『19曲のラブソング』3

『19 Love Songs』 by デイヴィッド・レヴィサン 訳 藍(2020年01月26日~)


トラック 7

ストーリータイム


私が小さかった頃、両親は私と妹をベッドに寝かしつけるというルーティーンを毎晩こなしていた。それは1時間だったり、30分だったり、5分の時もあったかもしれない。私も妹も、時間を正確に把握しきれていなかったから、その辺は曖昧だ。―1分と一口に言っても、今も形がなく掴めないという意味では同じだが、当時はその流れ方がだいぶ違っていたのだ。私たちの体内リズムは、自然とそういう仕様に設定されていった。―もうそろそろ上の階に行く時間だな、と感じ、私たちはパジャマに着替え、歯を磨くのだった。一日が終わりの時間に近づき、私と妹はそれぞれの部屋に行き、それぞれのベッドに潜り込んだ。そこからが、魔法の時間の始まりだった。一日の最後に残されていた短い時間が、一日の中で一番不思議な、ストーリータイムだった。

私たちの両親は交代でそれぞれの部屋にやって来た。母が妹の部屋に行き、父が私の部屋に来た。次の日はその逆だった。片方の親がストーリーのどこで中断していても、もう片方の親は次の日ちゃんとそこから続きを語り始めた。今もその仕組みはよくわかっていないが、両親は共有のノートにどこまで話したのかを書いていたのかもしれないし、あるいは、単に当てずっぽうで(かなり正確な推測だったが)、語りつないでいたのかもしれない。そういえば、私の顔色を窺いながら話し始めていた節もある。私たちの方も、夢うつつで大雑把な論理の中にいたから、「ああ、思い出した。そうそう」といった具合で、続きの世界に入り込めた。

私の物語はいつも王子とともに始まった。

「王子の名前は何がいい?」と、母か父が私に聞いてきた。

私自身の名前を答えてもいいことはわかっていたが、私は一度も自分の名前は言わなかった。代わりに、私は空中から言葉をつかみ取るようにして、―以前どこかで小耳に挟んだ程度の、まだその意味を実際には理解していない言葉を答えていた。

「ハロゲン」私はそれが元素の名前だとは知らずに、そう答えた。

「じゃあ、ハロゲン王子の住む王国の名前は何にする?」

「オーケストラ」

母か父は、「よし、わかった」と頷き、物語が始まった。最初の夜、ハロゲン王子はアルカディアにあるという伝説の〈ゴールデンボルト〉を探すため、冒険の旅に出た。次の夜、ハロゲン王子は不思議なアメフト場に立ち寄ることになる。彼は選手の一人としてアメフトの試合に参加し、試合終了間際、土壇場で逆転のフィールドゴールを決めた。オーケストラ王国の市民なので、超満員の観客は全員楽器を持参していて、彼のゴールを合図に客席全体がオーケストラとなり、歓喜の演奏が鳴り響いた。それから、彼は再び〈ゴールデンボルト〉を探す旅に戻る。途中、ピーナッツバターに目がない青鬼に助けられた。ノミのように小さなピンクの妖精も仲間に引き入れた。電球にちなんで私が名付けた電光少年団も助っ人に加わった。

いわば、両親が代わる代わる、見えない編み針を手に取り、新しい毛布を編んで私の体を包み込んでくれたみたいに、あるいは、夜の分厚い空気から糸をつむぎ出し、色とりどりの言葉でできたパジャマを着せてくれたみたいに、私はふわふわと眠りに落ちるのだった。

「あなたの両親はあなたを寝かしつけるために、本を読んで聞かせたのですね?」と、今の私はよく聞かれる。私は本を書いて生きていこうと決め、こういう仕事を選んだのだから、当然といえば当然の質問である。

「そうですね」と私はいつも答えているが、実際のところ、そこに本はなかったし、電気もついていなかった。暗い部屋に二人の人間がいただけである。一人がストーリーを語り、一人がうっとりと聞き入る。私の幼少期の記憶の大半を占めているのは、そういう時間だった。毎晩、異なる章が目の前に立ち現れた。それはどこまでも続く、決して終わらない物語だった。


恋愛関係について言えば、私は想像力を欠いていた。

ペックと2年近く付き合って、結局私たちは別れてしまった。多くの結末がそうであるように、私たちの結末も、積み重なった現実ゆえのどうしようもないものだった。―離ればなれになってしまう、と激しく神経を擦り減らしながら、なんとか関係を続けられないものかともがいていた。失望と後悔がめくるめく押し寄せてきて、二人で過ごしたあらゆるシーンがカタログのように目の前に立ち現れた。そうして結局、すべては崩れ落ちてしまうか、ゆるやかに消え入るように終わる。かつてそこにあったものを回想し、壊れてしまったものの破片や空洞を見つめていると、不思議と胸のうちに畏敬の念が生じてくるものだ。とはいえ、それは魔法を引き起こすような感情ではなく、単なる失望の余波に過ぎない。

数ヶ月にも渡って、何がいけなかったのかと崩壊の原因をさぐることになった。―根気よく過去の断片を切り分けていき、まずい方向への岐路を探り当てるのだ。―そこに、夢想の世界への逃避は許されない。愚直に現実を掘っていくしかない。実際に起こったことと、起こり得たかもしれないことの、実直なルポルタージュだ。これはペックとの関係だけに当てはまるわけではない。―ジョン、キャメロン、クレイグとの付き合いを振り返ってみても、私は検体を顕微鏡で観察するように、何が悪かったのか、誰がいけなかったのかを解明しようと試みた。それは涙を伴う科学であり、成功は見込めない実験だった。私の手が届く範囲で、色々な人たちに相談に乗ってもらったりもした。―友人、家族、セラピストに対し、私はできるだけありのままの真実を伝えようと、親しみやすいニュース番組のキャスターになったつもりで、私たちの関係をドキュメンタリー風に語った。

私はあまりデートしたい気分ではなかった。それでも私はデートに出かけていった。私にはまだ魅力があることを、私はまだ求められていることを実感しに行っていたようなものだ。でも、それは間違いだった。―コーヒーを飲みながら、お酒を飲みながら、あるいは夕食を食べながらのデートは、就職の面接試験がちょっとロマンチックになっただけのものだった。学生時代の成績を吟味されている気分にもなった。質問を投げかけられ、それに対して答える。すべては単なる情報の伝達に過ぎなかった。ストーリーを語る、なんてことはまるでなかったのだ。相手が別の男性だったら、と考えたこともある。そしたら私をもっと揺さぶってくれたかもしれない、と。でも、実際私が付き合ってきた男性のほとんどは、時が経過するにつれて、疲弊していった。私も同様に消耗していった。

私は、もういいや、という投げやりな気持ちになった。あれだけ好きだった幻想的な場所や、インスピレーションを得てたどり着ける場所へ向かうのをやめ、私は日々の暮らしに埋没した。テレビで非現実的な主婦たちの姿を眺めたり、誰かのブログを見たりしながら、毎日を適当に過ごしていた。私は書くことをやめ、頭を捻りストーリーを紡ぐこともやめてしまった。

私は一緒にいても楽しくもなんともない人間だったのだ。私自身でさえ、そう感じるほどだった。


私はパーティーにも行きたくなかった。パーティーの主催者のブレントは、リサの友人で、私の直接の友達ではなかった。

「ボウリングよ」とリサは言った。「ボウリングなら、楽しめるでしょ?」

彼女から私に投げかけられたそんな言葉にさえ、答える気が湧かなかった。

リサは追い打ちをかけるように、古典的な台詞を口にした。「土曜の夜に家にいるなんて、あなたって可哀想な人ね」使い古されたこの言葉は、不思議と私の胸をえぐった。

それで私は彼女に付いて行った。ボウリングに関して言えば、私は卑下するほど下手ではなかったが、自慢できるほど上手くもなかった。私たちはチームに分かれ、スコアを競い合うことになり、そこで私はカラムと出会うことになった。そこには何の作為も、誰の策略もなく、―つまりたまたま同じチームになっただけなのだが、月日が流れたのち、私たちはその幸運に感謝することになる。

彼が私に言った最初の言葉は、こうだった。「僕のボウリングのスコアはね、完全に場内に流れている曲次第なんだ。このボウリング場がいい曲を流してくれることを祈るよ」

その時、場内ではレディー・ガガの曲が流れていた。ゲイなら曲名までわかって当然なのかもしれないが、私はレディー・ガガの何ていう曲かまではわからなかった。

「この曲はどう?」と私は聞いてみた。

「僕はザ・ブリーダーズの方が好きだな」と彼は答えた。「ブリーダーズの『キャノンボール』を流してくれれば、僕は確実にストライクを叩き出せる」

私は、あたかもそのブリーダーズが何者なのかを知っているかのように、微笑んだ。そして私たちはそれぞれのボールを選択するために、別々の方向へ歩いていった。

それぞれボールを選び終え、レーンに戻ってくると、私たちは二人とも、緑のボールを選んでいた。

「アイルランド人に幸あれ」とカラムは言って、同じ緑を選んだ私に対し、見えない帽子を頭から取る仕草をした。

正直に言うと、私はこの時すぐに彼を好きになったわけではない。


各レーンに4人ずつのチームだった。カラムとリンナは二人とも、ブレントの同僚だった。(ブレントは私の直接の友人ではなかったし、ブレントが何の仕事をしていたのか、今はもう思い出せない。)私はボウリングがそれほど上手くないことをアピールしつつ、ひそかに他の3人より高いスコアを叩き出そうと狙っていた。私は職場が同じとかではないし、それほどチームとしての一体感を抱いてはいなかった。しかし、カラムは私を含め4人を一つのチームと見なしているようだった。本気で他のチームに勝つ気なのか、彼は私がボールを投げる時にも声を上げて声援し、リサが投げる時も、リンナが投げる時も、同様に声援を送った。そして彼が投げる番が来ると、彼はボールに向かって声援を送った。リンナがボールをガターに落としてしまうと、カラムは彼女に投げ方のアドバイスをしていたが、私が失投しても、その日会ったばかりの私には、まだ距離を保つほどの分別があった。

「だから言っただろ」と彼は言った。「重要なのは音楽なんだよ」

2投続けてボールをガターに落とし、すっかり気落ちした私は、みんなの分も飲み物を買ってくるよ、と言ってその場を離れた。飲み物を買いながら、レジの男性店員に、場内で流す音楽のリクエストはできますか? と聞いてみた。すると彼は、彼女に聞いてくれ、と言った。彼が指差した先には、シューズを消毒している女の子がいた。

