『サムとイルサのさよならパーティー』5

『Sam and Ilsa's Last Hurrah』 by レイチェル・コーン、デイヴィッド・レヴィサン 訳 藍(2019年06月30日~2020年01月25日)


19

イルサ


「起きて、イルサ」

私は起きたくない。最高に甘い夢を見ている途中だから。私はチョコレートで満たされた浴槽につかっている。チョコレートはとろっとろで気持ちいい。まるで天国にいる気分、だったのに、突然頭上からシャワーが降り注いできた。たしかにチョコレートのシャワーも甘い味はしたけれど、髪の毛からどばどばとチョコが顔に滴り落ちてきて、もう何も見えなくなる。私の思いつくことって大体いつもそう。チョコレートのお風呂も最初は良い考えに思えたけれど、浴槽から一歩足を踏み出してみると、チョコのついた足が滑って、よろめくように壁に手をつき、チョコが周りに飛び散る。私は大わらわで、べちゃべちゃと床も洗面台もチョコまみれ。チョコに覆われたまつ毛越しに垣間見える浴室が、なんだか血生臭い犯行現場に見えてきた。これって「チョコレートを凶器に使った殺人事件」?

誰かの手が私の腕をそっとさすっているのを感じる。もうチョコは私の肌についていないようで、その手の動きはすごく滑らかだ。はっとして、私はぱっと目を見開く。その夢は終わりを告げ、新たな夢が目の前に広がった。

「私、どれくらい寝てた?」と私はリーに聞く。

私の隣で彼女も横たわっていた。彼女は体を横向きにして、私をじっと見つめている。「そんなに長くないわ。1時間も経ってない」

私は思い出す。私たちは二人だけの時間を過ごそうと、女帝の部屋に入り込んだのだ。もう一つの目的は、二人きりになると、私たちの唇が引き寄せられるのかどうか、それから、もっと深いところまで入り込みたくなるのかどうかを確かめたかった。

「私、あなたと重なり合ったまま、文字通り寝落ちしちゃったの?」

彼女が笑う。「たしかにそうね。あなた飲み過ぎたのよ。それから、私の唇の刺激が強すぎたのね」

お子ちゃまイルサからまだ脱していないってわけか。パーティーが盛り上がってきて、一番いいところで寝落ち、子供の頃からそんな人生。

「ごめんなさい」と私は言う。

「謝ることなんて何もないのよ。私も少し仮眠を取れたからよかったわ。あなたの猫柄のドレスに寄り添いながらね」

「私たちってもうすでに典型的なレズビアンって感じよね? もういっそのこと、同棲しちゃった方がいいかしら?」

「フフ!」部屋は暗かったけど、窓の外から摩天楼の灯りが入り込み、リーが私にほほ笑みかけているのがわかった。「あなたって眠りながら歌ってるのよ、自分で気づいてる?」

「うん、知ってる」両親とサムに昔から忠告されてきたから。この癖については話したくない。恥ずかしいからというよりも、寝ている間の私の知らない別の自分を表に引っ張り出してくるみたいで、話したくない。こっちの私が起きている間は、あっちの私はそっとしておいてあげたい。それで私は、屋上で彼女とキスした時から知りたかったことを聞いた。「どのくらい前から私のこと好きだったの?」

「ずっと前から好きだったわ」

「好きって、恋愛の好きって意味」

「わからないわ。だんだんと気持ちが膨らんでいったの。化学実験室で毎日あなたの隣に座ってたらね、あなたについていろんなささいなことに気づいていった。あなたのリュックサックの中はいつも乱雑なこととか、だけど毎時間授業の終わりに、あなたはペンと鉛筆はきちんと揃えてプラスチックの筆箱にしまうこととか。化学の問題に取り組んでる間、あなたはすごく小さな声でビートルズの曲を口ずさんでることとか。イゴール・ディミトロヴィッチがどもりながら話してるのを、他の子たちはからかうのに、あなたはちゃんと耳を傾けて聞いてあげることとか。意地悪な女の子たちがジェーン・トムキンスを寄ってたかっていじめてるとき、あなたはいつも彼女をかばってあげることとか。アボット先生の男尊女卑みたいな、上からものを押し付ける教え方にあなたがノーを突き付けて、授業計画を変えさせちゃったこととか」

「わお。私ってすごい」と私は冗談で言った。

なんと、そこでリーがメロディーに乗せて歌い出した。「君は眠りながら歌ってる / 君は実は石橋を叩いて渡る / 君はへんてこな妄想ばかりしてる / 君は知らないけど / 僕は気づいてる

「すごくいいわ。その歌どこで聴いたの?」

「聴いたんじゃないの。あるミュージッククラブのトイレの個室の壁に書かれてたのよ。ローワー・イースト・サイドのクラブなんだけど、なんだかあなたのことみたいって思って、覚えちゃったの」

サムが書いたのかもしれないと思いながら、私は彼女に言う。「あなたは実際の私よりバージョンアップした、嘘っこの私を見てるんじゃないかな」

「だったら、実際にバージョンアップしちゃいなさいよ」と彼女が提案した。

なるほど。その考えには一理あるわね。

「私ってビッチだと思う?」と私は聞いてみる。

「あなたのユーモアのセンスはビッチっぽいというか、とげがあるとは思うけど、だからといって、あなた自身はビッチじゃないわ。あ、言っとくけど、私はビッチな子って好きよ。そういう子って、さっさとやることやっちゃうから潔いし」そう言うと、彼女は身を乗り出してきて、私の髪を撫で始めた。それから彼女の体を私の体に押しつけてきて、私に覆いかぶさるように前かがみになる。彼女の顔が下りてきて、私の口に彼女の口が重なった。今度のキスは屋上の時よりも長かった。さらに驚いたことに、―キスの甘さではなく(たしかに甘さもあったけれど)、その激しさに私はやられてしまった。

気持ちいい。

私はこういうワイルドな絡み合いを望んでいたんだわ。でも、こうしてみると、こういう相手はリーではない気がする。私がリーに求めているのは、荒れ狂ったように戯れることではない。私がリーに分けてもらいたいのは、彼女のひたむきさとか、彼女の品の良さなのよ。彼女の強烈なキスを受けながら、私は実際にバージョンアップしたいと思った。彼女のキスがそう思わせてくれた。

「家に帰らなきゃ」とリーが、唇をはがして言った。

「泊まってって」

「うちの両親が機嫌を損ねちゃう。うちの門限は午前2時なの。今からタクシーで帰れば、ギリギリ間に合うわ」

「あれって本気? 一緒に台湾に行こうって」

「本気よ」

「なんか変な感じにならないかな? あなたのおばあちゃん家に行って、私たちが、なんていうか...カップルって言うの?」

「今はまだカップルじゃないでしょ。将来的にそうなるかもってだけ」

彼女にそう言われても私は全然傷つかなかった。(もしパーカーに同じことを言われたら、私はきっと、私の方に何か落ち度があったんだとひどく落ち込むでしょうね)「あなたは家族思いっていうか、自分のことよりも家族優先なのね?」

