ボクは薬なんかやらないよ、ダッシュ」
「わかってるよ、ブーマー。ただの比喩表現だよ。ほら、『考える帽子をかぶる』みたいな言い方をするだろ。実際には〈考える帽子〉なんてなくてもさ」
「実際に〈考える帽子〉はあるじゃないか」とブーマーは言った。「覚えてないの?」
たしかにあった。突然、小学1年の頃の記憶がよみがえってきた。僕らは二つの古いスキー帽を〈考える帽子〉としてかぶっていたのだ。彼の帽子が青で、僕のは緑だった。これはブーマーの不思議なところなんだけど、彼に全寮制の学校で今学期に習った先生について聞いても、先生の名前すらすでに忘れているくせに、僕らが昔遊んでいたミニカーのことなら、彼はすべての車種や色を正確に覚えているんだ。
「たとえが悪かったね」と僕は言った。「たしかに考える帽子みたいなものはあるね。僕が間違っていたよ」
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