「ザ・ブリーダーの曲を流せますか?」と私は彼女に聞いた。

彼女は首を横に振って、私に一瞥をくれた。できるわけないでしょ、いつの時代だと思ってるの? と言わんばかりの視線だ。

私はもう一度挑戦してみた。「じゃあ、私のスマホを場内の音響機器につなぐことはできますか? 今日誕生日の男の子がいて、その子にどうしても聞かせてやりたいんです」

「できるかもしれないわ」と彼女が言った。

私はスマホでザ・ブリーダーズを検索すると、一番上に出てきた曲をダウンロードして、スマホを彼女に手渡した。人数分の飲み物を抱えてレーンに戻ると、カラムは自分の投球に集中していた。リンナとリサの二人は、私の方を興味深そうに見ていた。どうやら私が女性店員にスマホを渡しているところを見ていたらしい。私は二人に、次のフレームですべてが明らかになるよ、とだけ言った。

私はなぜそんなことをしたのか、自分でもよくわかっていなかった。最後に誰かを幸せにしたのはいつだったか? すぐには思い出せないくらい長い時間が経っていた。私は久しぶりに誰かをハッピーな気分にさせたかったのだろう。そうするには実にシンプルな方法に思えた。彼の気を引いて付き合いたいとか、そういう気持ちはなかった。親切心すらなかった。やってみたら何かが起きるかもしれない、という単なる興味本位だった。

カラムが次にボールを投げる番になったら、その曲を流してほしいと、シューズ担当の女の子に言っておいた。ただ、彼女は前の曲を途中でブツ切りにはしたくなかったらしく、彼がアイリッシュ・カラーのボールを手に取った時には、まだリアーナの挑発的なバラード曲のアウトロ部分が流れていた。しかし、彼がボールの重さを量るようにして、投げる体勢に入ったところで、場内の空気が一変した。非常に独特のギターリフが、リズムを刻んで鳴り響いたのだ。彼は驚いて体勢を崩し、ボールを落としそうになった。それから彼は振り向くと、私たちに向かって、にっこりと笑顔を咲かせた。

「よっしゃー!」と彼は叫び声を上げ、気合十分でボールを勢い良く放った。そして、ボールは激しく8本のピンを蹴散らした。

ストライクではなかったけれど、スコアは彼にとってどうでもいい様子だった。彼は席に戻るなり、興奮を抑えられない感じで、奇跡を呼び寄せた感動を語った。

「こんなことって、マジ凄すぎるよ! 彼女たちがちょうど僕の投球に合わせて歌ってくれるなんて、100万年に1度の奇跡だよ。こんな偶然、マジありえない」

私は彼に真相を告げるつもりはなかったのだが、リサは違う考えだった。

「偶然じゃないわ」と彼女が言った。「ちょっとした手助けがあったんじゃないかしら」

そして、私は自分の顔が真っ赤になるのを感じた。


彼は私に感謝してくれた。べつになんてことないよ、と私は言って、スマホを返してもらいに行った。彼は感謝の言葉を繰り返さないくらい分別があった。私はそう言われたら、なんてことないよ、と言うしかないから、会話が永遠のループに陥ってしまう。その代わり、パーティーがお開きになった時、彼は粋なことをしてくれた。私のポケットから私のスマホを抜き取ると、彼は彼の番号を入力したのだ。そして呼び出しボタンを押すと、彼のスマホが鳴り、僕の番号が表示された。

「こうすれば、この番号に折り返すだけだから、僕は君に電話をかけられる」彼はにっこりと微笑んで言った。「こんなことしておいて、君に電話をかけなかったら、放置プレイがすぎるよな」

15分後に彼から電話があり、私は、放置されなくて良かった、と言った。


私は自伝を書いているわけではない。いつか自伝を書く段になった時、これを参考にはするかもしれないが。

私が幼稚園児だった時、家族の絵を描くように言われたことがある。私は真っ先に、スパイダーマンや、あの青い象さんのキャラクターや、(ズボンを穿いた)太陽くんや、バナナくんや、それから、私が忍者の木と呼んでいたものを思い浮かべた。その年齢の頃にはもう、現実は、私の心が生み出す仮の現実と比べ、全然面白くないと心得ていた。寝る前に耳元で語られたストーリーを、昼間友達に話して聞かせることもあった。学校で私は噓つきの烙印を押されたが、年を取るにつれて、噓つきではなく、創造性があると言われるようになった。

私の創作物は、私の人生を織り成す布地とは異なる生地でできているように思える。書いている時、私は自分が自分であることに縛られることはないし、知っている事実をそのまま書こうとも思わない。ただ、私はファンタジーを書いているつもりはない。―少なくとも私自身は、自分が書いたものをファンタジーだとは思っていない。私の考えでは、これは自分とは別の、もう一人の人格にとっての現実であり、すぐ隣にある私の人生とは別の場所で起きている現実なのだ。フィクションは、私がキーボードに言葉を打ち付けるごとに立ち上がる映像であり、いわば頭の中で、実際には見えない映画を上映しているようなものだ。ゆえに、これは人生ではない。これが人生であるはずがない。


私たちは5回目のデートまで、一緒に寝なかった。

そういう熱い気持ちが私たちの中になかったわけではない。最初のデートからすでに、体を近づけるだけでクラクラするような身体的反応があったし、言葉を交わすだけで、ちょっと手が触れただけで、踊り出したくなるようなビリビリした刺激が全身を走った。だけどスケジュールが、陰謀ではないかと思うくらいことごとく、私たちの行く手を阻んだ。―いつもどちらかが、翌日に早く起きなければならない予定が入っていたり、特定の時間になったらデートを切り上げて行かなければならない用事があった。以前だったら、私の中にどんどん欲求不満がたまっていったと思う。でもカラムと一緒にいると、すべてをそのまま受け入れることができた。まだそういう時期じゃないんだな、と。私たちはそうと言わなくても、お互いがお互いに惹かれていることを知っていた。二人の間の空気に熱いエネルギーが生じていて、私たちはそれを上手にため込んでおくことにした。

私はボーイフレンドができた場合、私の部屋に来てもらうことを好む。―私は自分のベッドで男と寝るのが好きなのだ。―でも、私たちは5回目のデートの時、結局カラムの部屋にしけ込むことにした。彼の部屋の方がブルックリンから近かったから、という理由なのだが、彼の部屋を見てみたい気もした。私がかつて付き合った恋人の中には、『スターウォーズ』のシーツをベッドに被せて、その上で寝ている男もいたし、道端で拾ってきた布団で寝ている男もいた。あるいは、『建築ダイジェスト』とかの雑誌から飛び出したような、お洒落な部屋に住んでいる男もいた。カラムは非営利団体に所属しているグラフィックデザイナーで、ブルックリンらしいクールな服装をしていたから、彼の部屋がスウェーデンの自由主義を推し進めた過激な感じだったりとか、ヒッピーを皮肉った感じだったらどうしよう、と内心思っていた。いざ彼の部屋に入ってみると、そこはホームと呼ぶに相応しい美的センスに満ちた空間だった。「ホーム」という言葉以外に、彼の部屋を形容する言葉は浮かばなかった。住み心地が良さそうな部屋で、乱雑に散らかっていることもなく、快適さ重視で選ばれたらしい家具が並び、何の主張もメッセージも有していなかった。冷蔵庫には絵が飾ってあって、聞けば、彼と彼の弟が子供の頃に描いた絵だという。「ペンギンたちが世界を乗っ取ったんだ」と彼はその絵を説明した。

私たちはお酒を飲み、話をして、それから、二人で交わす言葉に酔い、ワインで幸福感に浸り、いつしかキスを始めた。体を水平に横たえ、二人でベッドの快楽に落ちていった。彼の部屋と同様に、ベッドの寝心地も快適だった。

事が済んだ後、私はしばらく彼の胸に寄りかかるように頬を当てていた。彼は裸の私を抱きしめている。二人の鼓動が満足気に段々と落ち着いていく。私たちを包む空気が微笑むように軽くなり、私たちの会話にも気楽さが滲み出る。

「何か話してくれないか?」と彼は言った。

「何の話?」と私は聞き返す。

「君は作家だろ。何でもいいから適当に話してくれ」

私は体を滑らせて体勢を変え、彼の顔をまじまじと見てから、再び彼にキスした。

「ストーリーを書くことと、ストーリーを話すことは、まるで違う作業なんだ」と私は言った。「私の場合だけど、書くためには、膨大な時間じっと宙を見据える必要があって、実際に書いてる時間なんてのは、比べ物にならないくらい短いよ。私はその場で適当に話を作るのが苦手でさ」

「いいから、やってみて」と彼は、シーツを私たちの肩まで引き上げながら言った。

暗闇の中でも、カラムの瞳が月の光を反射して、キラキラと私を見ているのがわかった。私が彼を好きになった理由の一つは、この目だった。―彼は誰か、凄い人、価値ある人、素晴らしい人を見る時、こういう恍惚感に満ちた目をするのだ。

「じゃあ、王子の名前は何がいい?」気付けば、私はそう言っていた。

「王子?」

「このストーリーの中の王子だよ。まず名前を決めて」

「イサドラ」

私は微笑んだ。「よし。じゃあ、イサドラ王子の住む王国の名前は何にする?」

「ユーフォリア(幸福感に満ちた国)」

私は「昔々」という定番の台詞では物語を始めなかった。べつにそう言ったところで大した違いはないんだろうけど、なんていうか、―これから話すのは未来の話かもしれないし、話す前から制限を付けたくなかったのだ。


私はすぐに彼との肉体関係に溺れてしまうような、切迫した欲求はなかった。「肉体」だけが彼ではなく、総体として、彼はカラムだった。

私たちは日々を一緒に過ごすことで、着々とお互いに近づけるように自分自身を描き直していった。私は通勤の必要はなかったのだが、彼と同じ時間に目覚め、アラームのスヌーズ機能と数十分格闘した後、よろめくようにキッチンにたどり着き、コーヒーで目を覚ました。今日は仕事に行きたくないよ、と弱音をこぼす彼を励まし、玄関で彼を見送る。彼が仕事に出掛けた後、私は自分のノートパソコンの前に座り、何とか紙面の上に形あるものとして立ち上げようとしている世界に、私自身を接続する。私は結局、彼の部屋のキッチンテーブルで小説を書くのが一番はかどった。自分のアパートやカフェなどでは、うまい具合に進まないのだ。午後になると、私は彼の部屋を出て、昼食を食べ、コインランドリーに行き、必要な用事があれば昼間のうちにすべて済ましてしまうことにしていた。そして彼が帰宅し、キッチンを覗き込んだ時には、テーブルに向かい、文字をタイプしたり、じっと宙を見つめている私がいるわけだ。私はしばしば彼に、私が書く1ページ分に相当する有意義な時間を求めた。私が画面の中でどんなシーンにいたとしても、彼がいる優雅な世界に連れ出してほしかった。私はノートパソコンを閉じ、彼が帰ってきたから、また明日ね、という気持ちで、その世界を後にする。私たちは一緒に夕食を作って、彼の今日一日の出来事を聞きながら夕食を食べる。その後、テレビを見たり、たまには映画を見に出掛けたりする。そしてベッドタイムになり、締めくくりはいつもストーリータイムだ。私たちはベッドで疲れ果てたとしても、その後私は何かしら、イサドラ王子とユーフォリアの国について新しいことを彼に話した。時には、短い情報になることもあった。―「ユーフォリア王国ではね、ケンタウロスが国勢調査をやってるんだ。下半身が馬だから、王国中を駆け回れるんだよ」とか。―余力が残っている時には、長めにストーリーを語る夜もあった。私が話している途中で彼が眠りに落ちることが多かったけれど、たまには私が話しながら、言葉と言葉の間に吸い込まれるように眠り込んでしまうこともあった。でも、ほとんどの場合、私は、「今夜はここまで。続きはまた明日のお楽しみに」と言って話を終えた。