「どっちでもないんだよね。私はどっちかって決めちゃうのが好きじゃないの。心のおもむくまま、しっくり来る方へその都度進むだけ。同性愛に進むのも、そっちが正しいって確信があるわけじゃなくて、わかってるのは、元々私は性的にまっすぐじゃないってことだけ」彼女はそこで一息ついてから、続けた。「来月あなたが私と一緒に台湾に来るなら、私の部屋じゃなくて、あなたにはゲストルームに寝てもらうわ。おばあちゃんの裁縫部屋も兼ねてる部屋なんだけどね」

「悪ふざけができなくなっちゃう」と私は冗談めかして言う。

「悪ふざけは...いつかでいいんじゃない。私は全然急いでないし。あなたは?」

私は、私たちの関係をなんて呼べばいいのかすらわかっていない。ただ、これからも彼女と多くの時間を過ごしたいと思う。すごく沢山の時間を一緒に過ごしたい。「急いでないわ」

私がパーカーと知り合ったのは、私とサムが通っていた空手の道場に彼が入ってきた時で、私たちは8歳だった。私がパーカーを好きだと気づいた瞬間は、16歳だった。そして気づいたその日の夜に、私は彼と最後までしてしまった。すごく良かったし、私は彼を愛していた。でも、やっぱり急ぎ過ぎた気がする。短期間に多くのことを求め過ぎたみたい。私はまだ心の準備ができていなかったのね」

今度は、ちゃんと準備期間を設けよう。

リーが言う。「私はまだ誰とも、最後までしたことないの」

「わかったわ」

「ありがとう」

「ありがとうって何が?」

「経験がないことで私を、あ、そういう人なんだって決めつけないでくれてありがとう。過去に何人かいたのよ、私がまだしたことないって言ったら、なんか私に欠陥があるみたいな雰囲気を醸し出して、気まずい関係になっちゃったことがあるの」

「時間をかけてその時を待つのは、何も間違ってないわ」

私も時間をかけて待てばよかった。

リーが言う。「大賛成! そうなのよね、その時がいつ来ても、相手はまだ誰かわからないけど、心がしっくり来るっていうか、ああ今だって思いながら結ばれたいの」

「ああ今だって思って、私にキスしたの?」と私は彼女に聞く。「なんかすごく、最後のキスみたいな必死さがあったけど」

「あれが最後じゃないといいわ!」

「あれで最後ってことで...とりあえず今夜は」

彼女は大きく頷いて、従ってくれた。

確実に、あれで最後ってことにはならないでしょうね。


私はビートルズの『Something』を歌いながら、上機嫌でキッチンに行ってみると、サムが洗い物をしていた。私はリーを見送りに1階まで下り、呼んでおいたタクシーに彼女が乗り込むのを見届けてきたところだった。「I don’t want to leave her now / You know I believe and how.(今は彼女と離れたくないよ / どれほど君のことを想っているかわかるだろう)

流しでお皿を洗っていたサムが、私に向かって拭きタオルを差し出してくる。私は彼の横のキッチンカウンターの上に飛び乗るように座って、お皿を拭き、ラックにしまい始める。私たちは二人でこうして、パーティーを終えるのが恒例だった。

サムが言う。「お前が単調な日常はひとまず忘れて、楽しみたいって言ったとき、まさかリー・チャンと楽しみたいっていう意味だとは想像もできなかったよ!」

「私も想像してなかった。わかるでしょ? サム」

「わかるって何?」

「私は謙虚になりたい。単調な日常が欲しくなったの。つまらない日常じゃなくて、―ずっと続いていく日常よ。わかるでしょ?」

「ちょっとくらい羽目を外した方が健全だよ。退屈極まりない日常と引き換えに、すべてをなげうってしまうなんてもったいない」

「私が単調な日常なんて送れると思った? ちょっとは疑いなさいよ」私はそれを証明するために、カウンターから飛び降り、女帝の大切なシャンパングラスの残りが並べてあるキャビネットに手を伸ばし、1本をつかみ、引き出す。それから、サムの背後の壁に狙いを定め、彼に警告する。「頭を引っ込めて!」

彼が懇願してきた。「やめろ、イルサ! 頼む、やめてくれ! もし彼女のグラスをもう1本割ってしまったら、俺は女帝に殺される」

私は振り上げた手を下ろし、そのフルートグラスをキャビネットにそっと戻した。「冗談よ」

「心臓に悪いよ。全然面白くないし」

「すごく面白い表情してたわよ。っていうか、あなたは何をそんなに心配してるわけ? わかってるでしょ、彼女は私を責めるんだから」

「ごめん」

「ごめんって何? 彼女が私を責めることが?」

「そう。それと、俺が彼女のお気に入りでごめん」

18年かかってようやくちゃんと認めたわ。彼は今までずっと、その真実を否定したり、冗談のふりして、はぐらかしてきたのよ。

でも彼が謝ってくれたことだし、許してあげる。

「いいわ」と私は言う。「あなたは私のお気に入りでもあるのよ、もし私があなたのおばあちゃんだったらって話だけど」

サムが黙っている。私にもうひと声言ってほしいみたいだけど、もう言うことはない。少しの沈黙の後、彼が言った。「今度はお前が謝る番だぞ。パパのお気に入りでごめんなさいって」

「私がパパのお気に入り?」正直、そんなこと思ってもみなかったわ。双子の親っていうのは、何よりも平等を優先するっていう悪しき性質があって、だからこそ、私はひいきされてるなんて、これっぽちも気づかなかった。「でも、パパから料理を習って、料理好きになったのはあなたでしょ」

「パパはプロのシェフになるまでは、料理好きだったんだ。今は彼にとって、料理は単なるやっつけ仕事でしかない。むしろ、パパが好きなものを好きになったのはお前の方だよ。大学のバスケットボールリーグ、数独パズル、『となりのサインフェルド』の再放送、〈フットロング・サブ〉の横長ハンバーガー」彼は肩を抑えて身震いする仕草をした。「パパはお前のことをちゃんと理解して、良いところも評価してる。俺は彼にとって、謎なんだよ」

そうかしら? パパにとっての唯一の謎は、パパ自身の母親である女帝が、なぜ息子よりも孫を可愛がっているのかってことだと思うけどな。女帝は長らくパパに愛情を注いできたんでしょうけど、全面的にサムに乗り換えて、溺愛しちゃったのね。でも、家族ってそういうものだと私は思うけどな。それで家族一人ひとりへの愛情が減っちゃうってことにはならないでしょ、たぶんだけど。

「あなた本気で、女帝に恋人ができたと思ってるの?」と私はサムに聞く。

「本気で思ってるよ。彼女がこのアパートメントを手放すってことは、単に隠居生活に入りたいからじゃないだろ」

「彼女は絶対に認めないでしょうけど、きっと私たちのおじいちゃんに会いに行ってるのよ!」悲恋が多かった女帝の恋愛遍歴の中で、私たちのパパを産むことになった相手の男性が誰なのかってことが、ずっと最大の謎だった。彼女は女手一つでパパを育てたわけだけど、誰も相手が誰だったのかは知らないし、その人と彼女の間で何があったのかもわからない。ただ、彼女がパパを身ごもる前の夏に、パリに働きに行ったことだけは周りの人も知ってる事実だから、たぶんその時に狂おしいほどの情事があったのね。そして帰ってきて、妊娠してることがわかって、―シングルマザーになったってことでしょう。

