『ダッシュとリリーの冒険の書』6
『Dash and Lily's Book of Dares』 by デイヴィッド・レヴィサン、レイチェル・コーン 訳 藍(2017年12月02日~2018年09月01日)
私は彼にそう言うつもりだった。本当にそう言おうとしたのに、私の口をついて出たのは全然違うことだった。「ひねくれ君人形のことなんだけど、カーミンおじさんから返してもらったわ。あの子ね、この保管室でいろんな参考図書に囲まれて暮らしたいって言うの。くるみの中で窒息するより古い書物のかびの匂いを嗅いでいたいんだって」
「ひねくれ君って賢いんだね」
「そしたらあの子に会いに来るって約束してくれる?」
「そんなおかしな約束はできないよ。人形に会いに来るなんて」
「あなたはあの子に対してそうする義務があるでしょ」
ダッシュはため息をついた。「じゃあ会いに来ようとはしてみるよ。ただ、あの意地の悪いマークっていう君のいとこが僕をストランド書店に入れてくれればね」
私はダッシュの頭の向こうに目をやって、壁に掛かっている時計を見た。
もう年は明けていた。
はぁ。
1月1日
「こんな機会はめったにないよ、リリー。ほら、今ストランド書店には僕たち二人しかいないんだからさ、この状況を最大限に活用すべきじゃないかな」
「どうやって?」私の心臓が両手と同じくらい激しく震えていた。そんなことってあり得る?
「上の階に行って通路で踊ろうよ。それからサーカス団の変わり者たちの本とか、沈没船に関する本とかをじっくり読もう。料理本のコーナーに行って、究極のライスクリスピーの作り方みたいなレシピ本をあさるっていう手もある。あ、そうだ、僕たちはあの本の第4版を探さなくちゃ、ほら、『ゲイの―」
「わかったわよ!」と私は金切り声を上げた。「上に行きましょ!私も変わり者に関する本は大好きよ」だって私がそうだから。あなたもそうかもしれないわね。変わり者同士仲良くすればいいんでしょ?
私たちは保管室のドアに向かって歩いていった。
ダッシュが意味ありげに私に体を寄せてきた。誘惑するように、彼は片方の眉をつり上げ、ロマンチックな言葉を待ち構える私の耳元で、こう宣言した。「夜はまだ始まったばかりだ。このずらっと全巻揃ったOEDを堪能する時間はまだたっぷりあるよ」
私はドアノブに手を伸ばし、それを回した。
しかしドアノブはぴくりとも動かなかった。
この部屋に入ったとき、私はろうそくに灯りをともして雰囲気を演出しようと、そればかり考えていて、明かりをつけようとは思わなかった。そのときは気付かなかったけれど、電灯のスイッチの横に手書きの貼り紙があった。それにはこう書かれていた:
注意!
ドアの外側の壁に貼ってある大きな注意喚起を見逃した場合、これを読んでください:
スタッフのみなさん!何度注意されればわかるんですか?
この保管室のドアは自動的にロックされます。
必ず鍵を持って中に入ってください。そうしないと外に出られなくなりますよ。
ちょっ、
ちょっとちょっとちょっと待って待って待って待って、
待ってよ!!!!!!!!!!!!!!!!!