「おやすみ、イサドラ王子」とカラムはよく言った。

そして私はこう返すのが常だった。「おやすみ、ユーフォリア」


5ヶ月間、私たちはこんな風に過ごしていた。5ヶ月間は、たやすかった。とはいえ、その間にもちょっとしたいざこざはあったから、当時の私は、その道のりを「たやすい」部類に入るとはまだ判断してはいなかった。その頃、彼の仕事の状況が悪化した。それに呼応するように、私の執筆も思うように捗らなくなり、締め切りに間に合わない事態に陥った。さらに私の仕事は特殊で、原稿料は何ヶ月も経ってからようやく、しかも売れた分だけ支払われるという事実も追い打ちをかけた。他にも理由があって、彼の友達の中に、私の苦手とするタイプが2人くらいいたこと。私の友人の中にも、彼が我慢できないタイプが3人くらいいたことも、拍車をかけた。私はまだ彼の部屋に通うスタイルで、同棲はしていなかった。毎晩一緒に過ごしているのだから、二部屋分の家賃を払っているのは馬鹿馬鹿しいと思う一方で、まだ時期早々ではないかという気がして、同棲しよう、とは言い出せなかった。二人が進んでいる道には、確かに凹凸や苦労があったけれど、進んでいる方向に疑いを抱くことは全くなかった。

そうこうしているうちに5ヶ月が経った頃、物事が悪い方向へ曲がり始めた。私たちを取り巻く物事というよりは、彼を取り巻く物事だった。

始まりはささいな事の連続だった。彼が財布をレストランに置き忘れ、取りに戻ったのだが、財布の中にあったはずの、彼のクレジットカードとデビットカードがなくなっていた。それから彼のパソコンが、何の予兆もなく、突然自分の心臓に剣を突き刺したみたいに、中に保存していたはずの、彼のファイルをすべて消し去ってしまった。さらに彼に課される税金が、彼の予想ではいくらか還付されるはずだったのだが、逆に追加で払うことになった。極め付きは、彼が地下鉄に乗り込んでくる老婦人のためにドアを抑えていたところ、指をガツンとドアに挟まれてしまった。その結果、彼は指に副木を添えるに至り、デザイナーとしての仕事が極めて困難になってしまったのだ。私たちはそういった災難を軽く受け流すように乗り越えようとした。私は夜のストーリータイムで、あえて現実以上にひどい不幸がイサドラ王子に降りかかる展開を語った。―ペンギンの群れが王国に襲来し、穀物をすべて食べつくしてしまったり、クマの大群が襲撃してきて、つまらない漫談をステージ上で繰り広げている連中を片っ端から、至近距離でぶん殴っていったり、イサドラ王子が愛するプリンセスに会いに塔の上まで登り詰めたところ、プリンセスもイサドラ王子を愛しているというのは彼の勘違いで、彼女はリアリティ番組のオーディションのために、自撮り動画を撮影している最中だった、とか。

「可哀想に、イサドラ王子」とカラムは言った。

そして私はこう返した。「でもまあ、もっとひどいタイミングだってあり得たんだ」

私たちはそれについて話し合ったことはなかったのだが、二人とも心のどこかで、運不運は正弦波のようなものだと信じていた。つまり、浮き沈みは一定の間隔で訪れ、不運の次にはちゃんと幸運がやって来るものだ。この道には不幸の谷が多すぎるな、と人生が感知した際には、ちゃんと軌道修正してくれるはずだ、と。

馬鹿みたいに、私たちは二人して、公正さを信じていたわけだ。


午前3時に電話が鳴ったわけではない。電話が来たのは午後3時だったし、カラムは受話器を上げるまで、それが悪い知らせだとは、つゆほども思わなかった。その時、彼は職場にいて、電話をかけてきたのは彼の母親だった。私は彼の部屋で、私の言葉で構築した世界に浸っていた。彼は職場での自分の様子を確認する電話だろう、くらいの軽い気持ちで言葉を待ったのだが、母親はむせび泣いていて、言葉に詰まり、たまらず彼女の姉に受話器を託してしまった。電話口にカラムの叔母さんが出て、彼の弟が事故に遭い、手を尽くしたけれど助からなかったことを告げた。

もし私がどっぷりと世界に入り込むタイプの作家ではなかったら、―つまり、5分に1回くらいインターネットを参照するタイプの作家だったら、―Yahooニュースのラインナップの中に、「マサチューセッツ州の凍った高速道路で、15台の玉突き事故。5人死亡」という1行を目にしていたかもしれない。もしそれを見ていたら、マサチューセッツ州という場所から、一瞬でもカラムの家族のことが頭をよぎったかもしれない。しかし、私はカラムからの電話でこちら側の世界に戻ってきた時、もう夕食の相談をする時間か、と思っただけだった。

電話を切ってから数分で、私はレンタカーを手配し、私とカラムの荷物をまとめた。リンナに付き添われて、カラムが帰ってきた。リンナは「彼をよろしく」と言って、私に彼を託した。二人が部屋に入ってくる時、ちょうど私は彼の喪服をバッグに詰めているところだった。カラムはすでに泣きじゃくっていたけれど、私が手にした喪服を見ると、どっと大粒の涙をこぼして泣き出してしまった。私は彼を慰めようと、彼に近寄ったけれど、かけてあげられる言葉が見つからなかった。いったいどんな慰めの言葉をかけられるというのか? 私は自分の無力さを嘆き、これほどまでにむごい宇宙の摂理に激しく憤った。

ボストンまでの車の中で、私たちは歌詞のない音楽を聴いた。カラムは、歌い手がメロディーに乗せて歌うどんな言葉も受け入れられない状態だったのだ。彼が車の中で話したのは、彼の両親への心配と、それから、彼の亡くなった弟のガールフレンドへの心配だった。私は彼の精神状態が心配だったけれど、なるべく私の気持ちは言わないようにした。会話の主導権は彼が握っていた方が良いと判断した。

その夜、私は彼の子供時代の寝室で、彼と肩を並べて寝た。実質、その瞬間に同棲が始まったといえるだろう。話し合ったわけではなく、みんなに知らせたわけでもなかったけれど、私たちはもう離れては暮らせない存在になっていた。ようやく、私たちはそれを実感した。

電気を消し、長く、ひどい一日を閉じようとした。きっとカラムは暗闇の中で自分の考えを整理したいだろうから、そっとしておこうと思った。けれど、彼は私を引き寄せるように体を寄せてきて、いつも通り、ストーリーを語ってほしい、と言った。こんなに壊れそうな危うい緊張感は微塵もない、気楽さに満ちた普段の夜のように。

私はこれ以上、イサドラ王子をひどい目に遭わせることはできなかった。もっとひどい状況を想像することに耐えられなかった。そうだね、わかってる。想像力はいつでも、もっとひどくもなり得たんだ、と教えてくれる。だけど今は、もっと良くもなり得るんだ、ということを示したかった。

だからその夜、イサドラ王子は初めてボウリングに行き、そしてすぐさま恋に落ちた。


3週間、―どん底の3週間後、―カラムは職を失った。

彼の上司は彼を解雇することに関して、不本意だった。本当に苦渋の選択だったようだが、会計年度がその週で終わるということで、その前に決断する必要があった。カラムだけが人員削減の対象になったわけではない。―その非営利団体は、寄付金が集まらなくなり、従業員を10人ほど削減する必要があったのだ。上司たちは、彼ならフリーランスでもデザインの仕事を続けていける、と言って送り出した。様々な不幸が重なり思考がまひしていた彼は、そう言ってくれる上司に感謝した。

今回は、彼は私に電話してこなかった。彼が帰宅した時、私は段ボールから私の本を取り出して、彼の本棚に並べている最中だった。二日前に私は自分の部屋を解約し、彼の部屋に移り住んでいた。

「ああ、ただいま」と彼は言った。「どうやら俺は仕事をなくしてしまったみたいだよ」

「おかえり。なくしたって、それはかなり大きなものだよね」と私は返した。「最後にどこに置いたか覚えてる?」

彼はにっこりと微笑んで、いつもより多い荷物をどっさりと落とすように、床に置いた。

「俺は君を愛してる」と彼が言った。

「私もあなたを愛してる」と私も彼に言った。

「最悪だ。もう本当にどん底だよ」

「なくしたものを思い続けていたらだめ」と私は彼に言った。「見つけたものに集中しよう」

彼が心の底まで打ちのめされていることは、私にもひしひしと伝わってきた。でも、私まで彼の壊滅的な心象風景の写し鏡になってはいけないと思った。彼が私の表情や仕草を見て、余計にげんなりしてしまうことは避けなければならない。

彼はまだコートを脱いでいなかったので、私は笑顔で自分のコートをつかみ、外出しよう、と言った。そして私たちは二人のお気に入りのバーに行った。彼は強いマティーニを飲みながら、事のいきさつを話してくれた。

「解雇を言い渡してくるタイミングが、なんかすごい絶妙だね」と私は感想を言った。

「たしかに」とカラムは言って、私のグラスに彼のグラスをカチンと軽く当てた。

「私たちならきっと解決策を見出せるよ」と私は言った。あえて「私たち」と言ったことを彼が気付いてくれればいいが。

「俺たちなら大丈夫だな」と彼が答えてくれた。「当分の間は、俺の両親には言わないでおこうと思うんだ」

「それがいいよ。これ以上悲しい知らせを聞かせたら、と思うとね」

カラムは穏やかな眼差しで私を見た。とても優しい目だった。

「ありがとう」と彼が言った。

「何が?」と私は聞いた。

そして彼はこう答えた。「これから俺が君に負わせることすべてに対してだよ。それに耐えてくれてありがとう」


私たちは、通常ならポケットに残らなかったはずのお金を使った。二人で生活することで生活費を浮かしたお金だ。毎日晩酌するのをやめて貯めたお金でもあり、禁煙して貯まったお金でもある。私はそのお金で彼に新しいパソコンを買い、就職面接に着て行く彼のスーツも買った。