「お前が女帝みたいになりたいのはわかるけど」とサムが言う。真剣な口調だ。「だけど、そういうところまで真似るのはやめろよ」

「努力はしてみるけど、私が彼女みたいにひねくれてるのも知ってるでしょ? どうあがいたって、そうなっちゃうかもしれないわ」

「お前は女帝より、実際いいところがたくさんあるんだから。そうやって、自分はひねくれものじゃなきゃだめって決めつけなければね」

「あなたは私がひねくれてると思う?」

「全然思わないよ。根っこのところでは、お前が家族の中で一番誠実なんだよ」

思ってもみなかったことを言われて私は気分を害すかと思ったら、そんなことなくて、笑ってしまった。「ってことは、後先考えずに無茶をするのは、あなたってことになるわね? 気まぐれでカリフォルニアに行くらしい、無鉄砲な坊っちゃん?」

「たぶんそうだね」

「よろしい。あなたが今までにした最大の決心よ。かつてない冒険に行ってらっしゃい」

「俺にはそんなこと無理だって言われると思ったけど」

「私が間違ってたわ」サムが自分の道を切り拓くには、彼が今までに培ってきたシステムにひびを入れるショックが必要だと私は思った。そこまでは正しかったんだけど、そこからが間違っていた。ひびを入れるのは彼自身しかできないし、それは彼が自分でやるしかなかったのね。そして今こそ、話し合うべき時でしょ? 今までサムと私がこういうことを話し合ったことってあったかしら? おちゃらけ話とか、うわべだけの会話じゃなくて、真剣によ。「あなたがどこへ行くとしても、不安な気持ちにならずに暮らせる場所が見つかることを願ってるわ。そしてそこで、何でもいいから、何かに情熱をもって打ち込めるといいわね。音楽でもいいし、料理でも、靴下のパペット芸を極めるっていうのもありね」

「お前がどこへ行くとしても、そこがスタンウィック邸じゃないことを願うよ。俺たちは今、一緒に巣立って行かなきゃいけないと思うんだ」

「私はスタンウィック邸に残るつもりはないわ」

私はまだどこに行くべきか決めかねていた。だけど、ここに残るのは違うなっていうのはわかる。両親が熱心に勧める、あの大学に行くっていう選択肢も、たぶん最悪な道ってわけじゃないのよね。私がパパのお気に入りなのだとしたら、たまってる飛行機のマイルをゆずってくれるでしょうから、今年の夏は台湾に行ってみようかしらね。秋の入学式前にはちゃんと帰ってきて、クイニピアック大学に行くって言えば、両親も許してくれるはず。私が本当に大学に行きたくて仕方ない、みたいに振る舞えばね。というか、もしかすると私は、振る舞うだけじゃなくて、実際大学に行くのが楽しみなのかもしれない。周りの景色が変わるわ。コネチカットの緑豊かなキャンパスで、新しい体験もするでしょう。単調だっていいじゃない。それにあそこからなら、リー・チャンにも簡単に会いに行ける。彼女は秋からクイーンズ・カレッジに行くことになってるからね。

サムが言う。「女帝は俺に言ったことがあるんだ。スタンウィック邸に閉じ込められてる気がするって。彼女は今までも、もっといろんな場所で暮らしてみたかったんだよ。だけど、ここより住みやすい場所はないこともわかっていたから、ここを出なかった。彼女はたぶん、内心では、もっとシンプルな暮らしがしたかったんだと思う。彼女が昔から住んできたこの家に留まり続けるために、ビルの管理会社を相手に訴訟をしなければならないような暮らしじゃなくて、もっとシンプルな。あるいは、ここに大勢の親戚とか知り合いを呼んで、盛大なパーティーを主催する、そういう注目の的であり続けることに、もういい加減、嫌気が差したんじゃないかな」

「サム?」

「何?」

「あなたは女帝より、私の方が好きなんでしょ?」私は彼の双子の妹なんだから、当然そうでしょ。

「好きの種類が違うから、どっちの方が好きとかはないよ」

私は玄関ホールに行って、自分のスマホを金庫から取り出し、キッチンに戻ってきた。キッチンのフックに掛かっていたシェフ用の白い帽子を取って、サムの頭にかぶせる。それから私は、空になった女帝の高級シャンパンボトルを持ち上げた。そして、二人で自撮りしようと、片手でスマホを構える。この写真を見れば、いつでもスタンウィック邸での最後のディナーパーティーを思い出せるから。「はいチーズの代わりに、私たちにはいつでも女帝がついてる!って『カサブランカ』っぽく言いましょう」

サムがカメラに向かってほほ笑んだところで、私は撮影ボタンを押した。「俺たちにはいつでも女帝がついてる!」

それから彼は私の手からボトルを取り、ボトルの底にほんの少しだけ残っていたシャンパンを私の頭にかけた。なんだか、最高に素晴らしい洗礼を浴びたみたいだった。これから私たちは未知なる未来へと突入してゆく。どんなことでも起こり得るでしょうけど、つまらない未来にはならないでほしい。美味しいものをたくさん食べて、楽しい時間をいっぱい過ごし、折に触れて靴下の人形や、私たちがこの上なく大好きな人たちに会いたいな。

「乾杯!」と私は兄に向かって言った。

サムがキッチンカウンターに一つだけ置いてあったドリー・パートンの小さなフィギュアを手に取った。ヨハンが置いていったものでしょう。彼はどうしてそれを置いていったのかしら?

ドリーが何かを言いたそうな表情で、サムの視線を受けていた。



20

サム


僕はそれを見て、ヨハンからのメッセージを推測する:

彼はあえてドリーがシルヴェスター・スタローンをアームレスリングで倒した瞬間のフィギュアを置いていった。小柄でも、精気溢れるドリー・パートンが、大きなチャンピオンをなぎ倒すことができるのなら、僕だって自分の人生をぎゅっと握り締め、自分の力で切り拓いていけるはずだ。



21

サムとイルサ


10年後

二人はインターフォンを押す。中から女の子が顔を出すが、彼女が誰なのかわからない。彼女の方も、その二人が誰なのかわからない様子で、きょとんとしている。

イルサは彼女の顔をじっと見つめる。10年前の面影が、記憶とともに彼女の顔に浮かび上がってくる:目の前の若い女性は、―

「マディ?」

マディだとすると、今は17歳ってことになるわね、とイルサは大きく目を見開きながら思う。―その女の子もイルサに負けず劣らず大きく目を見開いて、困惑ぎみだ。

「マディでしょ、私よ、イルサ。そして、こっちがサム。さっきまで最上階のKKの家にいたんだけど、せっかくだからこの階にも下りてみようと思って。久しぶりにこのアパートメントを見たいなと思ったの」

「イルサ! わお!」マディは両手を広げて彼女に抱きつく。それから一歩下がって、イルサとサムが着ている黒の喪服を眺め、得心がいく。「そういうことね。―あなたたちのおばあちゃんの! その話は聞いてたから、私もお気の毒にって思ってたのよ。そうすると、あれね? 今日が...」