私は振り返ってダッシュの顔を見た。
「あの、ダッシュ?」
「ん、どうかした?」
「なんか私たち、ここに閉じ込められちゃったみたい」
私は他に方法も思いつかず、いとこのマークに助けを求めて電話した。「なに起こしてくれちゃってんだよ、リリー・犬の散歩屋」と彼は受話器越しに怒鳴ってきた。「知ってるだろ、俺は毎年大晦日の夜は、あのタイムズスクエアのくだらないボールが落ちる前に寝るって決めてるんだよ」
私はこの窮地を説明した。
「やれやれ」とマークは言った。「今回の窮地も大叔母さんのアイダに頼めばどうにかしてくれるんじゃないか?」
「あなたなら簡単でしょ、マーク!」
「俺は嫌だって言うかもよ」
「あなたは言わないわ」
「言うよ。そもそもお前が大叔母さんを使って俺を脅したりするから、そんなことになるんだ。精神的な脅迫の連鎖が、めぐりめぐってお前とあのくだらない男をそこに閉じ込めたんだよ」
それは一理あった。
私は言った。「あなたが助けに来てくれないのなら、警察に電話してここから出してもらうわ」
「もしそんなことすればな、『ポスト』やら『ニュース』やらの記者たちがすぐに聞きつけるぞ。報道機関は警察の無線通信を傍受してるからな。そしたらお前はまた新聞の見出しになる、二度目の表紙だな。ちょうどお前のママとパパがJFK空港に降り立って、朝の売店でお前が載ってる新聞を見るってわけだ。どうせ、お前の両親やおじいちゃんはお前が女友達の家で大晦日の夜を過ごしてるって思ってるんだろ、男と一緒だとは思ってないよな。お前の味方のラングストンやミセス・バジルはかばってくれるだろうが、今回のスキャンダルが公になれば、お前はもう二度と一人で外出させてもらえなくなる。まあ言うまでもなく、マスコミ沙汰になれば確実に俺も職を失うことになるが、それはさておき、リリー? 最悪のシナリオは何だと思う? 今後、世界中の10代の若者がストランド書店の地下にある秘密の倉庫に隠されたOEDを閲覧したいと思ってもだな、それが叶わなくなるってことだ。それもこれも、お前とあの学者ぶったキモいやつが大晦日にOEDを閲覧したいなんてむちゃなことを言い出したせいだ。世界中から恨みを買うんだよ。リリー、お前はそれに耐えられるか? おー怖っ、そんな人生ホラーだな!」
私は答える前にちょっと間を置いて、ダッシュの顔を見た。ダッシュは私の隣に立って会話を聞いていたんだけど、彼が笑っていたから、私もほっとした。
「あなたがそんなに意地悪だとは思わなかったわ、マーク」
「しょうがない、お前を助けてやる。でも今すぐじゃない。このマーク様はとりあえず寝る。最後まで寝ないと気が済まないたちなんだ。それから物分かりのいいマーク様は、7時に起きて、そのちんけな窮地からお前たち二人を救いに行く。だが太陽が昇る前はだめだ」
私は最終手段としてある作戦を試みた。「ここで私と二人きりになったらね、ダッシュがはしゃいじゃって、じゃれてくるのよ」私はマークに言うふりをしてダッシュにこう言いたかった。私と二人きりになったんだから、もっとはしゃいで、じゃれてきてよって。
ダッシュは私を見ると、再び片方の眉をつり上げた。
「いや、そうは思えないな」とマークが言った。
「どうして思えないの?」
「もしそいつがそんな感じなら、お前はこうして俺に助けを求めて電話なんかしてこないだろ、どうだ俺様の透視術は。さあ、カードは配られた。お前はそいつのことを知りたいんだろ、チャンスじゃないか。夜はお前たちのものだ、好きに使っていいんだよ。俺はぐっすり寝てからそこへ行く。トイレなら、保管室の奥の角にクローゼットがあって、その中にあるから我慢できなくなったら使えばいい。そんなにきれいじゃないかもな。たしかトイレットペーパーもなかったな」
「もうあなたなんか大っ嫌いよ、マーク」
「朝になったら俺に感謝するよ、リリーベア」
ダッシュと私は、10代の若者が二人きりで地下の倉庫に閉じ込められたら誰でもするだろうことをした。
私たちは冷たい床の上に肩を寄せ合って座ると、〈ハングマン〉(アルファベットの数だけを示して、一文字ずつ相手の考えた単語を当てるゲーム)をした。
S-N-A-R-L.(ひねくれている)
Q-U-I-E-S-C-E-N-T.(静止している)
私たちはいっぱいしゃべって、たくさん笑った。
彼は私にやらしいことは何もしてこなかった。
私は自分の人生について、いつになく大きな視野で考えた。―私が生涯を通じて出会うであろう人たち(特に男の子たち)について考えてみた。どうやったらその瞬間が訪れたってわかるのかしら? 事前に先読みした予感と現実が一致して...縁が結ばれる、その時が来たって。
「リリー?」とダッシュが午前2時に言った。「そろそろ寝ようか? それと、僕は君のいとこを恨むよ」
「私と一緒にここに閉じ込めたから?」
「いや、ヨーグルトのないここに閉じ込めたから」
食べ物!?