最初は、二人が日中家にそろって居るのは新鮮で、週末が延長したようだった。しかし段々と、滞在期間を過ぎてもホテルに居残っているような空気感が漂い出した。彼もいたたまれなくなったのか、美術館や映画館で時間を潰してくるよ、と言い出すようになった。今は二人の部屋だとはいえ、元は彼のアパートメントだったわけだし、私は彼を追い出すような真似はしたくなかった。それで私はノートパソコンを抱えて、図書館やカフェで仕事をすることにした。1ヶ月間、家政夫として家事をやってくれるなら、という条件付きで、友人の部屋を使わせてもらったりもした。

カラムの一日が長くなると、私の一日も長くなったように感じた。私はどこにいても、彼の焦りや、彼の無力さが自分のことのように気になるようになった。ふと気付くと、いつしか彼の現実が、私が仕事で書いているフィクションに入り込んでくるようになっていた。彼への愛情や、心配や、欲求不満から始める形で、私は小説を書いてしまうのだ。そうすると彼が書いた脚本を脚色している気分になった。どうにか私は語り部の地位を奪還したかった。なんとか話の主導権を私の側に戻したかったのだが、ハッピーエンドに導こうとしても、見えない彼の腕に引っ張られた。自分の側に戻せないのならと、せめて私は登場人物たちに全権を託すことにした。

現実が介入してこなかった場所、それは夜のベッドだった。そこで私は、イサドラ王子の試練と勝利の物語を上映し続けた。山々はイサドラ王子の意志に屈し、ドラゴンが彼の道程からほとばしるように飛び立った。お偉いさんたちが鉛筆を落とし、サルがそれらを拾い集め、お偉いさんの栄誉をたたえて、黄色い木の家を作ろうとした。

カラムが不幸であることはわかっていたし、また、不幸の原因が私ではないことも知っていた。だから私は最善を尽くして、できる限りのことをした。救命ボートを見つけ、その中に言葉を吹き込んでふくらませた。よくある慰めの言葉も言った。きっともうすぐ良くなるよ。仕事も見つかるし、こんな状況はすぐに終わる。悲しみに飲み込まれて、茫然と立ち止まっていてはだめ。動き続けることで、きっと現状は打破できるから、と。私は彼に別のアプローチも続けた。真夜中のストーリータイムだ。幻想的なフィクションを描き出すことで、さまよえる心の避難所を作ろうとした。ゼロから何かを創り出す行為から生じる喜びも相まって、さらに幻想度が増した。言葉は私にとって創造の道具だった。そして、ようやくわかったのだが、愛は継続することで創造を生むのだ。ちょうど創造が、愛の営みに限りなく近い行為であるのと同じように。


常に消えることのない罪悪感があった。彼は私なんかよりずっといい人なのだから、彼の人生はもっと生きやすい道であるべきだ。近くで見ているこっちだってつらいのだ。というか、悲惨なことを実際に体験するより、体験している人を間近で見て、自分のことのように追体験する方が大変だ、と言いたいくらいだ。でもまあ、それは言い過ぎだろう。どちらにも痛みは伴うが、やはりその渦中にいる彼の方が気苦労が絶えないはずだから。

困難っていうのはね、と人々は私たち二人に言うだろう。死なない程度の困難っていうのは、人間を強くしてくれるんだ、と。

しかし、それは間違っている。死なない程度の困難は、人間を弱くもするし、傷つきやすくも、悲しくもするのだ。もちろん生き延びたのは、生きる力があったからだ。生きている限り、心の奥底から生命力は湧き出てくる。ただ、生命力があるからといって、絶望が消えるわけではない。

カラムが、この街を出て行く、と言い出した。すべてをこの街のせいにしてしまいそうだから、と。彼は私も一緒に都会から田舎に引っ込むことを前提に話している。けれど、私の人生はこの街にあった。私が彼を愛していることに変わりはないが、私の残りの人生をなげうってまで、彼に付いて行けるかどうかはわからない。

私たちの間にピリピリした緊張感が生じ始め、私たちは二人とも張り詰めたムードとうまく付き合うことができずに、ほどなくして口論が勃発した。夕食を食べながら、私たちは将来をめぐって一戦を交えることとなった。私が彼に、この街を離れるとかいって、単に逃げてるだけじゃないか、と言うと、彼は私に、君には俺の気持ちなんかわからないよ。俺がどれだけ苦しんでいるか君にわかるわけがない。いろんな事がこんなにもうまくいかないなんてな、と言った。

「あなたのせいじゃないでしょ。あなたは何も間違ったことをしてないんだし」と私は彼をなだめようとした。

「俺がこの街にいると、これからも同じ穴に落ち続けることになる」と彼は言った。「俺はこの街の格好の餌食なんだよ。目の前に穴がある、と見えていても、俺はそこに滑り落ちてしまう。この街は俺にとって、奈落の底なんだよ」

かつて彼の顔に花火にようにパッと咲いたきらめきは、今では別物の大火に変わってしまった。彼の精神のともし火が消え失せたということではなく、今でもしっかり燃えてはいたが、炎の質が変わってしまったのだ。周りに牙をむく炎へと。

「私たちはきっと何か解決策を見つけられる」と私は言った。「あなたは自分が思っているほど深くまで、奈落の底に落ちてしまったわけじゃない」

「もっと深い底があるなんて、これ以上悪くなるなんて思いたくないんだよ」と彼は言った。「この一年は災難続きだったな」そこで彼は、一年を振り返るように、間を置いた。「唯一、君と出会えたことだけは、災難じゃないな」

「たしかに」と私は言わざるを得ない。「そんなささいな出来事は災難にもならないね」

「そういう意味で言ったんじゃない。わかってるだろ?」

もちろんわかっていた。わかってる、と実際に声に出して彼に言ったのだが、その言葉はどこにも着地できずに、いつまでもふわふわと、夕食の上を漂っていた。

夕食が終わると、彼は寝室に行ってパソコンに向かい、彼のウェブサイトをいじっていた。私はそのままキッチンに残り、ノートパソコンを開くと、表向きは、書きかけの小説に取り掛かった。でも、実際私の頭の中は混乱をきたし、スクリーンに打ち付けるべき言葉はどうしても浮かんで来ず、彼に関する言葉ばかりがとめどなく溢れてきた。

私はいったい何が言いたいのだろう? と、画面上で登場人物が自問を繰り返していた。

登場人物に言葉を与えることができるのは、私だけだとわかっていた。わかっていても、私の頭の中は真っ白だった。


私はカラムに何を言えばいいのかわからなくて、インターネットで色々なウェブサイトを見て回りながら時間を潰した。大体1時間が過ぎた頃、ようやく私は寝室に向かった。私が寝室に入ってきても、彼は振り返らずに、画面上に開いたいくつかのウィンドウに集中していた。私は再び部屋を出たくはなかったし、かといってふらふらと彼の背後を歩き回っているのもどうかと思い、黙ってベッドに入ると、目を閉じた。彼のタイピングの音はしばらく続いた。それから音が止み、彼が椅子から立ち上がるのが聞こえ、ベッドが彼の重みにしなるのを感じた。彼が私の横に潜り込んできたのだ。

「カラム、―」と私から口を開いた。私は彼に謝ろうとした。なぜ私が謝るのか、自分でもわからなかったけれど、謝らないといけない気がした。

「それ以上言わなくていいよ」と彼が言った。「ストーリーだけ話してほしい」

だから私たちはストーリーが好きなのだ。幼い頃から私たちは色々な物語が大好きだった。物語の中では、悪いことはいつまでも続かない。そして究極的には、それは人生にも当てはまる。ストーリーを愛せれば、人生も愛することができるのだ。―なぜなら、人生においても、悪いことはいつまでも続かないし、最初の衝撃から時が経てば、やがて苦悩も薄れていく。よく注意を払って聞けば、物語はそのことを教えてくれる。

私はカラムに、直接的な表現では、これを言わなかった。その代わり、イサドラ王子はその夜、12の異なる王国を旅した。幾度となく彼は、もうユーフォリアの故郷に帰れないのではないか、と絶望的な気持ちになった。嵐が荒れ狂い、海の妖精の甘い誘惑に座礁しかけ、モンスターが襲ってきた。疑念と悲しみがイサドラ王子の心を何度もむしばんだ。それでもそのたびに、彼は挽回したのだ。

話し合いが必要な時もあるし、会話が必要な時もある。言葉をうまく介在させて、物事を解決に導かなければならない時もあるだろう。しかし、不幸のどん底で、二人ただ黙って、夜空を見上げることしかできない時だってある。自分の心の奥深くまで潜り、自分自身の本質をさらけ出し、上空を通過する、まばゆいばかりにきらめく言葉の数々を、二人で思い浮かべた物語を、その儚いからこその美しさを、二人肩を並べて、ただ見上げている。

明け方の3時まで、私たちは自分たちの物語の中にいた。果てしなく広がる海の上、救命ボートに乗った二人の成人男性は、まだ衣服を身にまとっている。お互いの温もりを感じながら、二人は身を寄せ合っている。ボートは波に揺られ、少しずつ進んでいる。前へ、前へと、やがてたどり着くはずの、居心地の良い浜辺に向かって。





〔感想〕(2020年6月20日)


私はいったい何が言いたいのだろう? と、画面上で登場人物が自問を繰り返していた。」


この「画面上」に映し出されていた物語は、この短編小説『ストーリータイム』でしょう!

そう考えると、物語と現実の狭間で揺れる作者の心情が浮き彫りになってくる。

「愛は創造で、創造は愛の営みだ」みたいな、藍も「ん?」と首をかしげてしまうような抽象的な言葉を紡ぎながら、少しずつ、二人の関係(救命ボート)を前に進めようとしているのでしょう。


抽象的な言い回しが随所に散りばめられているとはいえ、

ストーリーは至ってシンプルで、


失恋の痛手を引きずって、外にも出たくないとうじうじしていたら、友達にボウリングに誘われ、そこで新たな出会いがあり、付き合い始めたはいいけれど、その恋人に次々と不幸が押し寄せ...←え、これって私と付き合い始めたせい? 私って疫病神? 謝った方がいいかしら...←謝らなくていいよ!


というお話です。



最近のヒット曲『失恋、ありがとう』の歌詞。←え、それってヒット曲?笑←じゃあ、言い換えて、藍の心にヒットした曲『失恋、ありがとう』の歌詞。


失恋、ありがとう 強がって言わせて

さあ前を向いたら ゆっくり忘れよう


失恋、バカヤロー 忘れられるわけない

ホントは ホントは 今でも大好きだ



藍の失恋を思い出してみた。いっぱいあり過ぎて、ここには書き切れない...泣


city(都会)からescape(脱出)する、とカラムが言い出して、二人はこれからどうするんでしょうね? 二人で一緒にいられればいいのか、それとも都会にいることが大切なのか?