「そう、お葬式だったんだ」とサムが言う。彼は目の前の10代の女の子と、かつて同じホールを共有し、隣のドアに住んでいた少女を、必死で同一視しようと目をパチクリさせている。その間、二人は何度かKKの家は訪れていたけれど、この階でエレベーターを降りるのは、女帝がこのアパートメントを出てからは、今回が初めてだった。

「中に入ってもいいかしら?」とイルサが聞く。「ちょっと見るだけだから」

「もちろん!」とマディが応える。「ママもパパも今家にいなくて、私だけなのよ。帰ってきたら、きっとあなたたちに会えなかったって残念がるわ。どうぞ、入って!」

マディは先に玄関の中へと戻り、彼らを招き入れる仕草をする。かつて慣れ親しんだ玄関ホールに手招きされて入ることに、二人がどれほど違和感を覚えているのか、彼女は露ほども気づかない。イルサは中に入ろうとするが、横のサムがためらっているのに気づく。彼は怖さや悲しみを抱いている、と直感的にわかる。いわば過去の領域に足を踏み入れようとしているのだ。過去がそのままの状態でそこに残っているなんて、あり得ない。

何も言わずに、彼女は彼の手を取った。彼も何も言わずに、その手を握り返す。心をつなぎ合わせて、せーの!と言うように、二人は同時に玄関の中へ足を踏み入れた。

サムは中の様子をあまりキョロキョロと見回したくないと思ったけれど、どうしてもあちこちに目が行ってしまう。なんだか親しい人が急激にイメチェンして、見慣れない洋服を着ているようだ。もしくは、着慣れた洋服を、全然知らない人が着ているのを目撃したみたいだ。女帝の家具のいくつかは、そのまま残されていた。―ソファなんて、パリまで運んで行っても意味ないでしょ、と女帝が言ったのを思い出す。そしてソファの収納スペースに隠し入れていた彼女の大切な何かまで、危うく置いていくところで、彼女はひどく焦っていた。マディの家族が快く家具類の置き残しをそのまま使ってくれていたお陰で、サムは家に帰ってきたような懐かしさと、場違いなところに入り込んでしまったような居心地の悪さを、同時に感じることになった。

イルサはアパートメントの様子にはそれほど目が行かなかった。それより、彼女の目はマディに釘付けだった。マディが大人びてしまったことが信じられない。と同時に、マディの若さを感じずにはいられない。それはそうで、イルサもサムも同じだけ年を取ってしまったのだから。ここで最後のディナーパーティーを開いたとき、私は今のマディと同じ年だったの? 高校の最上級生って、昔はもっとずっと大人って感じがしなかった? 彼女も来年は18歳になって、今より広い、未来の世界へと巣立っていくことになるんでしょうけど、なんか目の前の彼女がすごく若く感じる。巣立ちの時期ってこんなだったっけ? と不思議な気分だ。

「ごめんなさい、こんなに散らかってて」とマディが言う。「あなたたちが立ち寄ってくれるって知ってたら、ちょっとは片付けたんだけど。なんていうか、変な感じがするでしょ? 昔住んでいた部屋がこんなになっちゃって」彼女は見覚えのあるソファの上から、雑誌を一冊拾い上げた。雑誌を片付けただけで十分部屋の見栄えは良くなったでしょ? みたいな表情で向き直って、続ける。「思い出したわ。私がまだ小さかった時、ここに引っ越してきて、―お隣さんはすっごく騒がしいのねって思ったのよ。お隣さんってあなたたちのことよ。あの辺りが私の寝室だったの」彼女はリビングルームの壁の一角を指差す。「今は壁を壊してつなげちゃったけど、そこに壁があった時は、すぐ向こう側に私のベッドを置いていたの。私はベッドに寝ころんで、壁に耳をあてて、こっち側の様子を想像するのが好きだった。あなたたちの声や物音が騒がしく聞こえてきて、いつもあなたたちは...幸せそうだった。聞こえてくる手掛かりを一つも聞き逃さないようにって耳を凝らしてたわ。あなたたちが何をしているのか知りたいってだけで」

「君はクッキーを持ってきてくれたよね」とサムは、おぼろげな記憶を引っ張り出すように言った。

「そうね、持っていったと思う! 覚えててくれたんだ。そういえば、あなたたちのおばあちゃんって、―なんか他の人とは違うオーラが出てたわ」

サムがにっこりと笑顔になる。「うん、彼女は実際、他の人とは違ったよ」

彼女はパリに埋葬されることを望まなかった。パリは彼女のお気に入りの街だったけれど、やっぱりここが彼女のホームだから。

イルサは兄の顔から笑みが引いていくのがわかる。彼は頑張って笑顔を浮かべようとしているのだが、どうしても満面の笑みに至る前に、一部がするりとこぼれ落ちてしまうのだ。このアパートメントに行ってみようと言い出したのはイルサだった。実際来てみて、イルサはそんなこと言い出さなければよかったかな、と不安になる。でもまあ、良くも悪くも、通らなければいけない道なのよね。サムはこの何ヶ月かパリに住み込んで、女帝に付きっきりで、彼女の望み通りに、彼女の最期をみとった。その間、彼は気を強く張っていた。おばあちゃんのためにも、家族全員のためにも、彼は強くあらねばならなかった。でも今、イルサにはわかる。彼にはもうほとんど力が残っていない。彼はなけなしの力でどうしたらいいのかわからないのだ。彼が悲しみに打ちひしがれるようなことにならなければいいな、と彼女は思う。前に誓ったことを思い出して、彼には前を向いてほしい。

「そんなに時間はかからないから、サムと私の二人きりにしてくれないかな?」とイルサはマディにお願いする。「その後、三人でゆっくり話しましょう。―積もる話がいっぱいだわ!」

「わかったわ。もちろんよ」とマディは返す。「私も話したいことがいっぱい。あ、どこの学校行くのっていう質問はしないでね。もう会う人みんな、どこの学校行くの、ばっかり聞いてくるからうんざりなのよ!」

「わかった。約束する」とイルサが応える。

マディは女帝がかつて寝室として使っていた部屋を指差した。「私は自分の部屋にいるから、二人で気の済むまで過ごしたら、呼んでね」

彼女は部屋に入っていった。そしてここが再び、イルサとサムの二人きりの宇宙になる。この週末は、大勢の人がお葬式にやって来て、いろんな人に挨拶したりと、社会的義務を果たすのに手一杯だった。ようやく静かな空間に逃げ込めた感じだ。

「彼女はどこの学校に行くのかな? 気になるから聞いちゃおうかな」とサムが言う。

「あなたってひどい人ね」とイルサが彼に言う。声のトーンは、全然ひどくない人に向かって言っているみたいだ。

天井の上から足音が聞こえてきて、イルサは、きっとKKとリーが騒いでいるんだわ、と思う。KKの住む最上階はすぐ上ではなく、何階か上のフロアーなのだが、どういうわけかそう思ってしまう。この邸宅の中で、KKのアパートメントだけは常識的な力が及ばない領域なのだ。―このマンションはいろんなところを改装して、以前とは見違えるほど様変わりしたけれど、最上階だけは何も変わらず不可思議な雰囲気を纏っている。しかしながら、KK自身はちょっと変わった。―女帝の死が彼女にも変化をもたらしたのかもしれない。彼女はちょっと自信を失ったかのように、前より少しだけ丸くなり、周りの人の話にも少しは耳を傾けるようになった。「彼女は永遠に生き続けるのかと思ってたわ」とKKはお葬式の時、イルサの耳元に口を寄せてきて、囁いた。「あたしね、前から彼女みたいになりたいなって思ってたんだ。彼女がいなくなっちゃって、これから誰を目指せばいいんだろ」