そういえば、私のハンドバッグの中にレープクーヘンスパイス・クッキーが入っていたんだった。度を超した量のライスクリスピーもあるけど、ライスクリスピーをこれ以上食べたら、私はきっと〈クリスピー人間〉になっちゃう。それで私はクッキーの入ったビニール袋を取り出すことにした。
ハンドバッグの中に手を入れてクッキーを探しながら、私はちらっと視線を上げた。そしたら、あの爽やかな顔がじっと私を見ていた。きっと何か性的なことを示唆しているはずの表情だった。
「君はほんとに美味しいクッキーを作るよね」とダッシュが言った。ウーン...ドーナッツの口調だった。
私は彼が何かしてくるのを待つべきなの? それとも思い切って私から行動に移すべき?
まるで彼も同じことを考えていたかのように、彼が私に覆いかぶさってきた。これよ、その時が来たわ。ついに私たちの唇と唇が重なり合った。―と思った瞬間、ゴツンとおでことおでこがぶつかってしまった。それはロマンチックなキスとは程遠いものだった。
私たちはその衝撃で体を離した。
「痛っ」と、私たちは同時に言った。
沈黙。
ダッシュが言った。「もう一回する?」
こういうことって、まず会話をしなくちゃいけないようなことだとは思ってもみなかったわ。唇をうまく操るって難しい作業なのね、やってみないとわからないものね。
「うん、どうぞ」
私は目を閉じて待った。それから私は彼を感じ、彼の口と私の口が結ばれた。彼の唇が私の唇にそっと乗っかり、いたずらっぽくこすり合わされた。私はどうすればいいのかわからなかったので、彼の動きを真似することにした。私もゆっくり彼の唇に私の唇をこすり合わせ、幸福感とともに彼の唇の中に入っていた。混じり気のないロマンチックなキスがたっぷりと数分間続いた。
この全身で感じる衝撃的な心地よさを表す言葉が辞書に載っているとすれば、「sensational」(素晴らしく刺激的な)しかないでしょう。
「もっと、お願い」と私は、呼吸をするために口を離した彼に頼んだ。私たちはおでこをくっつけあったまま、酸素を吸い込んだ。
「正直に言っていい? リリー」
え? ここに来て恐れていたことが? 私の希望を打ち砕く拒絶の言葉を投げつけられるの? 私のキスが下手だったってこと? まだ始まったばかりだと思ってたのに。
ダッシュは言った。「僕はかなり疲れてて気を失いそうなんだ。今夜はもう寝て、明日また続きをするっていうのはどう?」
「これから頻繁にしてくれる?」
「うん、もちろん」
私は彼にチュッと口づけしたあと、1分くらいセンセーショナルなキスをして、それでよしとした。今夜のところはね。
私は頭を彼の肩に乗せ、彼も私の肩に頭を乗せた。
そして一緒に眠りに落ちた。
電話で凄みを利かせて予告してきた通り、いとこのマークは元日の朝7時過ぎに私たちを救いにやって来た。階段を下りてくるマークの足音が聞こえたとき、私の頭はまだダッシュの肩の上に収まっていた。目を開くと、光がドアの下の隙間から溢れるように入り込んできた。
私はダッシュを起こす必要があった。それから、これが全部夢ではないと信じる必要もあった。
視線を下に向けると、赤いノートがダッシュのひざの上に載っているのが見えた。彼は夜中私が眠っている間に起きたに違いない。そして何かを書いたんだわ。ペンがまだ彼の手に握られている。ノートは開かれたままで、新しいページが彼の落書きで埋まっていた。
彼は「anticipate」(先読みする)という言葉とその意味を書き出していた。その横に、派生語:ANTICIPATOR(先読みする人)と、大きなゴシック体で書いてあった。
その下には、漫画のアクションヒーローのような二人の人物が描かれていた。二人のマントを羽織った十字軍の戦士っぽい人物のスケッチで、二人とも10代に見えた。一人はフェドーラ帽をかぶった男の子で、もう一人はサングラスをかけ、バトンガールのブーツを履いた女の子だった。一人がもう一人に赤いノートを手渡している。そして、The Anticipators(相手の心を先読みし合う二人)と、その絵のタイトルが書かれていた。
私はほほえんだ。そして笑顔を保ったまま、彼を起こすことにした。彼が目を開けたとき、彼の目に映る最初の人物になりたかった。彼のことがこんなに好きな私のとびっきりの笑顔で、目覚めた彼を出迎えたかった。新しい年の、新しい朝の、最初の人になりたかった。そして、この新しく私の人生に登場した人を、やっと名前を教えてくれた人を、私は全力で慈しみ、大切にしようと思った。