藍の場合、実は都会に住んだことがないので、わかりません...笑

埼玉県(の東京から遠い市)で育ち、札幌は、地下鉄も走ってるし、藍が育った市よりは都会だったけれど、高校まで自転車を漕いで通学していたから、地下鉄に乗って通学するとか新鮮だったとはいえ、東京に比べると、都会でもないんでしょう。

ゆえに、都会から脱出したい、したくないの二択にぶち当たったことがないので、その辺の心境はわかりません。笑笑


あとは、ボウリング場の音楽ですね!

この作者デイヴィッド・レヴィサンと藍は、あまり歳が違わないので、(藍の方が若干若いけど、)

記憶のツボというか、脳髄に響くスポットが似ていて、

藍も中学生の頃、ボウリングに結構行っていて、普段ウォークマンのイヤホンで聴いていた音楽が、ボウリング場全体に大音量で流れると、「あ!」と思って、テンションが上がったな~!と懐かしくなりました。

その場にいる人全員が、隣のレーンで投げている見知らぬ人も含めて、同じ曲を共有しているっていうのがいいんだよね♪「失恋~ありがと~♪」←それ、君が中学時代の曲なの?爆笑




トラック 8

より優れた書き手


ここに本当の話は含まれていない。―とはいえ、誰かを好きになる時ってこんな感じじゃないかな? あるいは、ここに一つの物語を読み取れるかもしれないが、それは当時の私がその中を生きていると思っていた物語とは別物である。時が経ってから振り返ってみると、違う物語に見えるというのも、恋していた人あるあるだね。

私は大学の新入生で、小説の創作講座を取った。結局、後にも先にも創作講座を受けたのは、唯一この時だけとなった。まあ、それはどうでもいい。その講座は一定の水準を満たさないと履修できない科目で、私は1年の後期に早々と取ることができ、その点は誇らしかった。クラスの他の人たちは、ほとんどが私より年上で、その中にジェイミー・ウォーカーがいた。

ジェイミー・ウォーカーは、私が生まれた町の出身だった。私はその後すぐ1歳の頃、2つほど町を隔てた場所に引っ越し、(大学まで)そこで暮らしていた。彼はくるくるとしたこげ茶色の巻き毛が印象的で、身長は私と同じくらいだった。彼の目の色は思い出せないが、彼の瞳にきらめく光が浮かんでいたことは、はっきりと覚えている。そのきらめきは、人生に没頭している人の目がよく放っている輝きである。私の好みをいえば、色気に満ちたホットなタイプよりも、可愛いらしいキュートなタイプに弱いのだが、彼はまさにキュートだった。少なくとも私の記憶の中では、彼は私好みのキュートな少年である。今すぐにでも本棚から「facebook」(小文字の「f」で始まる、実体のある紙のアルバム「facebook」)を引っ張り出して、当時の彼の顔写真を見ることはできる。しかし、彼よりはるかに年上になってしまった今の私が、当時の彼を見るのは、やはり違う気がする。当時は2歳しか離れていない彼が、私の目にはずっと年上の大人に見えたのだ。今になって、そのアンバランスな印象を変えたくはないし、当時の彼のまま、記憶の中に留めておきたい。たとえそれが漠然とした記憶でも、ひょっとしたら記憶違いだったとしても、彼が実際にどういう人であったかよりも、私にとって彼はどんな人だったのか、その方がはるかに重要なのだ。

当時は1991年だった。―これは書いておくべきだろう。電子メールが登場する前、シチュエーションコメディの傑作『エレン』もまだ放送前、パソコンの電源を入れて、画面越しに世界を見るなんてことは、まだ誰もしていない年だった。私個人としても、まだ私がゲイだと認識する前のことで、今では男とのキスは、したくてするものだが、当時はまだ、不意の衝突として唇が当たってしまった程度のものだった。その時は、私は自分を作家だとは思っていなかったし、作家だと名乗れるような、真の意味での良い作品もまだ書けてはいなかった。

創作講座は図書館で幕を開けた。「図書館」という響きからは、本に囲まれ、ロマンに溢れた空間という印象を受けるかもしれないが、当時建てられて間もなかった、そのモダンな図書館は、四方をコンクリートに囲まれ、なんだか心が息苦しくなるようだった。講師として私たちを指導したのは、大学院でMFAを修得中の学生だった。彼女は当時から現在に至るまで、私が調べたところ、どんな出版物も何一つ書いていないようだ。彼女の指導方針は、気の利いたことが言えないのなら、何も言うな、という感じだった。だからなのか、私たちがちりぢりになって文献を探している間、彼女は何も言わず、ただ黙って見守っていた。

講師の厳しい統制が敷かれない場合、創作講座はさまざまな具材が煮えたぎる鍋のような状態と化す。傷ついた感情を書く者、熾烈な野心を書く者、束縛を解かれ抑えが利かなくなった防衛本能を書く者、そして三流の群れには希薄な仲間意識ができ、仲間に入れたことを誇らしく思う者たち。まさに初日から、誰もが仲間を見つけようとする。それから徐々に、第三者の批評が入って来たりして、自分の仲間への忠誠心を顧みることになるわけだ。そのクラスにいた他の人たちについては、あまり覚えていない。―独特な構文でSF小説を書く男がいた。彼はすべての登場人物の名前に「z」の文字を入れ、それを読者に気付かせるためか、「z」だけ字体を変えていた。それから、失恋の話を書いている女子もいた。ひどい別れ方だったから、彼って冷たいね、とか、相手への思いやりがないね、みたいなことを私が指摘したら、彼女は急に泣き出してしまった。(その時、私はとても貴重な教訓を学んだ:失恋話を批評する場合、念のため、筆者の実体験だと思ってコメントした方がいい。)そういえば、私の短編にしつこくいちゃもんをつけてきた男もいたな。私が書いた登場人物が、ミシガン州の長い道路をドライブしながら、フォルクスワーゲンを見つけようとしたシーンだ。彼は「なんでフォルクスワーゲンなんだ?」と、少なくとも5分間私を問い詰めてきた。車種に深い意味はないと説明しても、彼は信じようとしなかった。

私はその男がどんな外見だったのかは思い出せないが、その時期、段々と気候が暖かくなってきて、春がやって来つつあり、ジェイミー・ウォーカーがVネックのシャツを着ていた、ということは鮮烈な記憶として覚えている。下着を、しかもVネックの下着を、普段着として着ている男を見たのは、たしか初めてだったと思う。その時にはすでに、私は彼に恋心を抱いていたんだと思う。そうでなかったら、Vネックを見た私は、うわっマジかよ、と引いてしまっただろう。逆に私は、彼の首筋を見つめていた。誰かの首を見たことなんてそれまで一度もなかったのに、ふと気付くと、じっくり彼の首を観察している自分がいた。首の下の空間に気を取られたことなどなかった私が、突然そこが気になるようになっていたのだ。私自身の胸はすでに毛むくじゃらで、世界に向けて公開したいなんて気持ちはまるでなかった。しかし、彼のV字の谷底に少し顔を出すほつれ毛は、彼のあごに生えた無精ひげの余韻のようで、私の好奇心をビリビリと刺激し、私は満タンに充電されたみたいに居ても立っても居られなくなった。一方で、戸惑いを覚える自分もいた。私は彼のV型の空間に触れたいのだろうか? そのVを指でたどりたいというのか? あるいは単に、私自身も彼みたいな体になりたいだけか? 彼が魅力的だと感じているのか、それとも、私自身も魅力的になりたいと思っているのか、その辺の判断がつかなかった。というのも、ざっくりと開いた胸元は、セクシーであると同時に、私に欠けている開放性を示してもいたから。

私たちはお互いの短編小説が好きだった。それは早い段階から明らかで、私の作品に対するみんなの批評が私の手元に戻ってくると、私は真っ先に彼の筆跡を探したものだ。私たちは隣同士で座ることもよくあったし、大体は近くに座って授業を受け、授業が終わると、二人で会話しながら図書館を出た。ただ、図書館の階段を下りきると、じゃあまた、と言い合って、別々の方向へ歩いていくのだった。

私は彼について、色々なことを忘れてしまったのかもしれない。(失恋が無期限のカタログにしまわれ、いつまでも残り続けるのとは逆に、ときめきの記憶というのは、極めて有限なものだから。)だが、ある日、講師が珍しく課題を出してきて、私たちは驚いたのを覚えている。クラスの誰か他の人と作品を交換し、脱構築の手法で書き換えなさい、という課題だった。相手の詩を物語に変えてみたり、あるいは逆に、物語を詩に変換したりといったやり方だ。私たちは自由にパートナーを選ぶように言われ、ジェイミーが私を選んでくれた。

翌週、私たちは物語を交換した。紙ではなく、電子的な交換だった。―当時はフロッピーディスクに入れて、それを交換した。彼からディスクを受け取ると、私は待ち遠しい気持ちで放課後まで過ごし、それから寮の部屋へ戻って、それを読んだ。彼の小説を読んでいる時、私は一人きりだった。―これははっきりと覚えている。私のルームメートはどこかへ出掛けていた。私は緊張しつつも、興奮していた。―「緊張」と「興奮」、この二つの言葉は、片思いの心情を表すのに最もふさわしい。―私がジェイミーに渡したストーリーは、ある家族の話だった。祖父が暴君タイプで、孫は祖父のご機嫌を取って期待に応えようとするのにうんざりしていた。ある日、猟銃を持って狩りに出た二人だったが、誤って、孫が祖父を撃ち殺してしまった。私としては、まずまずの出来ばえに満足していた。私が書くフィクションのほとんどがそうであるように、この話も完全に架空の物語で、自分の人生における実際の機微があちこちに散りばめられている、なんてことはなかった。一方、ジェイミーが書く物語は、私が思い出せる限りでは、大体、馬鹿なことをしでかす大学生の話だった。友情の話とか、恋愛の話とか、あるいは、友情と恋愛がもつれる話とか。私は彼に恋愛話をどんどん書いてきて欲しかった。この話を最初に読むのは私だということを、彼は知りながらこれを書いたんだと思うと、なんだか胸躍る心地がした。

彼の物語は平凡な日常風景から始まった。二人の男子高校生が部屋で『七人の弁護士』を見ている。『七人の弁護士』は、当時テレビで人気を博したドラマの一つで...たしか、ロサンゼルスを舞台に活躍する弁護士集団の話だった。彼らは空回りしつつも、時にコミカルに問題を解決し、裁判では常に勝訴を勝ち取った。彼らは皆セクシーではあった。1980年代特有の、―あのこんもりとした髪型、鍛え上げられた肉体、ボディービルダーほどではないが、彼らの腹筋はしっかり割れていた。とはいえ、私のタイプではなかった。私はリヴァー・フェニックスをこよなく愛していたから。あと他に挙げるとすれば、キアヌ・リーブスもそれなりに好きなタイプだった。