KKとイルサの間に座っていたリーが、その囁きを聞いて、イルサの手をぎゅっと握り締める。リーのいつもの愛情表現だ。繰り返し手を握ることで信頼感が上乗せされ、新しい人生がその上に築かれていった。

そしてお葬式の時、イルサのもう一方の隣には、サムが座っていた。彼は10年間、あちこちの地を巡り、ピアノを教えたり、家庭教師をしたりして暮らしてきたのだが、パリを経由して、ついにニューヨークに戻ってきた。彼が去らなければならなかった街は、ちゃんと彼のことを待っていたのだ。

私たちはキッチンに行かないとね、イルサがそう思うのと同時に、サムが言う。「キッチンに行ってみよう」

以心伝心は今も健在だった。3時間、3週間、あるいは3ヶ月、全く会話をしなくても、一旦二人が話し始めれば、二人の思考は瞬時に同じ空間を共有し、言葉がつながる。

キッチンはほとんど10年前のままだった。女帝はキッチンにこだわりと誇りを持っていて、当時から投資を惜しまなかったから、マディの家族が手を入れる余地がなかったのも頷ける。

サムはキッチンカウンターの上に手を置き、撫でるように滑らせる。まるで彼のそばに残像のように18歳の彼がいて、一緒に同じことをしているようだ。そして、18歳の彼がここにいるということは、18歳のイルサも同様に、このキッチンにいるということになる。

サムは思う。育った場所を去った。去らなければならなかった。でも、あれから長い間、この場所はずっと心の中にちゃんとあった。ここは自分の中心だから。

それから、彼はイルサを見る。今ではイルサは、彼のもう一つの中心になっていた。

「あの夜のこと覚えてるか?」と彼が言う。どの夜のことを言っているのかは、イルサにもすぐにわかる。彼は今でもあの時のドリーをポケットに入れて、肌身離さず持ち歩いている。あれからずっとドリーは彼の御守りなのだ。

「私たちが約束を交わした夜でしょ」と彼女は返す。「さよならを言った夜ね」

あの夜がこのアパートメントで過ごした最後の夜というわけではなかった。―その後も、荷造りしたり、女帝がパリに引っ越す準備を手伝ったりしたので、ここで過ごした夜はあの後も何日もあった。だけど、イルサの言う通りだとサムは思う。―さよならパーティーをしたあの夜、たしかに僕たちはここでの暮らしにさよならを言ったのだ。そして、二人が羽ばたいて行く未来に、よろしく、と声をかけたのだ...その未来も今では過去なのだけれど。

「パーカーに頼まれてるから、ここの写真も撮らなくちゃ」とサムが言う。パーカーもカリフォルニアから飛行機に飛び乗って、女帝のお葬式に参列したいと言ったのだが、彼が飛行機でアメリカ大陸を横断中に、妻のジーナが「産まれそう」と産気づいたりしたら、「妻に千の方法で殺される」と彼はこっちに来るのを断念した。「タイミングが理想的とは言えなかったな。俺は妻のそばで、初めての娘が出てくるのを待つことにするよ」と言っていた。

イルサはパーカーに送る写真に自分も入るつもりはなかったのだが、サムがスマホを彼女に向けると、彼女はとっさにメレンゲ・ダンスのポーズをした。それを見て、サムが笑い出す。彼の笑い声はイルサの耳に心地よく響く。

「いいね」と彼は言って、その写真をパーカーに送信した。

サムが今ではすっかり忘れてしまった高校時代の思い出もある。#スタンタのツイートは一つも思い出せないし、スーパーマーケット〈トレーダー・ジョーズ〉で恋した「彼」の顔は全く思い出せない。数学の微分積分のやり方なんて微塵も頭に残っていない。しかし、彼はあの夜のことは鮮明に覚えている。あの夜の最後の会話が目に浮かぶ。

「ここには残らないって約束してくれ」と、あの時、彼は聞いた。

「約束するわ」と彼女は応えた。「あなたもここを出るって約束してくれればね」

そして彼も同じように約束した。

それまでの二人は、約束めいたことならしたことはあったけれど、そんな風に「約束」を交わしたことは一度もなかった。もちろん、お互いにいろんなことをお願いしたことはあって、その度に、誓って絶対にそうする、とか、誓って誰にも言わない、とお互いに言い合っていたのだが、それらは約束ではなかった。破られる可能性が高いとか、重要な決心になるからリスクが高いとか、そういう理由でそれまで約束を交わさなかったのではなく、約束するからには、ちゃんと守らなければならないことを二人とも知っていたから、その時に初めて約束したのだ。その約束が何であれ、約束は守るためにある。

一旦「約束」を始めた二人は、止まらなくなってしまった。

「何か助けが必要な時は、私に知らせるって約束して」と彼女は言った。

彼は約束した。

「愛すべき何かを見つけるって約束して」と彼は言った。

彼女はリーのことを思いながら、約束した。

「作曲するって約束して」と彼女は言った。

彼はヨハンのことを思いながら、約束した。

「どこへ行ったとしても、自分の服はちゃんと自分で洗濯するって約束して」と彼は言った。

彼女は約束した。

実は二人には密かな約束事もあった:自分でやらないことがあれば、お互いが代わりにやってあげる。これは特に言葉で約束する必要のないほど、二人の胸の内側に浸透しきっていた密約だった。

実際、この密約は至極自然に機能していた。サムが外側の世界を見ていれば、イルサは彼女自身の心の働きを見ていた。サムがつっかえることなく曲を演奏すれば、それでもイルサはあらを見つけ出し、ダメ出しをしてあげた。時には彼女が彼に代わって、見つけたあらを直してあげた。これから幸せではない時もたくさん訪れる、そう胸に刻み込んで、二人は一緒に幸せを手にした。そして二人して、強さも身につけた。幸せというのは、体の内側にも見いだせるし、同様に自分の外側、もう一人の中にも見いだせる、ということに気づいた二人は最強だった。

さよならパーティーの時、終わりはたしかに新たな始まりを告げた。

そして今、女帝が亡くなって、もう一つのエンディングを迎えた。それでも二人は、まだここにいる。このキッチンも...まだここにある。

「思い出したわ、あの時...」とイルサが語り始める。

二人で始めた会話は、それからメンバーを増やし、4時間以上続くことになる。しびれを切らしたマディがキッチンにやって来て、二人に加わった。KKとリーもそのうちに最上階から下りてきて、会話の輪に加わる。彼らは喋りながら思い出し、思い出しながら喋り続ける。過去を遠くから眺めると、単調な日常さえ魔法がかって見えた。