私は彼の腕をそっとつついた。
私は言った:
「起きて、ダッシュ」
〔訳者あとがき〕
「日本語版がないもので、恋愛系で、苦しくない小説」というぼくの事前の要望に十二分に応えてくれた小説でした。つまり、『ダッシュとリリーの冒険の書』は〈当たり〉の小説でした。
「苦しくない小説」というのは、随所に(笑)を補いながら読める小説のことで、まさにこの小説はぼくの好みにぴったりはまった感があって、楽しく訳せました。
「訳す」という行為は、インプットにとどまらず、自分の内側に取り込んだ情景なり感情なり概念を、アウトプットする行為までをも含むので、体感として、とても気持ちのいいエクササイズをした、というのが今の感想です。
ただ、毎日運動しようと決心しても気持ちが続かないのと同様に、たまには(あるいは頻繁に)さぼりたくなり、訳し終えるのに9ヶ月もかかってしまった。(べつに9年かかっても、悲しいことに何の問題もない。笑)
翻訳ペースについては、本当に(コントロール不能な)気分次第で、週に2日くらいしか訳さなかった月もあったけれど、8月(特に8月後半)は、かなりのハイスピードで訳せた。(35キロを過ぎたマラソンランナーがラストスパートするかのように、もちろんぼくには沿道からの声援は聞こえてこないけれど、グレン・グールドが弾くバッハやベートーベンをリピート再生させ若干ハイになりながら、オリンピックでは入賞できないとしてもアジア大会では表彰台に上がれるくらいの、高速のラップタイムを叩き出せたのではないかと思う。笑)
ペースは気持ち次第とはいえ、完走できた最大の理由は(ぼくの背中を押してくれた最大の風は)、この小説の(最初から最後まで揺るぎなくつらなっていた)多彩な魅力に他ならない。色とりどりの風がぼくをゴールまで運んでくれたというわけだ。
『ティファニーで朝食を』のオマージュというか、リスペクトも随所に見て取れて、ティファニー・フリークのぼくとしては何度も唸ってしまった。笑
それから、この小説にはニューヨークの観光スポットがいくつも登場する。この小説自体が〈観光ガイドブック〉として成り立つのではないか、と思えるほどの充実ぶりである。
しかし、輝きを放っているのは観光名所よりも登場人物たちの方で、彼らの心の動きに本物感(生きてる感)があるからこそ、彼らの目を通して観光名所の情景もはっきりと見えてくるのだと思う。つまり、「場所」を描写するよりも、その場所にいる「人物を生かす」ことができれば、自ずと「場所」は鮮明に浮かび上がる、ということをこの小説は教えてくれた。いつかぼくが小説を書くことがあれば、心がけたい指針になった。
ストーリーも同様に、登場人物がしっかり生きていると感じられたので、どんなに突飛な展開でも「本当らしさ」を保ったまま、ごく自然に受け入れることができ、感動させてもらった。
ぼくの翻訳というフィルターを取り抜けた後も、彼らが生きていることを願うばかりである。
この小説の日本語のタイトルは、9ヶ月間考え続けた末、『ダッシュとリリーの冒険の書』にしました。
原題『Dash and Lily's Book Of Dares』を直訳すると、『ダッシュとリリーの度胸試しの本』という感じになるんだけど、「度胸」や「挑戦」という言葉よりも、「冒険」がしっくりくるな、というぼくの好みです。ダッシュとリリーがいくつもの(お互いが投げかける)Daresを乗り越えて、レベルアップしていく過程の記録という意味も込めて、「冒険の書」にしました。
『ダッシュとリリーの交換日記』というタイトルはちょっと意訳すぎるなと思い直して、やめました。笑
この期間を思い返すと、訳しながら何度も笑い、何度も感動して涙をこぼし、そうやって登場人物たちと喜怒哀楽をともにできた、ぼくの一生の中でも貴重な、きらめく9ヶ月間(彼らにとっては11日間)の、心の冒険でした。
この小説の最初の訳者になれた幸運に感謝したい。(←「訳者あとがき」でよく見かけるこの種の台詞、ぼくも書いてみたかったーーー!!!笑)
願いが叶ったからもういつ死んでも悔いなしと思ったけれど、もう一つだけ夢が残っていた。笑
「出版社の〇〇さんにも深く感謝している」みたいなことも書いてみたいーーー!そして、それを読んだ〇〇さんと僕の冒険が始まる...
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