ストーリーに戻って、『七人の弁護士』を見ていた二人の高校生の間には、緊張感が漂っていた。―それはロマンチックな緊張感で、恋愛に発展しそうな雰囲気もあった。それから、パッと場面が転換し、『七人の弁護士』のあるエピソードが描出される。二人の男性弁護士が口論をしているが、なぜか、彼らの間にもロマンチックな緊張感が漂っていた。今にも喧嘩になるんじゃないかと思った瞬間、急に二人が抱き合い始め、私は読みながら目を丸くしてしまう。『七人』の中の、ジミー・スミッツとコービン・バーンセンだったと思う。あるいは、ジミー・スミッツとブレア・アンダーウッドだったかもしれない。どちらだったかは思い出せないが、二人が突然服を脱ぎ出し、ベルトを外した。ズボンがするりと下に落ちる。そして、お互いが欲しくて欲しくてたまらなかったみたいに、二人は猛烈な勢いで抱き締め合った。それから熱い熱いキスを交わす。片思いが相思相愛に転じた瞬間の、本物のキスだった。

私はそれまでに何百冊もの本を読んできた。何百ものストーリーをくぐり抜けてきたつもりだった。私の本棚には、ジャッキー・コリンズ、ナンシー・フライデー、ケン・フォレットといった、セックスシーンに開放的な作家の本も並んでいて、私はしばしばそういう、様々な角度から性に迫る本を開いては、物思いに耽っていた。それなのに、それらの本は何の心の準備にもなっていなかった。彼の小説には、実際に誰かが首元で吐息を吹きかけてくるような、その誰かの手が現実に腕をさすってきて、ズボンの一番上のボタンを外される、そんなリアルさがあったのだ。文字で書かれた言葉がこれほどのセンセーションを放つことが可能だとは、それまで知らなかった。物語を通してでも、ハードなキスの実感や、温かい体の質感、しなやかな指の感触を伝えられることを初めて知った。上手く書けば、言葉で力学的なシステムを構築できることはわかっていたけれど、ここまで激しい衝撃を放てるとは思っていなかった。彼の小説の登場人物たちは、私の目の前で、―掴み合い、求め合い、絡み合い、それから、ふっと力を抜いて体を引き離した。彼らがそこにいる、と私は信じてしまった。そこは他者の認識の及ばない場所だったが、私には彼らの声がますますはっきりと聞こえた。彼らになりたいと思っている自分がいた。私も彼らみたいに、ほとばしるような恋の体験がしたかった。

私は課題をこなすことができなくなっていた。どうしてもそのストーリーを変えたくなかったからだ。まあ、単語を一つ二つ、ちょこちょこと校正するくらいはしたけれど、脱構築なんてできるはずもなかった。アレンジし直したり、改編したり、内容を他の形式に移したりといったことは、どうやっても不可能だった。やろうとはした。物語を後ろから逆再生してみたり、フレームを反転させたり、試行錯誤はしたけれど、結局無理だった。その作品はもうすでに、あるべき姿になっていたのだ。

ジェイミー、君はそっち側の世界にいるのかい? なぜ君は私にこの話を書いてよこしたんだ? もしかして、私にもそういう素質があると察したのか? 私がまだそのことに気付いていないだけだって、目覚めさせようとしたっていうのか? これって私を誘っているのか、あるいは、誘惑以上の意味があるのか? それとも、この課題が出る前からこのストーリーを書いていて、その日にたまたまパソコンの画面上にあったから、この話にしたってだけか? 課題が出た日の夜、テレビをつけたら、たまたま『七人の弁護士』がやっていて、見ているうちに、これを題材に使おうと思い付いただけで、誰が最初にこれを読むかなんて、気にもしていなかったのか? 君はこの小説を通して、私に個人的に何か伝えたいことがあるのか? それとも単に、私を含めた一般読者に伝えたいことがあるだけか?

私が聞きたかったそれらのことを、私はメモ書きとして、彼の文章の下に書き込んだ。次の授業で彼にそれを手渡すと、私のメモ書きを見た彼は、にっこりと微笑んで、授業が終わったら話そう、と言った。それから授業が終わるまでの1時間は、ひたすらそわそわしていた。女子たちが、血にまみれた鮮烈な詩を読み上げていた。SF少年は、ザイファーとザズローが旅を続ける時空について説明していた。彼らは、残忍な魔王ザートラから、恐ろしい鉱物ジロンを奪い取り、なんとしてでも宇宙の連続体に迫る危機を回避したいそうだ。その間にも私たちの期待感はどんどん膨らんでいき、期待以上の確信へと変わっていった。いつしか緊張感も相手を欲する思いへと凝縮し、授業が終わる頃には、私たちはお互いのことしか考えられなくなっていた。授業が終わるとすぐに、私たちは言葉も交わすことなく、お互いがお互いを引き連れるようにして、図書館の奥へと向かった。私たちが入ったのは「キャレル」と呼ばれる自習用の閲覧室だった。ドアを閉め、他の学生たちの気配が消えると、私たちは何の前置きもなく、キスをした。そうして私は、今までずっと見つめてきた彼の首元に触れた。ようやくVネックに触れられた。V字を崩すように手を入れ、彼の胸をまさぐる。その間、彼の手は私の背中を這うように下がっていった。私はお尻をつかまれ、思わず、あえぎ声を上げてしまう。やっと私は、欲しかったものを手に入れることができた。彼の胸に顔をうずめながら、歓喜の声を必死で抑えていた。私が無意識で探していたものは、これだったんだ。単に彼を求めていたのではなく、この全身を覆い包む感覚すべてを求めていたんだ。そう思い至り、私は感動の涙さえ流していた。それを見た彼は、指で私の涙を拭うと、おもむろに深く長いキスをした。キスは段々と馴染んできて、心地よさが増していく。ああ、キスをしているんだ、と認識できるようになった頃、彼がクスクスと笑って、ささやくように言った。シー、声出しすぎ。すべては冗談だと言わんばかりの彼の笑顔に、それでいて、「オールOK」だと、すべてを肯定してくれるような彼の笑顔に、私は思わず、もう一度キスしてしまう。それから彼の手を取り、キャレルを後にした。私たちは一緒に夕食を食べ、手をつないで夜の街を歩いた。遅くまで話をし、それから一緒に寝た。翌朝目を覚ました私たちは、同じベッドにいるのが当然のように、「おはよう」と言った。

あの時メモ書きをしておけば、そうなったかもしれない。しかし、私は彼の文章の下にそんなメモ書きはしなかった。―少なくとも、そんなことは書き込まなかった。そのストーリーがどれほど気に入ったかを素直に書いたかどうかさえ覚えていない。もしかすると、「この文章を短く切り詰めて、詩にするのは難し過ぎる」みたいなことを書いただけだったような気もする。一方彼は、15ページほどあった私の短編小説を、見事に3ページ程度に脱構築して返してきた。私たちはお互いの作品から、フレーズを引っ張り出しては、意味が無限に広がるような散文詩を即興で作り合った。そういえば彼は、私が彼の作品の中でちょこちょこと校正した箇所を引き合いに出して、褒めてくれたっけ。私は編集者向きってことか。

結局、授業以外で彼と会うことは一度もなかった。年末が近づいてきた頃、私たちの大学で発行している新聞が、2ページに渡って、大学で開催された〈性の多様性をめぐるスピーチコンテスト〉の特集記事を掲載した。私は大学新聞の編集に携わっていたので確かに覚えているが、そこに、壇上で演説する彼の写真が何枚か載っていた。彼はオードリー・ヘップバーンが映画で着ていた感じの、(私の記憶が正確なら)ノースリーブのドレスに身を包んでいた。彼が性的少数者の思いを訴えていた夜、私は、まず間違いなく、フランネルのチェックのシャツに身を包み、寮のルームメイトと、テレビで『ツイン・ピークス』を見ながら、おちゃらけ合っていた。ジェイミーと私は別々のやり方で、大学生活を満喫していたわけだ。

私は他のライティング講座を受講したことは一度もなかった。だから、彼がきっかけだと思う。それから私のフィクションには、ゲイが登場するようになった。ある作品では、自分がゲイだと自覚のある登場人物が、また別の作品では、自覚のない登場人物が現れ出した。私が意図してゲイの登場人物を書くこともあれば、私は全く意識していなかったのに、書き上がった小説を読み返してみると、彼はもしかしたらゲイなのかもしれない、と後から気付くこともあった。

遠くから眺めてときめくことと、恋愛には違いがある。一歩踏み出し実行に移せるかどうか、メモ書きに思いの丈を書き込めるかどうかで決まる。今の私なら、メモ書きに聞きたいことを率直に書いたことにして、ジェイミーと私が一緒にいたかもしれない世界を書くこともできる。つまり過去を修正できるわけだ。しかし、そうやって創り出した世界は、当時の私があれこれ思い悩みながら暮らしていた世界とは違う。

儚く散った恋なんていうものは、往々にして、次の恋ではうまく関係を築けるようにしよう、という手がかりしか得られないものだが、ジェイミー・ウォーカーからは、少しだけそれ以上のものをもらった。彼は意図していたのかいないのか、―きっと意図していなかったのだろうが、―彼のお陰で、私の作家としての腕は上がった。いわば彼が、私をより優れた書き手にしてくれたのだ。少なくとも、私の中のある部分を探り当て、切り開いてくれたのは彼だ。いずれ残りの部分も、連鎖的に開かれていくだろう。






〔感想〕(2020年6月29日)


「文字で書かれた言葉がこれほどのセンセーションを放つことが可能だとは、それまで知らなかった。」


強烈なセンセーションを、藍も今まで何度も受けてきた。デイヴィッド・レヴィサンとレイチェル・コーンの共著『ダッシュとリリーの冒険の書』からも受けたし、最近では伊坂幸太郎の『逆ソクラテス』からも受けた。


藍は天才作家たちが書いた文章を見つめながら、まるで手の届かないテレビ画面で日本代表のバスケットボール選手が、高度な技でするりと強豪国の相手選手をかわし、試合終了とほぼ同時に逆転勝ちするのを目の当たりにしたような、感慨になる...涙

気づけば、藍は泣いている...


藍は天才作家たちが、どのような練習を積み重ねてきたのか知る由もない。ウィキペディアにも書かれていない。練習方法は、試行錯誤しながら自分で開発していくしかないのだろう。


そして、そんなセンセーションは、藍の中でインスピレーションに変わる。充電されて電気満タンの青色ランプが点灯しているLEDライトみたいに、藍も書ける! とやる気に満ちるのだ!!!(なるべくなら、パクリになりませんように...爆笑)




トラック 9

8曲の回想録


僕が最も覚えているのは、もうすぐ曲が終わっちゃう、と慌てて台所に駆け込み、録音中のダブルカセットデッキの一時停止ボタンを押していた時のことだ。

何も懐かしさに浸って、キラキラ煌めくようなあの頂を回想しようというつもりはないが、あの頃を思い返すたびに、結局僕はノスタルジアに浸ってしまう。―僕は別の部屋で手紙に1曲ずつ曲名を書き込みながら、静かな台所でオリジナルのアルバムを作ろうと録音している。トーリ・エイモスが『Silent All These Years』を歌っている4分12秒の間、カセットカバーに写真を貼ったり、水彩絵の具で淡く滲ませたり、油性ペンで曲名を書いたり、そういったことをしていてもよかったのだが、滑らかなピアノの前奏の後、彼女の語りかけてくるような歌声が聞こえ始めると、僕は手を止めてしまった。そして彼女が「Don’t look up—the sky is falling(上を向くな―空が降ってきているから)」と歌うと、思わず、窓の外の空を見上げてしまう。彼女がこの部分を歌う時、僕は必ず空を見上げてしまうのだ。僕は意識を集中し、台所から聞こえてくる彼女の歌声に聴き入っている。手紙の相手はこの曲をどのように受け止めるだろうか、と思いながら。

頭にはそれしかなかった...