そういう風にして、懐かしい面々がみんな、生き生きと浮かび上がってくるのだ。






〔訳者あとがき〕


1

翻訳


「イメージ、彩り、ニュアンス」ぼくはこの三つを常に意識しながら訳しています。なので、ぼくの訳文を読んで、「さよならパーティー」が行われている室内の様子が鮮明に思い浮かべば成功、というか、ぼくが訳した文なので、それぞれのシーンがありありと思い浮かんだことでしょう!笑



2

誤訳


とっとと言い訳してしまいます。笑

第1章を訳している時は、サムもイルサも他のみんなも大学生だと思い込んでいたのですが、第2章に入り、これから大学に入学することが判明し、冷や汗を流しました。笑

「やべー、もう絶対5人くらい、いや5千人くらい読んじゃったよー!」と苦笑いを浮かべながらも、「まいっか」と不退転の決意で、振り返らず前に進むことにしましたm(__)m笑


言い訳としては、日本とアメリカの入試の時期の違いがあります!笑笑

日本の大学は、春の4月に入学式があり、その数ヶ月前の(まさに今の時期)2月くらいに入試があるわけですが、

アメリカの大学は、9月頃に入学式があり、秋から新学年が始まるのです。ここまでは知っていたのですが、アメリカの入試の時期までは把握していませんでしたm(__)m笑


アメリカの入試は数ヶ月前ではなく、半年以上前に行われるのです!

というわけで、誤訳が起きました。笑



3

謝辞


前半の部分をtaaさんに校正してもらいました。

表向きは、(ぼくも見直すことになるので)誤訳に気づくため、だったのですが、

真の目的は、誰かに読んでもらいたかった、のです...笑

いろんな翻訳本の「訳者あとがき」に、「丁寧な校正をして頂いた出版社の〇〇さんに感謝します」みたいなことが書かれていて、しかも、ほぼ100%女性の名前だったので、「いいなー」と涎が垂れそうになりながら、「ぼくも誰かに読んでもらいたいなー」と前から思っていたので、taaさんにお金を払ってしてもらいました。

初めての経験だったので、やり取りから新鮮でした!笑

自分以外の人に読んでもらうって、こういう気持ちなんだ~と、プロの「気分」を味わわせてもらいました。ありがとうございました。

(でも、プロが訳した文って、それぞれのシーンのイメージがちっとも浮かばないんだよね...)



4

参考文献


この〔訳者あとがき〕を書くにあたって、こちらの本、並びにウィキペディアを参考にさせて頂きました。


①『ライ麦畑でつかまえて』著 J・D・サリンジャー 訳 野崎孝

②『フラニーとゾーイー』著 J・D・サリンジャー 訳 野崎孝

③『若者たち』著 J・D・サリンジャー 訳 藍

④『ティファニーで朝食を』著 トルーマン・カポーティ 訳 藍

⑤『心のトリセツ ユング心理学がよくわかる本』著 長尾剛

⑥「ウィキペディアのユングの項目」著 匿名の天才さん

家にある(たぶん数千冊の)本の中で、2冊だけ残して後は断捨離するとしたら、『ライ麦畑でつかまえて』の英語の原本と、この青い翻訳本を残します!

英語と日本を見比べて、野崎孝さんの超絶技巧に「おー、うわー、すごーい」と、涎をすすりながらうなっていれば、1日なんて簡単にやり過ごせます。

(前は1日をやり過ごすのが大変でつらかったな~しみじみ...)



5

若者たち


サリンジャーの『The Young Folks(若者たち)』の最後の部分だけを訳します。


"Hey!" Edna called, tapping her cigarette on the arm of the big red chair. "Hey, Lu! Bobby! See if you can't get something better on the radio! I mean who can dance to that stuff?"


「ちょっと!」とエドナが大声で呼びかけた。彼女はいつの間にか大きな赤い椅子に座っていて、指に挟んだタバコを椅子のひじ置きの部分でトントンと叩いている。「ちょっと、ルー! ボビーでもいいからさ! このラジオの音楽なんとかしてよ、もっとましな曲はないの? こんなしめっぽい曲じゃ誰も踊れないでしょって言ってるのよ」


最後の部分だけだと、文脈がわからないと思うので、簡単に登場人物を紹介すると、

①「ちょっと!」と叫んで、音楽を変えさせようとしているエドナは、『ティファニーで朝食を』のマグ・ワイルドウッドみたいなキャラクターで、『サムとイルサのさよならパーティー』で言うと、KKにあたるかなと思う。

②エドナに「ルー!」と呼ばれているのは、このパーティーの主催者で、ルシールという名前の女の子。『若者たち』は、ルシールの家で、親が留守中にパーティーをやっているという設定の短編小説なので、『サムとイルサのさよならパーティー』の設定に近い。

というか、『ダッシュとリリー』の時にも、サリンジャーの『フラニーとゾーイー』が大型書店の本棚に挟んであったりしたので、この二人の著者(レイチェル・コーンとデイヴィッド・レヴィサン)は、サリンジャー好きなんだと思う。ぼくみたいにどっぷりとサリンジャーフリークかどうかは微妙だけど...笑



6

KK(カービー・キングスリー)


第18章

それからパーカーが、きっとKKを困らせるためだろうけど、フレデリックに手を差し出した。そしてカスピアンが、こちらもKKへの当てつけだろうけど、パーカーの誘いを受け入れ、手を取った。


第18章に、誰もKKをダンスに誘わないシーンがあって、ぼくは「KK、かわいそう」と思った。涙

KKは一人ぽつんと、ダイニングテーブルの椅子に座って、みんなが踊るのを眺めながら、何を思っていたのだろう?(独りぼっちは精神的にきついよね...涙)

「さよならパーティー」では、そのままふてくされて、最上階の自分の家に帰っちゃったKKだけど、

10年後の第21章を見ると、イルサや、いがみ合っていたリーとも関係は続いていたみたいで良かった!(ほっと一安心。笑)


第17章

私たちに詳しい情報を教えてくれたのは、KKだった。「そうよ。ブータンはインドの近く、ヒマラヤ山脈の高地にある国で、ネパールとチベットの国境辺りね。仏教の王国で、修道院とか砦がたくさんあって、山と谷が入り組んだ地形は目を見張るほどの絶景よ。贈り物としてスランケットを持って行くといいわ。あそこの人たちはすごく貧しいんだけど、世界で一番優しい人たちなのよ。彼らにとっては贅沢品だけど、西洋の物なら喜んで使ってくれる。スランケットのポケットに鉛筆をたくさん詰めて贈れば、子供たちも喜ぶわ。―あの子のキラキラした満面の笑みが目に浮かぶわ。鉛筆を贈るだけなんだから簡単でしょ」


第17章で「世界旅行」というゲームをやった時、KKはカードに「ブータン」と書いたようで、彼女は魂の探求のため、ブータンに行っていると言う。

みんなから避けられがちなKKは、ブータンに行くことで、一旦、心をリセットしているのかもしれない。「避けられがち」という意味では、ぼくもKKに近い存在なので、KKを見習って、心を慰めたいんだけど、KKとぼくの大きな違いが、ヒマラヤ山脈のように立ちはだかっている。そう、KKは家に家政婦さんがいるほどのお金持ちなのだ。(涙)笑