やばい。突然しゃっくりのような焦りが脳裏をよぎる。

その曲がもうすぐ終わろうとしている。僕はまだ別の部屋で窓の外を見上げている。1曲ごとに一時停止ボタンを押し、左側のカセットを他の曲に入れ替えなければならない。

僕は本能のおもむくままに駆け出す。―台所の一歩手前で速度を緩め、なるべく音を立てないように、かつ急ぎながら空中を泳ぐように、手を伸ばし、次の曲が始まってしまう前に、一時停止ボタンを押す。(もし失敗したら? もちろん何度も失敗した。間違って違うボタンを押してしまうと、カチャッという音が録音されてしまったり、「しまった」という僕の声も録音されてしまったりする。そういう時は巻き戻して、初めから録り直すしかない。)

この苦労を我がことのようにわかってくれる人も中にはいるかもしれないが、多くの人には伝わらないだろう。だけど、こういう手間こそが、他のどんなことよりも、僕をノスタルジックな気分にさせてくれるのだ。


CDがカセットテープに取って代わり、ほとんどの人が〈ディスクマン〉に切り替えてからも、僕は長らく〈ウォークマン〉を使い続けた。(iPodの出現はまだ、かすかな光さえ見えず、SFの産物ともいえる絵空事だった。)

職場には、「カセットテープの墓場」と呼べる倉庫があった。〈コロンビアハウス〉から毎月送られてきたカセットテープが山のように置かれている。もう聴かなくなったテープや、あるいは、一度も聴かずに「墓場」に直行したテープもたくさんある。(毎月定期的に新譜やお勧めのカセットが勝手に送られてくるシステムだったのだが、面倒で定期配送を解約もせず、ほったらかしておいたから、こんな状態になったのだ。)

ただ、僕は「カセットテープの墓場」が大好きだった。コーラスグループのウィルソン・フィリップスが、ロックバンドのR.E.M.やトーキング・ヘッズと意図せずして一緒くたに並べられている唯一の場所だったし、トンプソン・ツインズとティル・チューズデイの髪型を並べて比べられる場所でもあったから。それから、職場でクリスマスカードの交換会をやる時に流す、僕の上司が好きだったレゲエ調のクリスマス曲集が入ったテープも、そこに保管されていた。その上司が退職した後、墓場の管理を引き継いだのは僕だった。僕は数ヶ月前まで、その墓場を一切いじることなく、そのままの状態にしておいたのだが、オフィスごと引っ越すことになり、新しいオフィスは整理棚を置くには極めて不便な造りをしていて、結局カセットテープの多くを捨てることになった。しかし僕は、ある程度のテープは残しておくように主張した。再生可能な機器は職場にはなかったけれど、中にはそれ自体が本質的に価値のあるものも含まれていたし、1987年からテレビやラジオで見聞きしたヒット曲のコレクションがいつでも手の届く場所に並んでいるというのは、少なくとも僕の魂には癒しだった。

「カセットテープの墓場」には市販のものが並んでいて、オリジナルのミックステープはあるはずもないと思っていたのだが、仕分けするように片付けている時、一つだけ紛れ込んでいるのを発見した。ラベルには僕の筆跡でこう書かれていて、それを見た瞬間、大爆笑してしまった。


Dread and Yearning(恐れと憧れ)


いかにも思春期って感じのタイトルで、だからこそ、その誠実さが胸を打つようでもあり、なぜか笑ってしまう。(そういえば大学時代、お気に入りの曲を集めて、Beautiful Desolation(美しき荒廃)というタイトルのミックステープも作ったな。このDread and Yearningは、その後の第二弾ミックスだった気がする。)

とはいえ、実際にこのミックスを作っていた時のことは思い出せなかった。カセットを裏返してみたが、片面しか録音しなかったようで、B面にはラベルも貼られていない。それで最初、中には何曲入っているのかもわからなかった。しかし今、バレンタインデーが近づいてきた日曜日の夜、外では雨が降っている中、いよいよ中身を聴く時が来た、と思い立ち、テープ上にどんなメッセージが磁気化され、録音されているのか確かめるべく、僕はプラスチックのケースからカセットを取り出した。

引き出しをあさり、単三電池を2本探し出す。

それを僕のウォークマンに入れる。

あやふやな円形をしたヘッドホンはもう持っていなかった。(壊れてしまった。というか、僕はいつもヘッドホンを壊してしまう。)代わりにイヤホンをつないで、耳に刺す。

再生ボタンを押した。


そのオリジナルミックスはまだ未完成だとわかった。中身は8曲だけだったが、ウォークマンがクルクルと回転しながら、時を経て再び命を吹き込む。



トラック 1:『Horses in the Room(部屋の中の馬)』by エヴリシング・バット・ザ・ガール



人生を完全なものにするために

特定の人が必要なのかどうか

誰か一人にこだわる必要はない。

思いもかけない瞬間にきっと

人生のドアをノックしてくる人がいる

そして人生を変えてくれると信じてる。


この曲を聴いていた頃から長い年月を経て、

当たり前の結論なんてないんだと気付いた。

僕はドアを開けて入っていくような人にはなりたくない。

僕はドアの前で突っ立っている人になりたい。

そんなところに突っ立ってないで 早く入ってきて あなたが誰でもいいから

トレイシー・ソーンがそう歌っている。

(僕はトレイシー・ソーンが大好きだ。彼女が小説の登場人物であっても、僕はそのままトレイシー・ソーンという名前にするよ)

当時の僕がこの曲をミックステープの最初の曲に選んだのは、―今ミックスを作ろうとしても、この曲を最初にするだろうな―

この曲は、部屋に呼んだ相手を歓迎しているようだから。

ドアを開けて部屋に入っていった時の温かみを感じるから。

このぬくもりは、希望の中にある確かさであり、希望以外のすべての中にある不確かさでもある。


この曲みたいなぬくもりを感じた時は大体、愛が見つかる。



トラック 2:『Fields of Gold(黄金の草原)』by スティング



この曲はちょっと今の僕には

笑っちゃって素直に聴けないかな

だって大麦だよ

大麦畑にロマンチックなことが転がってる

なんて思えないよ


黄金の草原を歩くって歌ってるけどさ

実際問題として

大麦を踏みつけながら

風が吹けば麦の茎にペシペシ頬を叩かれ

大麦が皮膚を引っ掻き、チクチク痒いし

大麦が靴の底に挟まって取れなくなる

僕は遠慮しとくよ


ロマンスに関して言えば

僕たちを取り囲んでいた光を思い出す

穀物は思い出さないな

あの頃、君の隣を歩いていた時

周りの光が溶けるように黄昏から夕闇へと

徐々に移ろっていった

トウモロコシ畑や小麦畑も歩いたかな

パーク・アベニューならはっきりと覚えている

僕たちが交わした言葉の断片が

あの時、君に言った言葉が

君から返ってきた言葉が

この曲とともに次々と蘇る



トラック 3:『Love Song for a Vampire(吸血鬼に捧げるラブソング)』by アニー・レノックス



僕の好きなシンガーのほとんどは、愛を両面から歌っている

すなわち、無上の喜びと精神の錯乱という両極のせめぎ合いとして

ロビンは踊りながら

ビョークは『army of me(私には軍隊がついてる)』で歌ったし

(僕が言うことではないけど、)シーアは彼女自身が全身でそれを体現している

また、ロードは夢から醒めたような冷たい光の中で自身の自尊心を切り落とした

アニー・レノックスは、この種のラブソングを歌わせたら抜きん出ていて

少なくとも僕が聴く系統のシンガーたちの、お手本ともいえる歌い手だ


この曲は、ブラム・ストーカーが19世紀に書いた『ドラキュラ』を

ハリウッドが映画化した際に採用した曲でもある

現代的な女優ウィノナ・ライダーを19世紀の囚われの身にしようという名案を

ハリウッドが思い付いたわけだ

僕がこの映画について覚えているのは、彼女の熱烈なあえぎ声だけだから

この歌を映画から分離して、吸血鬼をメタファーとして捉えるのは簡単だ

アニー・レノックスは両極に引き裂かれたまま、恋の真っただ中にいる

それでも雨は降り続く、そう彼女は歌いながら、聴き手にこう教えてくれるようだ

もう一度だけこの腕の中に戻って来て、そう望みながらも

もっと実りのある課題は、どう愛するかを知ること

雨が降っている時でさえ



トラック 4:『Lead a Normal Life(普通の生活を送れ)』by ピーター・ガブリエル



僕が初めて行ったコンサートはビリー・ジョエルだったが

それ以外では、1987年7月、マサチューセッツ州の〈グレート・ウッズ〉で開かれた

ピーター・ガブリエルのコンサートが初だった

その時期サマープログラムでウェルズリー大学に滞在して、特別講座を受けていたから

そのコンサートに行くことになったのだ

円形の舞台の上の空をよく覚えている

光の演出が、たそがれゆく夕闇の空とシンクロしているようで綺麗だった

当時、ほとんどの高校生が聴いていたアルバムは『So』

僕も高校時代によく聴いたし、ピーター・ガブリエルといえば『So』だと思う

映画『Say Anything』でも使われて、映画を大いにスウィングさせた

主人公のロイドがダイアナに求愛しまくって、結局ふられるわけだが

それでも諦めない生き様にぴったりの曲だった

(コロンビアハウスはガブリエルの『So』以前のカセットテープもどんどん送ってきたが、面倒くさくて聴かなかった)


もっと詳しく書くと

のちに彼の『So』以前の作品も、カセットテープの存在に気づいたのだが

大して印象に残らなかったわけだ

このミックステープの中でこの曲が流れ出してみても

しばらく誰の曲なのかわからなかったくらいだから

少しして、このインストルメンタルの仕掛けはピーター・ガブリエルだったか

とぴんと来て、後半で彼の歌声が入ってきて、確信した

当時のラジオで(ラジオを覚えてる?)