7

女帝


一度も登場することなく、10年後に亡くなってしまった女帝。

『フラニーとゾーイー』で言えば、長男のシーモアにあたる存在(不在)で、その神性は、不在であることにより、ますます高まるのかもしれない。

と思ったけれど、

第21章で、KKも女帝に憧れていたことをお葬式でイルサに打ち明けた。つまり、不在だからではなく、身内だからでもなく、女帝は真にカリスマ性を発揮していたのだ。

そんなおばあちゃんの影響を大きく受けて育ったサムとイルサだから、二人とも器が大きいと感じる。

サムもイルサも、基本的な心構えは、「拒まず受け入れる」のだ。

サムもジェイソンを結局受け入れたし、イルサもリーの気持ちを受け入れた。



8

著者


『サムとイルサのさよならパーティー』は、『ダッシュとリリー』の本と同じ二人の偉大な著者、レイチェル・コーンとデイヴィッド・レヴィサンによって生み出されました。

この二人はそれぞれ一人でも小説を書いているようなので、それぞれが一人で書いた小説も訳してみようと思います。

しかし何といっても、この二人の「コンビプレー」が織り成す見事なドリブルシュートのような本は格別で、このコンビの本がまた出たら、100%速攻で訳します!


サッカーで喩えると、二人でパスを巧みに出し合って、次々と相手選手を抜きながら敵陣に攻め入ってゆき、でも最後のシュートは正々堂々と正面から、思いっきりボールを蹴り込み、ゴールネットを爽やかに揺らす、といった読後感の爽快な小説です。

おそらく、イルサのパートをレイチェル・コーンが書き、

サムのパートをデイヴィッド・レヴィサンが書いているのでしょう。

それぞれの文体には特徴があって、パスのボールに変化というか、回転を加えるのがレイチェル・コーンで、文体的に真っ直ぐなのがデイヴィッド・レヴィサンといった感じです。



9

感想


『サムとイルサのさよならパーティー』は、終始ニヤニヤしっぱなしの、キラキラがつまった玉手箱のような、ぼく好みのちょっとエロい、素敵な青春小説でした。

この歳になっても、10代や20代前半の頃から変わらず、青春小説が好きなのは、もしかすると、ぼくが独身だからかもしれない。もし結婚して子供がいたりすれば、もっと大人な家族小説とかを好きになるのかもしれないけれど、やはりぼくは、みなぎるパワーを胸に秘め、青く澄んだ大空のような未来に向かって羽ばたく、そんな小説が大好き!笑

この小説を訳し終えて、ニヤニヤしすぎて、ほっぺがマシュマロのようにはなっていないけれど、ちょこっと肌が柔らかくなった。(気のせいかもしれないけれど...笑)



10

時間


『ダッシュとリリー』の時にも「濃密な12日間」だと感じたけれど、濃度がさらに、100%ぎりぎり一杯の飽和状態まで増して、1日というか、一晩が超濃密。彼ら(若者)の半日が、ぼく(おっさん)の半年に匹敵するという、凄まじい濃縮果汁ジュース。


今、Juice=Juiceの曲で、そんな感じの歌詞の曲なかったかな~と探し中、なう。笑



11

アイデンティティ


匿名の天才さんが書いたウィキペディアによると、

人の心には両性が潜んでいるそうです。


ユング心理学の型にサムとイルサをはめ込もうとすれば、

サムにとってのイルサが、アニマで、

イルサにとってのサムが、アニムスということになるかなと思います。



12

サム


第2章

キッチンに一人でいると、段々と気分が落ち着いていくのを感じる。僕はこの空間が好きだ。僕の思考はキッチンに響く音と相性がいいみたいで、鍋の中で泡立つ音や、沸騰する音、それから冷蔵庫の音なんかにうまく溶け込んで、ここにいると、僕は小さなオーケストラの指揮者になれる気がするんだ。


キッチンにアイデンティティを見いだしかけたサムですが、女帝が長らく住んできたマンションを出なければならなくなり、アイデンティティを見失います。

そして10年間、自分探しの旅をしてきたみたいですが、


第21章

今ではイルサは、彼のもう一つの中心になっていた。


第21章

幸せというのは、体の内側にも見いだせるし、同様に自分の外側、もう一人の中にも見いだせる、ということに気づいた二人は最強だった。


結局、イルサが彼にとってのアイデンティティだったわけです。

一旦離れてみて、「やっぱり好き♡」ってなったってことですね!笑

(ぼくはやっぱりハッピーエンドが好き♡)



13

イルサ


第1章

コネチカットのどこかにあるクイニピアック大学にも無駄に入学金を払わずに済んだわ。(入試の時に行ったけど、なんだか疲れちゃってあまり覚えてないの。両親に受けなさいって言われて半ば無理やり受けさせられただけだし)

今度海外旅行をしたとき、オーストリアかどこかの、伝統のあるフロイト大学だったかユング大学に行って、転入について色々聞いてみるつもり。私って精神分析の天才でしょ。将来その分野で大成功する予感しかないから。


パーティーが始まる前は、こう言っていたイルサでしたが、


第19章

秋の入学式前にはちゃんと帰ってきて、クイニピアック大学に行くって言えば、両親も許してくれるはず。私が本当に大学に行きたくて仕方ない、みたいに振る舞えばね。というか、もしかすると私は、振る舞うだけじゃなくて、実際大学に行くのが楽しみなのかもしれない。周りの景色が変わるわ。コネチカットの緑豊かなキャンパスで、新しい体験もするでしょう。単調だっていいじゃない。それにあそこからなら、リー・チャンにも簡単に会いに行ける。彼女は秋からクイーンズ・カレッジに行くことになってるからね。


と、結局コネチカット州のクイニピアック大学に行くことに決めたわけです。

第21章にもはっきりとは書かれていませんでしたが、クイニピアック大学を卒業した後は、イルサはサムと一緒に暮らしていたのかな~と想像が膨らみます!笑


第19章

「あなたは私がひねくれてると思う?」

「全然思わないよ。根っこのところでは、お前が家族の中で一番誠実なんだよ」


という会話でわかるように、実は一番しっかり者だったイルサ。

料理では、サムの横に立って調理器具を手渡し、

サムにジェイソン以外の彼氏も見つけてきてあげる。

手首を切ったり、グラスを壁に投げつけちゃうサムとは違って、イルサは心優しき凄腕の助手。


そんなイルサですが、自分の感情に戸惑い、迷いに迷います。


第11章

一口かじってみる。モカだ! 私は気を良くし、さらに心の内を打ち明ける。「あなたの言ったこと間違ってるわ。私は元々ビッチな心を持って生まれたの。良いDNAは全部サムが取ったのよ」

「重大発表があるってそのことだったの? で、まだサムに言ってないわけ? 心配しなくても彼は怒らないと思うわ。あなたがここに住むのなら、彼は喜ぶはず」

「それが問題なのよ。私は彼に怒ってほしいの。カンカンに、怒らせたい」


と、イルサはリーに向かって、「サムをカンカンに怒らせたい」と言ってみたり、


第15章

私たちはただ、同じ子宮から出て来て、同じ(二つの)マンションで育てられたってだけ。マンションは同じだけど、部屋は彼の方が良い部屋を与えられたのよ。―この女帝のマンションでもそうだし、それから彼女の心の中でもね。


と、サムに対抗心を燃やしてみたり、ぐるぐると地球を一周分くらい感情を巡りましたが、最終的にサムと精神的に一体となって良かったです!笑



14

魔法


第15章

私の心は震え上がり、結果が出るまでの時間をただ待っているのがいたたまれなくなった。私はパーカーにお願いして、二人でセントラルパークに行ってアイススケートをした。あの日は冬で、雪が降っていた。なにもかもが魔法にかかったようだった。私は永遠にパーカーの腕の中にもたれていたかった。


妊娠検査薬のくだりで、イルサにとって周りの世界が魔法にかかったように見えたのは、イルサの「内面」に魔法がかかったからに他ならないでしょう。そんな衝撃的な内面の変化は、人生にそうあるものではないのでしょうね...