「ディープカット」と呼ばれていた仕掛けだ

曲の後半になってようやくボーカルを入れるというあれだよ

この曲に僕が強烈に惹きつけられた理由を今考えている―

君が普通の生活を送っていればいいな、その姿をこっそり見たいよ

そう歌うこの曲を聴いていた時、僕は20代前半だった

当時の僕は、これを恐怖だと感じたのか?

それとも、綺麗な純愛だと感じたのか?

当時はたぶん、理解していなかったように思うが

答えは両方だろう

平然と憧れを抱くことは

一瞬の狂気にも変貌することがあるということを


最後に一つだけ

今日の昼間、僕は空港へ向かってタクシーに乗っていた

ラジオでは僕の好きな曲が立て続けに流れていた

僕が若い頃に聴いていた曲たちだ—

ベリンダ・カーライルの『Heaven Is a Place on Earth(天国は地球上にある)』や

シェールの『Believe』とか

ロックバンド、イマジン・ドラゴンズの『It’s Time』(彼らが大口をたたくようになる前の曲だ)―

こうなると、次にピーター・ガブリエルの曲が流れてもおかしくない

そう思いながら、僕は車のダッシュボードに視線を送った

「106.7...Lite FM」と表示されている

アナウンサーも「お聞きのチャンネルはライトFMです」と言っている

その瞬間、僕はひどく裏切られた気分になった

時の流れはこんなにも残酷なのかと幻滅した

〈Lite FM〉といえば、歯科医院やデパートで流れている定番チャンネルだったはずだ

頭に感じていた慌ただしさを和らげるための、いわば低カロリーの軽い音楽を流すラジオ局ではなかったか

僕は年齢的に、もう〈Z100〉みたいな騒がしいラジオ局のターゲットリスナーではない

それにしても、〈Lite FM〉までそっちに向かったらだめじゃないか

どうか、〈Lite FM〉にカレン・カーペンターの哀愁や

バリー・マニロウの哀しみをもう一度取り戻してやってくれ

それが無理なら、ピーター・ガブリエルの『スレッジハンマー』を流してくれ

それも無理なら、僕にハンマーをくれ

ラジオ局ごと叩き潰してやるから

だってそうしないと、そのうちニルヴァーナなんかを流し出すぞ



トラック 5:『In Your Care(あなたの手に委ねられて)』by タスミン・アーチャー



この曲は憧れよりもはるかに恐ろしい

このような曲を、僕はこの曲以降少なくとも10年間は聴いていない


どうして

あなたは

私をダメにしてくれないの?

私はあなたの手に委ねられているのよ

彼女の歌声がそう問題を提起する、僕は今彼女の心に思いを寄せる

いっそのことダメになってしまいたい、それなのにあなたは

僕は同様の裏切られた感を味わったことがない

それでもなんとなく、彼女の気持ちがわかる気がする


時々、メロディーに乗ってくる言葉の力は

現実の経験よりも力強いことがある。あるいは

それ以上に、歌は僕の過去の二つの経験をつないでくれる

私をダメにしてくれないの?

私はあなたの手に委ねられているのよ

自分の経験を照らし合わせてみると

彼女の歌声が僕に訴えかけてくることの意味が

その険しい道の片鱗が、チラッと垣間見える

僕は年齢を重ねるごとに

ラブソングの位置付けが変わっていった

昔は、ありふれた美辞麗句で僕の目をくらませるだけのものだった

でも今は、ラブソングは僕にとって必要な存在だ

真実を、説得力をもって伝えてくれるから



トラック 6:『Walking in My Shoes(俺の身にもなって考えてくれ)』by デペッシュ・モード



このミックステープを作ったのは、1995年辺りだろう

その頃を思うと、Dread and Yearning(恐れと憧れ)なんてタイトルを付けておいて

デペッシュ・モードの曲が一曲も入ってないなんてあり得ないと思っていたらここで来た

ここで、懐かしい僕の亡き友リンダのことを書かせてもらう

ミックステープつながりで、彼女が作ったミックステープを思い出した

僕たちはミルフォード高校の2年生だった

夏が近づきつつあったから2年生の終わりごろだ

彼女はよどみのない綺麗な筆跡でトラックリストを書き連ねていた..

Depeche Mode, Erasure, The Cure, Alphaville, People Are People

A Little Respect, Lovesong, Forever Young...

デペッシュ・モードといえば、『Blasphemous Rumours(冒とく的な噂話)』も良かった

神にはイカしたユーモアのセンスがある

なんて大声で暴露してしまうパワーには目を見張ったものだ

しかし、それ以上に僕の心を打ったのは『Somebody(誰か)』だった

その「誰か」を求める気持ちが、まっすぐに僕の心に突き刺さったのだ

心が求めているものは、これほどまでにシンプルなんだと思い知らされた

いかだの上に取り残されたと思っても、そのうち浜辺にたどり着くはずさ

あの曲を聴くと、そんな気持ちにしてくれる


俺はこういうやつだからって決めつける前に

一旦俺の靴を履いて歩いてみてくれ

僕は高校時代、黒っぽい服はあえて着なかった

僕の日常の中に、あるいは僕の心の中に闇があったとしたら

それはテレビドラマで見て、その気になっていた闇に過ぎなかった

実体験ではなかったわけだ。だから、この歌は僕の人生を言い当ててはいなかった

だけど、こういう闇を吐き出すような歌は、僕の人生の幅を広げてくれた

いつか実際に闇と格闘しなければならなくなった時

この歌を聴いていたおかげで、心の準備ができているはずだ

いつか愛の側について、闇と闘う時が来る

愛が僕たちにしてくれたことに感謝しながら闘う時が



トラック 7:『Here. In My Head(ここが、私の頭の中よ)』by トーリ・エイモス



こういうタイトルの曲はなかなか好まれない

初見では一歩引いてしまうよね

たぶんトーマス・ジェファーソンはうちの裏庭で生まれたわけじゃない

あなたはそんなことを言ってたわね...

昔の大統領の名前を出して、そう歌うヒロインの頭の中は

言いたいことが溢れているのだろう

そして、その中には矛盾も含まれているのだろう

まさに、実際のトーマス・ジェファーソンがそうだったように


特に恋をしている時なんて

自分自身とかくれんぼをしているようなものだ


トーリ・エイモスのライブを初めて見た時のことを覚えている

(バークリー・パフォーマンス・センターでの〈Little Earthquakes〉ツアーだった)

彼女のピアノの弾き方に度肝を抜かれてしまった

体全身を使って表現しながら、それでも指だけは的確に音符をなぞっていた

その響きは、彼女の指に弾かれた鍵盤がワイアーを震えさせ

そのまま僕の全身まで震えさせてくるようで、しびれてしまった

そんな体験を伴う曲は頭の中で常に巡り続ける、現在から過去へと

音符のどこかに隠された自分自身を探しているようだ



トラック 8:『Mary(メアリー)』by トーリ・エイモス



同じシンガーの曲を2曲連続で収録するなんて正気の沙汰とは思えないが

この2曲に何かしらの繋がりを感じていたのかもしれない...

若きデイヴィッドよ、お前はいったい何を考えていたんだ?

ミックステープ作りには、それなりのルールがある

それは何本も作っているうちに自然とわかってくるものなんだ

僕が初めて作ったミックステープは自分用だった

次に作ったのは、たしか母へのプレゼントだった

僕が初めてもらったミックステープは、リンダからだった

それから1年とちょっと過ぎた頃

高校で親友だったキャリーとミックステープの交換をした

そのテープの初っ端に流れてきた曲は、ザ・ザの『This Is the Day』だった

後に僕が書いた本が映画化され、この曲がメインテーマとして使われることになるとは

もちろん知る由もなかった

人生のサウンドトラックというのは、時の流れとともに変遷を繰り返す

時の彼方に消え去ったかに思えた曲が、ふとした時に

全く予期していなかった時に、舞い戻って来るものだ


トーリは聴き手に語りかけるように、怖がっちゃいけない、と歌う

しっかり立って歩き続けるのよ

ほら聞こえるわ、もうすぐ救われるのよ

この曲を聴いて胸が痛んだことは一度もなかった

この曲を聴いて心が救われたことは何度もあった

この歌い手は教えてくれる

助けが必要になったら

再生ボタンを押して、この曲を聴けばいい、と。

最初の方の曲を早送りで、すっ飛ばしてでも

この曲を聴けば、すっと心が救われることを


最初に曲を書いた人がいて

そうして生み出された曲を

歌って届けてくれる人がいる

僕らはお互いに勧め合ったりしながら

その曲を生き続けさせるのだ


このテープの最後の曲も終わり

音楽のない静かなノイズ音だけが

流れているのを聴いている

不思議な気分だ

恐れは衰退し

憧れは落ち着きを取り戻す

20年以上経って

僕の心にこのテープが落としたのは

まだ目覚めたばかりだという感覚。

一曲の歌で目覚めさせられた

強い信念をもって訴えかけてくる歌声に確信する

人生っていうのは常に

周りには音楽が流れていない時でさえ

いつでも音楽が流れている


そうやって、僕らは自分のミックステープを作り続ける






〔感想〕(2020年7月17日)


our lives

even when they’re silent

always contain music


人生っていうのは常に

周りには音楽が流れていない時でさえ

いつでも音楽が流れている


まず翻訳の難易度について書くと、

小説以外の評論文や論説文 = 簡単。

小説 = 難しい!

詩 = 激難(げきむず)!!


なので、やや大変でしたが、自分でも翻訳力が高みまで到達しつつあるのがわかるくらい、藍は充実感に満ちているので、すらすらと訳せました🗽

きっと翻訳オリンピックがあれば、表彰台に上がって、金か銀か銅メダルを取れる自信があるくらい、力が満ちています🏆

藍は45歳なので、この充実感(頭が高速でぐるぐる回転する感覚)も、あと10年くらいしか続かないだろうな。

とりあえず、あと10年、訳し続けるぞ!!!


藍にとって印象深かったtourは、平野綾のライブツアー「RIOT TOUR」でした🎸✨✨

一緒に行った子を背中から守るみたいに、ずっと密着していたから、忘れられないツアーになりました...



話を戻して、笑

デイヴィッド・レヴィサンの推しメンはトーリ・エイモスなんだと思う。というのも、彼の他の小説でも、トーリ・エイモスという名前をちらほら見かけたので。


この8曲の中で、藍的にぐっと来たのは、7曲目の『Here. In My Head(ここが、私の頭の中よ)』by トーリ・エイモスでした。7曲目に載せたYouTubeを聴いてみてほしいのですが、ピアノの音が、シンガーの弾く音ではなく、ピアニストが弾く音なんですよ♬


藍もそんな音が出せる、そんな声が書けるように、全力で訳し続ける。






藍's color

新宿ルミネの7階辺りに劇場ができたばかりの頃、レナちゃんと観に行った。次々と漫才師が繰り出すボケとツッコミに、二人してゲラゲラと笑っていた。by 藍 (懐かしい、美しいものばかり思い出されるのだから。by 太宰治)

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