15

パーカー


パーカーは大学を卒業した後もカリフォルニアに残ったみたいで、第21章にいきなり「ジーナ」という妻が登場し、「いつの間に!」と思いました。笑



16

リー


リー・チャンは予知夢を見る台湾人で、この小説の特徴として、「多国籍」というキーワードを見いだすことができるでしょう。

ヨハンは南アフリカ。

フレディとカスピアンはポーランド。

そんな世界中から集まったみんなが、一ヶ所に集まって食べたり飲んだり、「世界旅行」というゲームをしたりする、まさに友情と融和の精神に満ちた小説でした。



17

トイレの壁


男女兼用のトイレの個室の壁にメッセージを書いてやり取りするという手法により、『サムとイルサ』の世界と『ダッシュとリリー』の世界がつながったようで、同じ場所(ニューヨーク)で、それぞれ別々の物語を生きているんだな~と思いを馳せました。



18

同時代性


第4章

どうせジェイソンだろうと思いながら僕は玄関まで行き、ドアを開けると、ジェイソンとは似ても似つかない、見知らぬ男が立っていた。熱さのスケールでいうと、ジェイソンは爆竹花火かもしれないが...この男は太陽だった。彼は服を着ていたが、まるで彼が裸みたいに、僕の体がゾクゾクと反応した。僕の視線は彼の力強い肩に向かい、そこからさらに上昇し、彼の顔に焦点を合わせる。

「ハロー」と僕は言ったつもりだった。でも、なんだか尻すぼみの声しか出てこなくて、語尾が伸びずに、「ヘル(地獄)」のようになってしまった。

「実はボクは、君がイルサのお兄さんだって前から知っていたんだ。君のことを彼女から色々聞いていたからね。すごく素敵なお兄さんだって」

いやいやいや、やめてくれ。もう十分だよ。

「彼女のさしがねだろ?」と僕はフレデリックを問い詰める。「イルサに言われて、こんなことしてるんだろ? それで、僕の反応をインターネットにアップして、みんなに晒すってやつだろ? カメラはどこだ?」


同じ時代を共有している小説を読む醍醐味は、こういうところに転がっていて、

「あ、ぼくもYouTubeでそういう動画見たことある~!」と、うんうん頷いてしまった。笑


『アナと雪の女王』などの結構最近の映画が登場するのも、ウキウキする!笑

ぼくもジェイソンと同様にアナ雪の主題歌を、(ぼくは小心者なので全開ではないけれど、)「ありのーままのーー」と無意識に歌っていることがある♪



19

シチュエーションコメディー


ぼくがシチュエーションコメディーを好きになったのは、大学時代だった。

ぼくは一人暮らしをしていた部屋にCS放送を入れ、「ディズニーチャンネル」で『リジー&Lizzie』や『ウェイバリー通りのウィザードたち』を見ていた。


舞台は主にリビングルームで、たまにそれぞれの部屋に切り替わったりするけれど、基本的には一ヶ所で繰り広げられるコメディーに、なんとなくぼくは惹かれる☆彡



20

ティファニーでパーティーを


『サムとイルサのさよならパーティー』を訳しながら、ぼくはかつて暮らしていた街にいつも引き戻され、近くに住んでいた人たちのことを懐かしく思い出していた。たとえば、西28丁目辺りの灰色の壁の共同住宅に、受験戦争をやっと抜けたばかりのぼくは住んでいた。


思い出す面々は、ぼくを含めて5人くらいだ。そもそもぼくには友人が少なかったというのもある。ただ、『サムとイルサのさよならパーティー』でも登場人物は6、7人だったので、同じ場所と時間を共有できる人数なんて、おそらくそれくらいが限度なのだろう。もしも登場人物が10人を超えるなんてことになったら、サムとイルサばかりでなく、ぼく(訳者)も混乱して、誰が誰だかわからなくなってしまう...汗(笑)


話を戻して5人というのは、←戻さなくていいよ!笑

仮の名前をつけると、滝野くん、杉沢さん、つのだ、上原さん、ぼくの5人で、

滝野くんと杉沢さんは、ぼくと同じ共同住宅の違う階に住んでいた。

つのだと上原さんは別の共同住宅に住んでいた。

(この中で女性は上原さんだけです。杉沢さんは先輩なので「さん付け」で呼んでいました。)


滝野くんと杉沢さんとぼくは、三人もしくは二人で、いずれかの部屋に集まり、ぐだぐだとお喋りして過ごすことが多かった。たまには真面目な話もして、文学談義にいそしんだり、心理学について話したりもした。(これが笑ってしまうことに本当なんです。夜中に男三人でフロイトがどうとか、ユングがどうとか...爆笑)


そう、青臭い時代(my blue period)が今もまだ続いているのだ。


『サムとイルサのさよならパーティー』を開けば、(開く、というか、電子書籍なので電源を入れれば、)

サムやイルサたちの声が聞こえる。他のみんなもちゃんとここにいてくれる。まるで時を止めてぼくを待っていてくれたかのように、ぼくの顔をチラッと見てから、行動や発言を再開してくれる。

そんなところから、ぼくも小説を書こうと思う。

(訳すと自分でも書きたくなる法則。笑)



21

バーグマン


ぼくが一番気になったキャラクターで、一番親近感が湧きました。笑

バーグマンっぽい人を主人公に東京を舞台にして、半分パクリのオリジナル小説を書いてみようと思います。このサイトで公開予定なのでお楽しみに^^☆彡



P.S.

ぼくは楽器が弾ける人と絵が描ける人を尊敬しています。


女帝のお葬式にて、

サム、イルサ、リー、KKの4人が喪服を着て座っている。

リーはイルサの手を膝の上で握っている。KKはリー越しにイルサに話しかけている。

サムもイルサもどこか晴れやかな表情だ。まるで女帝が二人の間にいるみたいに。


そんな絵をここに貼り付けたいのですが、ぼくには絵心がないので、募集します!

一番最初に送ってくれた人の絵をここに貼り付けます↓







藍's color

新宿ルミネの7階辺りに劇場ができたばかりの頃、レナちゃんと観に行った。次々と漫才師が繰り出すボケとツッコミに、二人してゲラゲラと笑っていた。by 藍 (懐かしい、美しいものばかり思い出されるのだから。by 太宰治)

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